『同期のサクラ』が連想させるあの“疑惑の桜”の見苦しさ

『同期のサクラ』が連想させるあの“疑惑の桜”の見苦しさ

「忖度」できない人間は排除されるしかないのか(公式HPより)

 臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々を心理的に分析する。今回は、まもなく最終回を迎えるドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ系)を分析。

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 民放の連続ドラマはもう最終回。この秋クールは、米倉涼子主演の木曜ドラマ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日系)を始めとするシリーズものが順調に視聴率を稼ぐ中、なかなかの健闘ぶりを見せているドラマがある。高畑充希主演の『同期のサクラ』だ。

 高畑演じる主人公「北野桜」は、バカがつくほど正直で忖度知らず。花村建設に入社して、故郷の島に橋を掛ける、人を幸せにする建物を造るという夢に向かって突き進むのだが、そこには忖度できない不器用さや一途な生真面目さが招く数々の試練が待ち受けている。このドラマは、そんなサクラと同期たちの10年間が描かれている。

 ドラマの中では、毎朝繰り返されるルーチーン、きれいに片付いた部屋、毎日同じ地味なスーツ姿、はっきりした丁寧な話し方、同じ角度で名刺を出しお辞儀する姿など、不器用さや生真面目さが際立つようサクラのキャラが描かれている。

 サクラのようにはっきりしたキャラは、俳優にとって演じやすいだろうが、確かな演技力がないと、見ているうちに動きやセリフが鼻についてくるものだ。そうなると、せっかくの演技も薄っぺらく面白味にかけ、だんだんと飽きがくる。だが高畑さんは、大袈裟でわざとらしい演技と微妙な演技を使い分けるのがうまい。目や声の微妙な変化、身体の細かな動きで感情を表現し、サクラの内面をしっかりと演じているのだ。

 サクラは、組織の中で忖度するのが当たり前と思われるシーンで、立場が上の相手にまっすぐに視線を向けたまま、自分の意見をストレートにぶつける。ここでいう忖度とは、融通を利かせ、見て見ぬ振りをし、長い物には巻かれること。それができないサクラに、周囲は期待に沿うよう、組織の求める行動をするよう「大人になれ」と圧力をかける。「同調圧力」だ。同調圧力がかかろうと、サクラは自分の心に嘘をつかず、まっすぐに自らの道を進もうとする。しかし、組織はそれを許さない。

「サクラ」と「忖度」、この2つの言葉が並べば、おのずとあの“桜”が連想される。招待客の選考基準や首相枠、名簿の消却など、“疑惑の花”が満開となっている安倍晋三首相主催の「桜を見る会」だ。

 森友学園問題や加計学園問題で話題になった“忖度”が、今回もあちらこちらで垣間見えている。官僚たちの答弁は的を得ず、不都合なものは次々に消されていく。安倍首相も菅官房長官も「問題はなかった」「適切だった」という主旨の答弁を繰り返し、二階幹事長からは「大体こういうことであったというのがほぼ皆に分かっただろうと思うから、これで結構じゃないかと思っている」という発言も飛び出した。これこそ、政権内に漂う同調圧力に忖度する姿ではないだろうか。ドラマの中のサクラがまっすぐであればあるほど、連日報じられるこうした現実とのギャップを感じずにはいられない。

 『同期のサクラ』は12月18日が最終回。亡くなった「じいちゃん」が、最後にサクラに送ったFAXには、「桜は決して枯れない たとえ散っても必ず咲いて 沢山の人を幸せにする」と書かれていた。忖度できないばかりに傷だらけとなったサクラが、復活してじいちゃんの言葉通り花を咲かせることができるのかが注目となる。一方、桜を見る会の“疑惑の花”は、さっさと散って二度と咲かないで欲しいものだ。

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