小林麻央見て「私は頑張れてない…」と葛藤抱く乳がん患者も

小林麻央を見て「私は頑張れてない」と自分を責めたり、落ち込む乳がん患者も

記事まとめ

  • 乳がん闘病中の小林麻央ブログに、多くの人から共感や励ましのメッセージが届いている
  • 一方で「隠す自分はだめ、頑張れていない」と自分を責めたり、落ち込む人もいるという
  • 「ブログが勇気を与えることばかりとは言えない」と乳がん体験者コーディネーター

小林麻央見て「私は頑張れてない…」と葛藤抱く乳がん患者も

小林麻央見て「私は頑張れてない…」と葛藤抱く乳がん患者も

麻央のブログに乳がん患者が抱く思いとは

 乳がん闘病中の小林麻央(34才)が開設したブログ。今の気持ちや病状を素直に綴るこのブログには、多くの人から共感や励ましのメッセージが届いている。

 しかし一方で「まだつらくて読むことができない」という人もいる。自身の乳がんにかかった経験を生かして、湘南記念病院かまくら乳がんセンターで患者の相談にのっている乳がん体験者コーディネーターの山口ひとみさんは言う。

「がん患者の中には、やる気が出ないと悩んでいる人もいます。病状も、立場も、価値観も違います。ブログが勇気を与えることばかりだとは言えないんです」

 正直に前向きな思いを明かす麻央は、人々に勇気を与える患者だととらえられる。そう思うからこそ、「彼女と違って、隠す自分はだめだ。がんばれていない」と自分を責めたり、落ち込んでしまったりする人がいるのだという。

 4人目の子供を産んだ直後の2005年12月、左胸に乳がんが見つかった藤田美由紀さん(仮名、52才)もそのひとりだ。きれいにメイクして、髪の毛の先をくるんとカールさせた彼女は、麻央がブログにアップした写真を、たまたまニュースで見たときはとても驚いたという。

「まつげもないし眉毛もないし、私の知っている麻央さんじゃない。なのによく載せたな、麻央さん、すごいなって。私は前と変わってしまった姿を見られるのが嫌で、ゴミ捨てに行くのも、誰もいない時間を見計らってね…恥ずかしいから。どうしたの? って言われたくなくて」

 そもそも藤田さんが自分の体の異変に気づいたのは24才で長男を産んだ後。左の乳腺からおっぱいが出なくて、岩みたいに硬くて痛かった。おかしいとは思ったものの、今ほど乳がんが知られていなかったし、右のおっぱいが出ていたこともあって、藤田さんも彼女の夫や家族もそういうものだと思って放っておいたら、授乳が終わると痛みもなくなった。それは2人目、3人目と産んだ時も同じ。ただ4人目を産んだ後の痛みが我慢できなかったため病院へ行ったところ乳がんだと宣告された。ステージはIIとIIIの間で、薬があまり効かず、進行も早い「トリプルネガティブ」と呼ばれるタイプのがんだった。

「主人に伝えると、優しく抱きしめてくれました…(涙ぐんでしばらく沈黙して)今も、家事を手伝ってくれたり、重いものを持ってくれたり。まあでも、今は息子がいるから主人の出る幕はあまりなくなっちゃいましたけどね、アハハハハ。でも、乳がんがわかっておっぱいがなくなったら別れたいっていう旦那さんもいるって聞きますけど、うちは絆が強まったかな。若い頃はけんかばかりしてましたけどね」

 そう言って泣き笑いになる藤田さん。発覚当時、長男は高校2年生、次男が中学生、長女が小学4年生、そして三男が生後5か月だった。闘病しながらの子育ては嵐のような日々だったはずだが、藤田さんに悲壮感はなく、むしろ時折豪快に笑いながら当時を振り返る。

「手術して抗がん剤治療をしているときは、千葉に住んでいた母が2年間、近所にアパートを借りてくれて、手伝ってくれました。母が寝泊まりするような部屋がなくて、うちに。子供もぐちゃぐちゃしていましたしね、アハハハハ。母は一人暮らしをしたことがなかったから、“案外楽しいかも”って言いながら、家事や子育てを手伝ってくれました。

 下の子の散歩とかね、抗がん剤治療をすると足が自由に動かなくなるんですよね。足が溶けていくような、針でずっと刺されているような痛みがずっと続いて、歩くのがやっと。トイレにどうやって行こうっていうくらい。家の中では這いずり回っていました」

 麻央もブログで、抗がん剤治療により、体力が落ち、トイレットペーパーを折るだけで力尽きてしまうと明かしている。それでも子供の運動会へ…と夢を見る。でも《もし運動会にヨチヨチ歩いていったら、れいかとかんげん、カッコ悪いママで恥ずかしいかな??》と弱音も吐いた。治療はそれほどまでに苛酷なのだ。

 藤田さんは今でこそ親しい友人には打ち明けたというが、治療を始めた当初は、やはり誰にも言えなかった。

「髪の毛が抜けちゃって、容姿が変わっていく姿を見られたくないと思ったんです。髪の毛って本当に大事なんですよ。女の人は髪が命だっていうけど、本当だなって…。この坊主頭を、どうやって隠そうかって…そればかり考えていました…。

 毎日本当に泣いていました。家族に“ごめんなさい”って気持ちでいっぱいだったし、“なんで私が、がんに?”って。“こんなに歯を食いしばって生きて来た私が、なんで?”って。

 それから抗がん剤治療が始まって42才で生理もなくなりました。そこもつらかったですね。女じゃなくなったんだなって。髪の毛もないし、胸もないし、生理もないし…。

 傷ものになった気がして、義母にも申し訳なくて謝りました。そしたら義母には“何言っているのよ!”と怒られて、そして抱きしめてくれました。“私だってつらいんだからね”って言ってくれて…いいお義母さんなんです。けんかもしたことないし。

 私が運よく姑になれるとしたら、義母のようになりたいなって思いました。その頃まで生きていられないかもしれないけど。アハハハハ。だって上のお兄ちゃん、28才なんですけど、まだ彼女いないんですよ。だから安心して死ねないんですけどね。アハハハハ。でも、ひとり娘が嫁に行くまでは心配で死ねないと思っているんです。みんなが落ち着くまでは死ねませんよ。アハハハハ」

 笑顔が印象的だった藤田さんに、記者がそう伝えると、ふと寂しそうな表情を浮かべてこう言った。

「でもね、ここに来るまでは一言では語り尽くせないほどいろんな葛藤があったんですよ。病気になられたかたは、みなさんそうだと思います」

 最初に違和感を感じた24才のときに、藤田さんの胸に乳がんがあったとしたら、もう28年もの間、妊娠・出産・子育てを繰り返しながら、がんとともに生きているということになる。乳がんと宣告されてからも11年。転移もあるトリプルネガティブでも、今日も前を向いて笑っている人がここにいる。

※女性セブン2016年10月20日号

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