天皇皇后両陛下 御成婚60年の歩みと共に歩んだ日本人の幸福

天皇皇后両陛下 御成婚60年の歩みと共に歩んだ日本人の幸福

4月7日、お忍びで散策された両陛下

 天皇御即位満30年、御成婚満60年、そして、約200年ぶりの譲位による御代替わりという節目を迎える。天皇皇后両陛下が国民に思いを寄せて辿られた足跡は、人々の幸せと安寧を祈る、長く慈愛に満ちた旅であり、それはまさに、日本国民にとって幸福な日々だった。喜びも哀しみもすべてを包み込むように歩まれた姿を振り返る。

 この30年、天皇皇后両陛下は国民の幸せを祈り、国民に寄り添ってこられた。お2人の出会いは、軽井沢のテニスコートだった。1958(昭和33)年に婚約が内定すると「ミッチー・ブーム」が巻き起こった。

「皇后陛下は日清製粉社長の御令嬢でした。皇族や華族の家柄ではない、初の民間出身である皇太子妃を国民は歓迎しました」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)

 御結婚後は皇室の慣例であった乳母制度を廃止。東宮御所に台所を作られるなど、国民と同じく家族との時間を過ごされた。

「こうした新しい皇室の家族像は、国民が親近感を抱くひとつの要因になりました」(山下氏)

 即位後の1991(平成3)年7月10日、両陛下は長崎県雲仙・普賢岳噴火災害の被災地を訪れた。災害発生から1か月。火山活動が続く状況下での訪問に、宮内庁をはじめ専門家から反対の声があがったが、陛下の「どうしても」という強い意志で実現した。

 皇室ジャーナリストの久能靖氏は「象徴天皇の在り方を突き詰めてお考えになってのことでした」と話す。

「天皇の務めとは、シンボルとしてただ存在することではなく、苦しむ国民にいち早く寄り添うこととの思いから、すぐにお見舞いに行かれたのです」(久能氏)

 体育館の床に膝をつき、被災者と同じ目線で励ます姿が話題となった。

「こうしたお姿は、昭和天皇の時代には考えられないことでした。当時は批判もありましたが、陛下はご自身の信念に基づき、国民と共に歩む姿勢を貫いてこられました」(久能氏)

 両陛下は被災地に幾度も足を運び、戦没者への慰霊を重ねてきた。毎年の地方公務「三大行幸啓」に合わせて視察することも多く、福祉施設をこれまでに500か所以上訪れている。

「両陛下は訪問された先々で、寸暇を惜しんで多くの人に会い、沿道の人々の歓迎にお応えになりました」(山下氏)

 昨年12月、天皇としては最後の誕生日会見で、陛下は国民への感謝の思いをこう述べられた。

「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に、衷心より感謝する」

※週刊ポスト2019年5月3・10日号

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