美智子さまのお気遣い、職員の体調を考慮したお手製スープも

美智子さまのお気遣い、職員の体調を考慮したお手製スープも

結婚60年の祝賀行事を終えた天皇皇后両陛下(時事通信フォト)

 天皇皇后はご成婚60年を迎えた。その長い年月の出発からの道程を、宮中で間近に見ていた人物がいた。昨年5月に94歳で亡くなった元内掌典(ないしょうてん)の高谷朝子氏である(在職は昭和18年から57年間。内掌典は、「宮中三殿」と呼ばれる賢所、皇霊殿、神殿の3つの社にお祀りしている神々に仕える女性の内廷職員)。

 在職中は、簡単には皇居から出ることが許されなかった生前の高谷氏を数度にわたり取材したジャーナリスト・児玉博氏が、「美智子妃が在位の間は書かないでほしい」との約束のもとに秘めてきたエピソードを明かす。

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 昭和の時代に内掌典が直接、天皇皇后に拝謁することはなかった。しかし、平成の時代は陛下の意向で内掌典も両陛下と直接お目見えすることが出来るようになっていた。

 高谷が体調を崩すと、美智子妃自ら大膳職(皇室の食事を調理する所)に赴き、高谷のためにスープを作っては女官に持たせ、高谷のもとに届けさせた。

「こんな幸せな思いができたことを本当に感謝しております。胸が震えるような思いは今も忘れられません」

 平成13年に内掌典の職を辞した高谷は関東近郊の篤志家の元での生活を始めた。いわば、民間人となっても身を清く保つ生活に変わりはなかった。美智子妃は女官などを通じて常に高谷の様子を気にされていたという。

 高谷が病に伏したりすると、宮中からの使者が高谷の元を訪ねて来るのが常だった。使者の手には、必ず美智子妃お手製のスープを詰めたポットが携えられていた。

 高谷が手術をすることがあった。それを伝え聞いた美智子妃は手術前には体調を整えられると野菜中心のスープを、術後は精がつくようにとポタージュをわざわざ作り、届けさせた。こうした気遣いが高谷には何にも増してうれしかったという。それほどの気遣いが宝石のような体験だったという。

 昨年5月11日、高谷は94年の人生に幕を閉じた。高谷は最後まで内掌典の伝統継承に気を砕いていた。伝説の内掌典の死は一つの時代の終焉でもあった。葬儀の祭壇には両陛下から贈られた花が飾られていた。高谷の人生を象徴しているかのようだった。

◆児玉博(ジャーナリスト):1959年生まれ。早稲田大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動。著書に大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)の受賞作を単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』(文藝春秋刊)、『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』(小学館刊)など。

※週刊ポスト2019年5月3・10日号

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