明治大正の「カブトビールいかが」復刻販売で注目 国文化財・半田赤レンガ

明治大正の「カブトビールいかが」復刻販売で注目 国文化財・半田赤レンガ

復刻された大正時代(左)と明治時代のビール=愛知県半田市で

 愛知県半田市にある国の登録有形文化財「半田赤レンガ建物」で、明治・大正時代のビール「カブトビール」が復刻販売され、注目を集めている。当時のビールの文献などをもとに再現。一般公開が始まった2015年度の同所来場者は31万9000人余りと、来場の呼び水の1つになっている。この復刻の裏には、運命的な建物との出会いで奔走する人の姿、ビール商品化までのさまざまな苦労などがあった。

赤レンガ建物「そもそも知らなかった」 1本の電話が保存のきっかけに

 ビール復刻を手がけるのは、地元の一般社団法人・赤煉瓦倶楽部半田。同所の利活用を調査研究し、魅力的なまちづくりを進めている。90人近い会員を束ねる馬場信雄理事長(68)は「建物への関心を集めるためにビールを作った。もともとは自分自身、建物があることを知らなかった」と、活動を振り返る。

 馬場さんは京都出身。半田市の酒造会社の総務部長を務めていた1994年のある日、全国の赤レンガ建物の保存や活用を目指す団体・赤煉瓦ネットワークのメンバーだった兄から突然「半田の赤レンガ工場が取り壊される」と連絡があり、建物保存を考える集会の準備を任された。これが、建物の保存活動を始めるきっかけだった。

旧ビール工場の赤レンガ建物 「ここでビールを飲みたい」 声に押されビール復刻へ

 半田赤レンガ建物は1898年、かつてあった丸三麦酒のカブトビール工場として建てられた。翌年から1943年までビールを製造。戦時中は軍事用衣料と食糧の倉庫として使われた。戦後はコーンスターチ工場となったが、施設老朽化のため94年に工場閉鎖。一部が取り壊されるも、96年に半田市が建物と敷地を買い取った。

 その後、馬場さんは現在の団体の前身となる市民グループを立ち上げ、行政などと協力して建物の保存活動に尽力。2002年の一般向け初公開後は、建物を観光資源として活用することを考え始めた。ちょうどその頃、来場者から「昔のカブトビールをこの赤レンガ建物の中で飲んでみたい」という声も聞かれるようになったことから、2004年にカブトビール復刻に乗り出した。

製造断られることも。文献見つかっても数値に誤差……ビール復刻の苦労

 カブトビールを作っていた丸三麦酒は歴史上、現在の大手ビールメーカーともつながりがあった。そこでメーカーの資料室などに協力してもらい、資料収集にあたった。すると明治時代のビールに関する文献が見つかった。特徴はアルコール度数が、現代のビールより高く、苦味も強く赤褐色、ワインに近い味わいのビールだったという。

 集めた資料を元に、大手ビールメーカーに製造を打診した。ところが、大量生産するビールでは無かったため、断られてしまった。そのため、グループメンバーの人脈を生かして地元の地ビール会社に商品化を依頼。試作品をメンバーで試飲会して意見を出し合い、改良を重ねて05年、発売にこぎ着けた。建物の限定公開時に販売すると、買い求める人の長蛇の列ができ、すぐに完売するほどの人気となった。

 一方、大正時代のビールは、14年に分析表が見つかった。糖分や炭酸の量など細かい数値が書かれていたが、その通りに作ると、苦味にコク、芳醇(ほうじゅん)な香味や赤く艶やかで透き通った色合いなど、当時のビールの特徴とはほど遠い試作品ができあがった。原因は、当時の分析精度で、数値には誤差があった。そこで食品工業技術の専門家に指導を仰ぎ、数値の誤差を修正して考えられる試作品2タイプを作った。グループで試飲を行い、商品候補を絞り込んで今夏、発売に至った。

活動の今後 昭和初期のビール復刻も視野に 建物の魅力向上へ

 同所は耐震改修などを経て、15年に常時公開となった。復刻版ビールの販売や、カブトビールの歴史などを学べる資料展示もあり、建物の保存や公開など、グループとしての一定の目標は達成した。今後について馬場さんは「建物の魅力向上を図るためのガイド養成」を課題に挙げる。

 グループメンバーのほとんどが仕事に就いているため、常時のガイドボランティア活動ができない現状がある。そこで本年度からガイド養成講座を開いて建物やカブトビールについての知識を継承し、来場者サービスの向上を目指す。

 実は、昭和初期のビールの成分表もすでに見つかっている。復刻に使えるデータであるが「すぐに復刻はしない」と馬場さん。ビールは建物に注目してもらうためのアイテムであり、あくまでも主役は建物。昭和初期のビールは、建物の効果的な周知が期待できるタイミングで復刻させるという。
(斉藤理/MOTIVA)