【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々

【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々

行政改革で歴史に名を残した(撮影/太田真三)

 令和という新たな時代の始まりとなった2019年。今年も多くの人が永遠の眠りについた。政治家、スポーツ選手、ミュージシャンなど、多くの人の記憶に残る人たちだった。(男性編)

■中曽根康弘(元首相、享年101)

 1947年、衆院議員に初当選。1982年、第71代内閣総理大臣に就任。在職中に国鉄、電電公社、専売公社を民営化。1997年、大勲位菊花大綬章を受章。11月29日死去。

■金田正一(元プロ野球選手、享年86)

 カネやんの愛称で親しまれた前人未踏の400勝投手。1951年から14年連続20勝を記録。1955年には来日したヤンキースのミッキー・マントルから3三振を奪う快投。1965年に巨人に移籍、1969年通算400勝を達成し引退。1974年にはロッテ監督で日本一に。10月6日死去。

■萩原健一(歌手・俳優、享年68)

 ザ・テンプターズのボーカルとしてGSブームを牽引。ドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』で俳優としても人気に。3月26日消化管間質腫瘍により永眠。

■内田裕也(ロック歌手・俳優、享年79)

 1966年のビートルズ来日公演では特別編成のバンドで前座を務め、「ザ・タイガース」生みの親だった。昨年9月15日に没した妻・樹木希林を追うように3月17日肺炎で永眠。

■堺屋太一(作家、享年83)

 1976年、小説『団塊の世代』がベストセラーに。1998年から約2年間、小渕恵三内閣で民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。2月8日多臓器不全で死去。

■ケーシー高峰(漫談家、享年85)

 日本大学医学部に入学するも、芸能活動の夢捨てがたく芸術学部に転部。1960年代後半から下ネタを取り入れたお色気医事漫談で人気に。4月8日肺気腫で没した。

■高島忠夫(俳優・司会者、享年88)

 日本一の仲良し芸能一家の大黒柱が静かに旅立った。『ごちそうさま』『クイズ・ドレミファドン!』『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで司会を務め、「イェーイ」の決め台詞でお茶の間を盛り上げた。晩年は闘病生活が長く続き、6月26日老衰で永眠。

■和田誠(イラストレーター・ 映画監督、享年83)

 たばこ「ハイライト」のデザインで一躍人気イラストレーターに。その後監督した映画『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』が大ヒット。妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。10月7日肺炎で死去。

■安部譲二(作家、享年82)

 名門麻布に入学、英国留学、暴力団組員、JAL客室乗務員などを経て、1986年刑務所での実体験を描いた小説『塀の中の懲りない面々』がベストセラーに。9月2日急性肺炎で死去。

■竹村健一(評論家、享年89)

 パイプを片手に鋭い視点で世相を斬り、「デリーシャス」などの流行語も生んだ。口癖は「だいたいやねぇ」。著書は数百冊にのぼる。7月8日多臓器不全で死去。

※週刊ポスト2019年12月20・27日号

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