目黒虐待死、母・優里被告が告白【前編】「私は無知で…」

目黒虐待死、母・優里被告が告白【前編】「私は無知で…」

結愛ちゃんの母が獄中告白(共同通信社)

 事件が日本中から注目されることになったのは、わずか5才の少女、船戸結愛(ゆあ)ちゃんが虐待死したという衝撃とともに少女が両親に宛てた「反省文」が遺されたからだろう。

《もうパパとママにいわれなくてもしっかりと じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします もうおなじことはしません ゆるして(略)これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたい だからやめるので もうぜったいぜったいやらないからね わかったね ぜったいのぜったいおやくそく(略)あしたのあさはきょうみたいにやるんじゃなくて パパとママにみせるってきもちでやるぞ えいえいおー(後略)》

 両親に許しを請う少女の文面は、けなげで痛々しい。しかし、そのメッセージを向けられた当の母親・優里被告(27才)に話を聞くと、新たな事実も浮かびあがってくる。

 なぜ結愛ちゃんは死ななくてはならなかったのか──。拘置所の優里被告に8度面会したルポライター・杉山春氏が優里被告の肉声を届ける。(前編・全3本)

◆私は無知で、被害者ではなく加害者で…

 優里は、小さな部屋の、透明な仕切り板の向こうにグレーのスエットの上下を着て、黒髪は真ん中で分けてきれいに切りそろえられ、座っている。法廷で黒いパンツスーツで座っていた時よりも、少し幼く見える。

「私は無知で、被害者ではなく加害者で…。言い訳に聞こえたら困ります。でも、結愛のことを生かしてあげたい。そんなふうに思って、できるだけ起きたことをお話ししたいと思いました」

 頭のてっぺんに、短い髪がツンツンと立っている。逮捕後の精神状態が悪化していた頃、頭頂部の髪を無意識に抜いてしまう症状があったそうだ。その部分の髪が少し伸び始めているのかもしれない。

 それにしても、化粧気がないので、どこにでもいる、素朴で可愛らしい若いお母さんにしか見えない。そんな彼女が、なぜ社会を騒がす存在になってしまったのか。

 2018年3月、東京・目黒区の自宅アパートで5才の少女、船戸結愛ちゃんが無残な死を遂げた。直接の死因は、肺炎からの感染症である敗血症だ。だが、死亡時の体重は12.2kg。39日前に香川県から上京してきて以来、4kg以上落ちていた。体には170か所以上の新旧の傷やアザがあった。

 結愛ちゃんは、香川県時代、2度も行政から一時保護されていた。警察当局は虐待死事件として扱い、2018年3月に元夫で結愛ちゃんの元養父・船戸雄大を、6月に優里を逮捕した。雄大は保護責任者遺棄致死罪、傷害罪、大麻取締法違反で起訴され、今年10月、懲役13年で刑が確定。母親の優里も、衰弱した娘を病院に連れて行かなかったとして、保護責任者遺棄致死罪で起訴され、9月に懲役8年を下された。現在、控訴中である。

 一審判決後、私は優里に計8回面会した。毎回、透明板越しの彼女は、精一杯自分の気持ちを見つめ、事実を正確に語ろうとした。もっとも逮捕からしばらくの間は、何度も拘置所内で自死を願い、首にズボンを巻き引っ張るなど試みたこともあったという。

 この一家に日本中の関心が注がれたのは、結愛ちゃんが残した、“反省文”がきっかけだった。

《もうおねがいゆるして》という文章が報道されると、多くの人々が、一家が住んでいたアパートを訪れ、手を合わせた。死の直前の結愛ちゃんは、過酷な生活を強いられていたと報道された。

 午前4時に自らセットした目覚ましでひとり起床。その後、九九や平仮名の練習。食事にも制限が加えられた。朝はスープ1杯、昼はご飯茶碗3分の1、夜はご飯茶碗2分の1。言うことを聞かなければ、それが1日1食となる。

 ルールに背くと雄大から執拗な説教があったとされる。それを、優里が半ば黙認していたかのように伝えられた。だが、事実は少し違う。

 たとえば反省文について、優里は、「逮捕後、(警察から)手紙を見せられて、何これ、って思いました」と語る。

 優里に反省文の記憶はなかった。だが、見せられた現物には優里の添削の跡があった。たとえば「つ」を赤ペンで小さい「っ」に直してある。

「それは明らかに私の字ですから言い逃れはしてない」と言うが、文面にも思い当たることはあった。香川県時代、優里自身が、雄大から毎日のように長時間の叱責を受けていた。その後毎回、LINEで叱ってくれてありがとうという感謝の言葉とともに反省文を送った。雄大を怒らせると、説教がさらに長くなるため、文面は何度も練り直した。その文章によく似ていたという。

「文章を思い出そうとするうちに、結愛が椅子に座っていて私が右隣に座り、赤ペンを入れていた時のことが、写真のようにパッと浮かびました」

 雄大に長時間説教をされた結愛ちゃんをみかね、それ以上叱責されないように、優里が「こう書くと雄大が怒らない」と2人で一緒に書いた可能性があるという。結愛ちゃん独自の文章ではなかった。添削したのは、誤字が新たな説教を呼び起こすからだ。

 ちなみに《あそぶってあほみたい》という文章は、5才児には不自然な表現として話題になったが、もとは優里自身の反省文の一節だと思われる。結婚前、結愛ちゃんと隣街の動物園に行くなど自由に過ごしていたことを咎められ、謝ったという。

 また、書き込まれた《わかったね》という言葉は雄大の口癖だった。反省文からは、結愛ちゃんへの虐待とともに、優里と雄大の歪な夫婦関係も見えてくる。

「彼と結婚した後、私、ものすごく頑張りました。これ以上、頑張れないくらい頑張ったんです。でも、今思うと、頑張る方向を間違っていたんだと思います」

◆「生まれてくる赤ちゃんのためにもしっかりしつけろ」

 優里の前夫は、地元・香川での中学時代からの部活仲間だった。2012年に2人とも19才で結愛ちゃんを授かると同時に結婚。だが、経済問題などから2015年に離婚した。その後、シングルマザーとなって水商売に勤め、ボーイとして働いていた雄大と出会う。8才年上の雄大は物知りで、人脈が豊富。優しかった。しかも丁寧に優里の話を聞いて、間違いを指摘してくれた。

「前の夫にお金をせびられたり、いろいろなことを頼まれたりするたびに、何とかしてあげようとする私に、それは男に利用されているのだと説明してくれたのは、彼でした」

 雄大は、結愛ちゃんをかわいがった。結愛ちゃんも懐いていた。雄大は、保育園への送り迎えも一緒につきあってくれた。結婚を考え始めた時には、結愛ちゃんをどんなふうにしつけようかと将来を話し合った。そして妊娠。2016年4月に結婚した。

 すると「生まれてくる赤ちゃんのためにもしっかりしつけろ」と、急に結愛ちゃんへのしつけを厳しく求めてくるようになった。同年9月、夫婦は長男をもうけた。雄大は実子の息子をかわいがる一方、結愛ちゃんにはさらに厳しくなった。

 11月、結愛ちゃんのお腹を、雄大がサッカーボールのように、蹴り上げた。そばにいた優里には、何が起きたのかわからなかった。「ガラガラと心が音を立てて崩れる感じがした」という。大量の涙が溢れ、かろうじて「やめて」と言えた。すると、雄大は「なんで泣くんだ、泣く意味がわからない、結愛が悪い、直さなくちゃいけない」と、延々説教が始まったという。

 この年の12月と翌年3月に2度、結愛ちゃんは一時保護された。1度目の保護では、雄大は体罰を認めたが、2度目の保護では認めなかった。それぞれ結愛ちゃんは家に帰された。

 2017年12月、まず雄大が仕事探しのため東京に転居。年明けの1月、優里は2人の子を連れて、合流した。

 そして悲劇は起きた。
(中編に続く)

◆取材・文/杉山 春●雑誌編集者を経て、フリーのルポライターに。『ネグレクト』(小学館)で第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。子育て、親子問題、虐待死事件、自死、引きこもりなどをテーマに、数々のルポを執筆している。

※女性セブン2019年12月5・12日号

関連記事(外部サイト)