即位の礼 ご負担を小さくするために「雅子さまシフト」

即位の礼 ご負担を小さくするために「雅子さまシフト」

国体ご出席で、毎年出席の地方公務「四大行幸啓」を終えられた(撮影/JMPA)

 皇室最高の重要儀礼「即位の礼」の日まで3週間を切った。その日に先立ち発表された、いくつもの変更点。そこから見えてきたのは、雅子さまが貫かれ続けた「ご自分らしさ」だった──。

 9月28日、愛子さまにとって学生生活最後となる学習院女子中・高等科(東京・新宿区)の運動会が開催された。学年を代表して、優勝の表彰状を満面の笑みで受け取ったのは、愛子さまだった。

「愛子さまは、学年対抗で行われるバスケットボールの『ドリブル競争』で、学年全体のキャプテンを務められました。ドリブルも速くシュートも決められた。そんな愛子さまのご活躍もあり、愛子さま率いる高校3年生は、他学年に圧倒的な差をつけて優勝しました」(学習院関係者)

 愛子さまの運動会といえば、天皇皇后両陛下が多くの保護者と一緒に目を細めて観戦されるのが、例年のことだ。

 しかし、最後の晴れの舞台になった今年、グラウンドの保護者席に両陛下のお姿はなかった──。

 両陛下は28日から2日間、「国民体育大会(国体)」に出席されるため、茨城県ひたちなか市を訪問されていた。

「宿泊先のホテルで28日夕方、国体関係者らとの懇談会が催されました。乾杯の際、いつもはグラスに少し口をつける程度だった雅子さまが、小さなグラスに注がれた茨城の銘酒『霧筑波・知可良』をグイっと一気に飲み干されたのです。国体でのお疲れもたまっていたはずで、お付きの人たちも驚いていました。それだけご体調がよろしいのだと感じました」(皇室記者)

 皇后になられて5か月。9月には宿泊を伴う地方公務を3度もこなされた。充実の日々を過ごされていることは、随所で見せられる晴れやかな笑顔からも伝わってくる。

 それだけに、次のようなシーンが注目されたのである。

「茨城訪問では、両陛下は即位後初めて、菊の御紋で飾られた『お召し列車』に乗られました。茨城に向かう道すがら、沿線の人々に座りながらお手振りをされました。

 ただ、思い出されるのは、上皇上皇后両陛下が平成時代、お召し列車に乗られる際は長距離の移動中も立ったままお手振りをされたことです。そのお姿の印象が強いので、『何かあったのか』と心配する声も聞かれました」(皇室ジャーナリスト)

◆儀式で歩かれる距離が短くなった

 たしかに雅子さまのご快復は目覚ましい。着席されてのお手振りには、こんな理由があったようだ。

「美智子さまは、お立ちになられたままお手振りをされたことで、乗車中はほとんど休む時間がなかったそうです。側近が着席を勧めても、“見送りに来た人のために”と大変なご苦労をされました。

 しかし、雅子さまのご病状を鑑みれば、今回の茨城訪問ではそのような無理があってはならないと周囲は懸念したそうです。進言もあったのでしょう、雅子さまはご自身の体力も理解された上で、美智子さまとは違うスタイルであっても、ご自分にできる最善の方法を選ばれたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)

 両陛下は駅に着かれてすぐに国体の式典へと向かわれた。そんなタイトな日程をこなすことができたのも、お召し列車での「調整」のおかげだったのだろう。

 10月22日から31日までの10日間、いよいよ陛下が即位を国内外に宣言する、皇室最高の重要儀礼「即位の礼」が挙行される。それに先立ち、9月18日、政府の皇位継承に関する式典委員会が開かれ、儀式の細目が了承された。

「190以上の国や国際機関の代表が来日し、祝賀御列の儀(パレード)の沿道には大勢の国民が詰めかけます。1993年の両陛下のご成婚パレードの19万人を超える人出が見込まれています。

 雅子さまのご負担も大変なものです。22日は午前中から儀式に臨まれ、パレード、そして饗宴の儀(祝宴)と続きます。朝5時には起床され、23時頃までは分刻みというハードスケジュールです」(前出・宮内庁関係者)

 歴史を振り返れば、皇后が即位の礼に臨席されなかったこともある。しかし、今の時代は“ご夫妻揃われてのお姿を見たい”と願う国民が多いことも事実だ。

 雅子さまには必ずすべての儀式にご参加いただきたい──。そう願う側近や関係者の思いもあったのだろう、平成に行われた即位の礼と比べると、“簡略化”が図られている。

 たとえば、22日、皇居・宮殿の「正殿松の間」で行われる「即位礼正殿の儀」だ。広く即位の宣言をされる際、陛下は天皇の玉座である「高御座(たかみくら)」に、雅子さまは皇后の玉座である「御帳台(みちょうだい)」に、それぞれ立たれる。そこに至るまでの経路が変更されたのだ。

「平成の即位で美智子さまは、宮殿の中庭で見守る参列者へのお披露目のため、重い装束を身につけたまま、正殿の周囲の廊下を100mほど歩いてから正殿松の間へと入られました。

 しかし、今回は中庭に面した廊下へは回らず、側扉から松の間に入り、そのまま室内に置かれた御帳台に上るという、昭和以前の経路に変更されました。あくまで伝統に則った形とはいえますが、実際には雅子さまのご負担を小さくすることに繋がりました」(前出・皇室ジャーナリスト)

◆「映し鏡」の紀子さまと「自分の道」の雅子さま

 国内外からの参列者を招いて即位を祝う祝宴「饗宴の儀」にも変化があった。

「饗宴の儀で両陛下は、各国要人に丁寧に対応されることになり、大変な体力を要します。平成の時は4日間連日で、昼夜合わせて計7回催されました。今回は計4回、しかも2日に1度ほどの頻度です。招待人数も平成の3400人に対し今回は2600人に縮減、さらに着席形式を2回、立食形式を2回という、負担軽減の策が取られました」(前出・宮内庁関係者)

 そうした“雅子さまシフト”は実はこれまでも随所で見られてきた。上皇上皇后両陛下は平成時代、地方公務の際に2泊以上されることも多かったが、御代がわり後の地方公務は1泊など緩やかな日程がスタンダードになりつつある。それも雅子さまへのご負担を考慮されたものだろう。

「地方公務でも、無理な日程で体調を崩されて欠席が増えるより、1泊であってもお元気な雅子さまに来ていただいた方が現地の人々はうれしい。そうした国民の気持ちを、雅子さまはよく理解されているから、工夫されているのです。

 地方での滞在日数が少なくとも、都内の保育園や高齢者センターなどの施設に足繁く通われています。できる範囲のことをしっかり務められているのでしょう。美智子さまとは違っても、即位の礼ではご自分の体調に合わせた形で、しっかりとこなされるに違いありません」(皇室関係者)

 一方、秋篠宮妃の紀子さまは、公務への姿勢、お言葉など、美智子さまの有り様を映し鏡のように踏襲されてきた。

「紀子さまには、将来の天皇の母であることへの強い自覚もおありだったでしょう。だから、美智子さまに学ばれようとした姿勢が強かった。

 ただ、美智子さま自身こそ、それまでの歴代皇后のやり方を踏襲しつつも、子育てなど私的な面に新しいやり方を取り入れることをお恐れになられなかった。美智子さまは、ゆっくりと時間をかけ、自分らしい、新しい道を歩もうとする雅子さまをずっと支えられるお気持ちだそうです」(前出・皇室関係者)

 即位の儀式の盛大な挙行に向け、「美智子さまとは違うやり方で」という雅子さまのご覚悟が実を結ぼうとしている。

※女性セブン2019年10月17日号

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