ホスピス医が説く「最後の日」との向き合い方 85才女性の例

 高齢化が進む日本社会。病院の患者の数は増え、入院してもすぐに退院させられることも多い。いわば、病院に頼れなくなってくるこの時代に、どう命と向き合っていけばいいのだろうか。

 これまで2800人以上を看取ってきたホスピス医・小澤竹俊さんが、実例を挙げて、「最後の日」との向き合い方について説く。

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 ある患者さんの例を紹介しましょう。85才の女性は肝臓や腎臓、胃にもがんが転移していました。10年ほど前にご主人を見送り、一人暮らしの彼女は、自分の家での在宅介護を希望しました。

 40代の初めに購入したマイホームは、横浜郊外の山林を開発した地域の団地の一室です。おばあちゃんは、思い出の詰まった家で人生の最後の時を送りたい、という思いを抱いていました。

 おばあちゃんは生きる気力をなくしていました。近所に住む娘さん(52才)が毎日、介護に通いましたが、買い物も掃除、洗濯、食事の支度も、娘さんやヘルパー任せ。往診のときもベッドに横になり、衰弱しきった様子のおばあちゃんは、「早くお迎えが来てほしい…」と、クリニックのスタッフにぽつりとつぶやいていました。

 苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しいものです。スタッフは往診に訪れるたびに、ベッドの側でおばあちゃんの言葉に耳を傾けました。

 最初は言葉が少なかったおばあちゃんでしたが、徐々に重い口を開くようになっていきました。スタッフもおばあちゃんの言葉に、相槌を打つように問いかけました。

 おばあちゃんは花が大好きだったのです。自治会の園芸部で中心的に活動をしていて、入居当時、開発が終わったばかりの殺風景な団地の周辺に次々と花壇を作ったそうです。

「春はチューリップでしょう。ガザニアの黄色い花、真っ赤なゼラニウム、アイッサムの小さな白い花も私は好き。マツバギクの淡いピンク色の花も素敵よ。夏はサルビアに百日草、秋は色とりどりのコスモス、シクラメンのピンクの花も私は大好き」

 花のことを語るとき、おばあちゃんの顔から険しさが消え、それまでに見たことがない、穏やかで温厚な表情になることに、私たちは気づきました。

「お母さんは、大きな社会貢献なんか何もしてこなかった専業主婦ですけど、ご近所の人たちから、『お花のおばあちゃん』と呼ばれているんですよ」

 娘さんからそんなお話をお聞きしました。85年の人生で、大事にしているものが垣間見えたとき、おばあちゃんは私の中で、まもなくお迎えが来る単なる老人ではなくなっていました。人生を彼女なりに謳歌してきた姿が、色とりどりの花とともに私の脳裏に映し出された思いでした。

 おばあちゃんは、大好きな花と咲き誇る花壇と、ご近所の人たちから「お花のおばあちゃん」と呼ばれていたことを思い返したのでしょう。それが彼女の“支え”となったに違いありません。

 究極の苦しみの中にいる人でも、自分の中の“支え”を意識することで、穏やかな心境を得ることができる。多くのかたがたの看取りを通して、私はそのことを学びました。それは何も末期がんの患者さんだけに、言えることではありません。

“支え”の大切さは、苦しみを抱えるすべての人に当てはまるということを、この連載を目にされるかたは、心の片隅に置いていていただけると嬉しいです。

【プロフィール】
小澤竹俊
おざわたけとし/1963年、東京生まれ。1987年、東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業。1991年、山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了。救命救急センター、農村医療に従事した後、1994年より横浜甦生病院ホスピス病棟に勤め、病棟長となる。2006年、めぐみ在宅クリニックを開院。これまでに2800人以上の患者さんを看取ってきた。主な著書に『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』(アスコム刊)がある。

※女性セブン2016年9月29日・10月6日号

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