「人工透析を受けない選択肢」と「命の終い方」を考える

「人工透析を受けない選択肢」と「命の終い方」を考える

諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師

 医療が発達し、治療法が普及するにつれ、人は簡単に死ねなくなっている。だが、いつか死ぬのが人間だ。人工透析治療を止める選択肢を提示された女性患者が死亡した問題をきっかけに、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、命の終い方について考えた。

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 東京都福生市にある公立福生病院で、人工透析治療を止める選択肢を提示された女性患者(当時44歳)が死亡した問題が波紋を呼んでいる。医療を受ける患者の権利が奪われているとか、医師による死への誘導ではないかと報じられた。

 しかも、亡くなった女性が、直前に透析中止の意思をひるがえしたと報じられ、なぜ中止が中止されなかったのか、病院の対応に批判が上がっている。

 ぼくがこの問題で、まず考えたのは、「透析治療を受けない権利」ということだ。40年以上、内科医として多くの辛い疾患と接してきたが、患者さんのなかには積極的治療を拒否する人がいた。

 たとえば、進行すると自力で呼吸できなくなる難病がある。人工呼吸器をつけることを選択する人が多いが、全員ではない。一生懸命生きるが、その時が来たら人工呼吸器はつけず、死を選択するという人も少数いる。どっちが正解かという問題ではない。医療というより、個人の価値観の問題なのだ。

 がんの患者さんでも、手術をすれば寿命が延びる可能性があるのに、手術を拒否する人がいる。信仰上の問題で、死んでも輸血を拒否する人もいる。

 今回の福生病院では、透析治療が必要な患者さんに対し、透析をしなければ命にかかわると説明したうえで、同時に透析を行なわない選択肢も示した。2013年4月〜2017年3月までで149人に説明し、17人が透析治療を始めないことを決めたという。すでに透析治療を受けている人も治療を中止し、この女性を含めた4人が死亡した。

 透析患者は全国で33万4500人を超える。平均年齢は68.4歳。80歳以上の高齢者も多い。

 流れのなかで何となく透析治療を受けるのではなく、患者さんに選択してもらうこと自体は、評価していいと、ぼくは思う。医療は、何よりも患者の意思が尊重されるようになってきたからだ。だから、福生病院への批判の半分には、異議を述べたい。

 しかし、患者の意思をどのように確認し、尊重していくのか、という課題は大きい。問題点は3つある。

【1】正しいインフォームドコンセントが行なわれたか。

 人工透析は、血液を体外の透析器に送り出し、血液を浄化してから再び体内に戻す。そのため手術で腕に「シャント」という出入口をつくる。

 女性は、シャントがつぶれ、透析機器につなげる血管を探すのが大変になっていたようだ。腕のシャント以外に、腹膜透析ならシャントがなくても血液をきれいにできる方法があることを、きちんと説明したか。どうも、その説明はなかったようである。

【2】正常な判断力で自己決定がされたか。

 この女性は、シャントが使えなくなったら透析を止めたいといい、透析中止を決めた意思確認書に署名している。夫も呼んで、再度確認もしている。

 一見、問題なさそうだが、女性はかつて「抑うつ性神経症」と診断され、自殺未遂も3回あったという。今回も、治療の苦しさからうつ状態になっていた可能性も否定できない。精神科の適切な治療を受けていれば、透析治療を続けながら、人生の楽しみを見つけることもできたかもしれない。

【3】第三者のチェック機能は働いたのか。

 透析治療の中止の際、きちんとインフォームドコンセントが行なわれたか、患者が正常な判断力で意思決定をしたか、外部の識者も入った倫理委員会など、第三者の目でチェックする必要がある。

 意識のない患者の人工呼吸器をオフにし、裁判になっている事例はいくつもあるが、多くの場合、一人の医師の独断で行なわれている。その医師がどんなにその患者の尊厳を考えたとしても、独善になってしまうことは否めない。

 福生病院では、外科医も、腎臓内科医も、院長も、複数の医師たちがほぼ同じ考えをもっているようである。一人の医師の独断ではないが、第三者の目で再確認することがあれば、違う選択をした患者もいたかもしれない。

 実は、このような事例は初めてではない。市立秋田総合病院は、本人の意思で透析を中止した54歳の男性患者とのかかわりを「延命拒否により血液透析を自己中止した1症例の検討」という論文にまとめ、公表している。こういうオープンな精神が大事。

 そのなかで、患者や家族との話し合いを十分に行なうことが前提であり、実際に透析中止を決断しなければならない状況になった場合は、主治医一人で判断することなく、チームとしての判断や倫理委員会の承認が不可欠であるとしている。

 アメリカをはじめ諸外国では、患者の自己決定を尊重し、事前指定書による尊厳死が法的に認められている。医師はその決定を尊重しなければならないとガイドラインに示されている。日本でもこうした事前指定書が重要視されていくだろう。

 だが、ここでも注意したいことがある。患者さんの意思は揺れ動くということだ。一度決断して、署名したのだからと、事前指定書を水戸黄門のご印籠のようにしてはいけない。揺れ動くことも自己決定の一つととらえ、柔軟に対応できる医療体制を整えなければ、本当に患者の意思を尊重することは難しい。

 女性は、透析を中止した後、息が苦しくなり、「透析中止を撤回できるなら撤回したい」と申し出たという。夫は外科医に透析の再開を要望した。

 外科医は女性に対して、「するならしたいと言ってください」と言う一方、「逆に苦しいのが取れればいいの」とも聞いている。そして、苦しさを取るための鎮静剤が注入され、透析は再開されないまま女性は死亡した。ここはかなり問題だ。

 不運だったのは、この女性を支えてきた夫が、同じ病院で胃潰瘍の緊急手術を受けており、女性の臨終に立ち会えなかったことだ。女性は夫へのLINEに「とうたすかかか」と打っている。「父さん助けて」と言いたかったのか。この点も、情報がきちんと共有されていれば、女性は夫を支えるために、一時的に透析の再開を強く求めたかもしれない。同じ病院で緊急手術をしているのだ。情報を無視せず、透析で命をつなぎ、落ち着いた状態で再度話し合いを持つべきであった。この病院の行動には優しさが感じられない。

 命の終い方の決断は、簡単ではない。その人の自己決定には多角的な支えが必要だ。今回の事例は、治療を受けない選択肢や命の終い方を考えるきっかけをくれた。病院批判に終わらず、ここから議論をスタートできたらと思う。

●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。

※週刊ポスト2019年4月19日号

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