中学受験で子どもをツブす「教育虐待パパ」の共通点

中学受験で子どもをツブす「教育虐待パパ」の共通点

子どもへの過度な期待がエスカレート

 中学受験の過度なプレッシャーやストレスから心身に不調をきたし、心療内科に通う“小学生”が急増しているという。昔から教育熱心なのは母親のイメージが強かったが、近年は父親が自分の理想を子どもに押し付け、行き過ぎた指導で子どもをダメにしてしまうケースが目立つ。教育評論家の石川幸夫氏が、そんな「教育虐待」に走る父親の共通点を指摘する。

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 これまで、中学受験の多くは、母親が主導権を握っていたのですが、この十年で受験には門外漢と言われていた父親の関わりが目立つようになってきました。いわば「父親の母親化」です。

 それは、働き方改革に代表されるように女性の社会進出が顕著になり、忙しい母親に代わって、父親もわが子の教育に関心を持たざるを得ない状況に変化してきたからだと考えられます。いまや塾の選定から受験校の選定、そして、塾の送り迎えまで父親が行うことも珍しいことではありません。

 小学校、中学校の受験を考える時、まだ子どもたちに判断力や理解力が乏しいため、志望校の選択から準備まで、すべて親の指導で行われます。その親でさえ、学校選択で揉めることが多々あります。主体は子どもであるはずなのですが、私立か国立か、一貫校かで夫婦の対立が起こることもしばしばです。受験に対する意見の違いから離婚にまで至ったケースや、親が望む学校に行かせるために引っ越しをしたり、住民票を移し替えたりするケースもあり、家庭崩壊に陥った家族もあります。

 また、最近では、母子家庭や父子家庭の家庭も増え、祖父母の積極的な関わりも新たな傾向として見えてきました。一人の子どもに対する過度な期待が、時に行き過ぎた行動につながってしまうのです。

◆教育に熱心な父親のタイプ

 私はこれまで、民間教育の現場で幼稚園受験・小学校受験・中学校受験、そして、高校受験に携わってきましたが、実際に受験として父親が深く関わってくる時期が中学受験です。幼児期の受験と違い、父親の存在感を示すことができるからです。それは、学習面や知識など、社会人としてのこれまでの経験を生かせると考えるからでしょう。

 わが子の教育に対して熱心な父親のタイプは、おおよそ次の4つに分けられます。

(1)学歴こそ低いものの比較的高収入の父親
(2)高学歴で、自分の成功体験を子どもに押し付ける父親
(3)高学歴でありながら途中挫折した父親
(4)学力にコンプレックスを抱え、自分の子に夢をかける父親

 高学歴の父親は、子供の学力が平均より高い場合、より学習指導に厳しくなる傾向があります。それは、子どもの学力の高さが、その先の高学歴人生を連想させ、父親の期待感が高まるからと考えられます。

 一方、父親が低学歴でも比較的高収入の場合、自分の過去から、子どもには苦労させたくないと、できるだけ早い時期から積極的に習いごとに通わせたり、勉強を無理やり“させる”傾向を示します。もちろん、子どもの教育に熱心な父親はいつの時代でも存在し、わが子に対する当たり前の接し方ともいえます。子どもに目を向けてみても、そんな父親の教育熱心さに応えるように、父親の言動や行動を認め、従順な態度や対応を示します。そのため、一生懸命に勉強します。

 しかし、まだ幼い小学生は受験という「ゴール」が本当に自分の望むゴールなのか判断がつきません。成長の途中にある中学受験の怖さはここにあります。このことを父親としても認識しておかなければなりません。親の言うとおりにすることで、子どもは実はそれがとても楽なことだと錯覚します。つまり、自分を支える力、自分を理解する自尊感情が育たないのです。

◆教育虐待に走る親のタイプ

 そして、子どもへの過度な期待がエスカレートし、暴力をふるうなど「教育虐待」にまで至る父親の行動は、わが子に対する期待と愛情のアンバランスから起こると考えられます。

 子供の成績から過度な期待を抱き、わが子を思う気持ちが溺愛に代わり、その先に、子どもを自由にコントロールできると勝手に考えてしまうのです。受験を通してわが子を、人格を持つ一人の人間として扱えない父親の姿は、自分の描く理想像を子どもに投影しているだけに過ぎません。

 その背景には、父親自身の人生観や、今おかれている社会的立場、過度な人的ストレス、自分の思い描く社会的地位とのギャップなど、複雑な要因が入り交じり、父親の“心の迷走”を感じ取ることができます。すでに、自分自身を冷静に、そして客観的に見られない状態になっており、子どもの受験に関しても自分より身分的・地位的に上の人か、権威ある教育や受験の専門家の意見以外は聞く耳を持たないのが特徴です。

 こうした父親に共通する教育方針として、次のような内容が浮かび上がってきました。もちろん、受験だけに固執せず、良い面もありますが、過干渉といわれても仕方のない面は否めません。

・幼いころから習い事や塾、スイミングスクールなどに通わせる
・約束を守れない場合、体罰を与える。食事をさせない、外に出す等。
・口答えは許さない。
・見るテレビの制限をする(ニュース番組・健全なアニメなど)
・友人との連絡を禁止する。遊びに行くことも、家に招くことも禁止する
・毎日の学習の確認をする(テスト結果の報告、学習内容の説明など)
・博物館、展覧会などに連れていく
・子供とは率先して関わる。遊びも付き合う
・成果が上がらない場合、すぐに塾や先生を変える

◆子どもと父親「ゴールの違い」

 当然のことですが、中学受験は子ども自身の目標であり、入試までの過程には何度も繰り返されるテストがあり、その都度、子どもの頑張りや評価すべき通過点があります。

 しかし、父親の考えるゴールには「合格」の二文字しかなく、それ以外はすべて否定的な捉え方をします。模擬試験の結果などはその最たるものです。結果が悪ければ、今まで以上に指導に熱が入ります。そして、子どもの学習時間も深夜まで及び、寝不足で学校の授業にまで支障が出るほどです。

 そうした親の厳しすぎる指導で取り組んだ受験は、子ども自身のゴールではなく、合否の結果がすべてという父親のためのゴールともいえます。認知心理学の用語では、学習の結果として表れる成績や、親や先生など周囲からの称賛を目標としたゴールを「パフォーマンスゴール」と呼びます。

 本来は、子ども自身が日ごろの努力や受験勉強の成果の積み重ねから学べるゴールでなければなりません。これを「ラーニングゴール」と言います。結局、親の顔色をうかがいながら過度な期待を背負って受験に挑む子どもは、指導のつらさに耐えきれず、自分自身を追い詰めてしまうこともありますし、仮に不合格という結果を突きつけられれば、小さな心にさまざまな重荷となってのしかかります。

◆パフォーマンスゴールと自尊感情

 2016年に名古屋市で父親が中学受験に挑んでいた小学6年生の子どもを刺し殺すという事件がありましたが、これも、過度な親の受験教育・受験思考から、親の“心の暴走”と見ることができます。

 一方、親の過剰な干渉や指導による反動が間違った方向に出てしまう子どももいます。2008年6月に東京・秋葉原で無差別殺傷事件(通り魔殺傷事件)が起こりました。当時25歳だった元派遣社員の男(加藤智大死刑囚)の犯行でしたが、彼は地元の進学校に進むも高校時代に成績不振に陥って挫折します。その後の調査で、犯人の母親がかなり教育熱心で厳しい親であることがわかりました。

 犯人は、自己否定感に陥り、将来を悲観して通り魔という暴挙に出ます。親の意のままに育ってきた子は、周囲からは実に「いい子」なのですが、思春期になり、自分を見つめ直していく過程で、自らのゴールを模索し始めます。不登校になる生徒の多くに、こうした「いい子」の存在があります。思春期に至る過程で自己への渇望があるように思います。

◆その先にある子どもの心の崩壊

 しつけと虐待の違いは、実にはっきりしています。自分の考え方に従わせる行為そのものは指導でもなければしつけでもありません。それは、服従であり、飼育と言います。

 コントロールすべきは父親自身の行動や感情で、命令や、時に暴力を用いて従わせること自体をしつけとは決して呼びません。子どもの良き伴走者であるべき父親が、社会で活躍する手本となるべき父親がとるべき行動ではないと思います。自分の描く夢のゴールを、さも、子ども自身が望むゴールと勘違いしている。子どもにとっては、自分自身を見出したゴールではないのです。

 子どもたちには、中学受験の先にもたくさんのゴールがあります。それぞれが次のステップとなるよう、学ぶためのゴールです。親は人生の先輩として、子どもの先を歩んでいます。だから、子どものためと思い、自らが子供の人生設計をしてしまうのでしょう。しかし、場合によっては、その道は「これで良いのだろうか」と自分自身で歩まされてきた道かもしれません。たとえ過去において成功例であったとしても、多様化する今の時代にはそぐわずに通用しないパラダイムになっている可能性が大きいのです。

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