「しくじり世代」が京アニ放火男へと堕さないために必要なこと

「しくじり世代」が京アニ放火男へと堕さないために必要なこと

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「しくじり世代」とは、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアに対して近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏がつけた呼び名だ。彼らは1993年〜2004年頃のバブル崩壊後の新規採用が特に厳しかった時期に新卒を迎えた就職氷河期世代であり、30〜40代になった今も非正規雇用、なかでも正規を望んでいるのに叶えられずにいる割合が高い。総務省の労働力調査によれば、35〜44歳人口は1679万人、そのうち非正規雇用は28.8%にものぼる。その、しくじり世代のひとりが、未曾有の大惨事となった京都アニメーション放火事件の容疑者だった。みずからも「しくじり世代」である日野氏が、容疑者のしくじりから、30〜40代の生き延び方を考えた。(文中一部敬称略)

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 2019年7月18日、京都アニメーション第一スタジオに押し入り放火、36人もの日本が誇るクリエイターたちの命を奪った青葉真司。

 彼は全身の90%もの火傷を負いながらも、近畿大学医学部附属病院熱傷センターが誇る最先端の医療技術によって生き長らえた。

 34人の死亡後、2名が別の病院で入院中に亡くなられたことを考えると青葉の命拾いは納得いかないが、青葉は病院で「こんなに優しくされたのは初めて」などと泣いたという。別に青葉の命が大事なのではなく、青葉を被疑者死亡で幕引きさせないため、そして責任を取らせるためであり、私からすればこれだけのジェノサイドを実行しておいて、どこまでも自己本位かつおめでたい性格としか思えない。

 青葉は犯行時41歳。1978年生まれの氷河期世代にあたる。私は1972年生まれ、私も仕事で何度かお会いした京アニの犠牲者の一人、武本康弘監督も1972年生まれの同学年だ。

 拙著『しくじり世代』は奇しくも本事件と同年同月に刊行された。1971年から1981年生まれの団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアを取り上げたノンフィクションで、同世代の青葉と重ねて紹介されたこともある。今年1月の野田小4虐待死事件の父親が41歳、6月に家庭内暴力と引きこもりのあげく農水事務次官の父親に殺された息子が44歳、9月の東名あおり事件のエアガン男が40歳と、注目の事件に同年代が続出したことも手伝ったのかもしれない。前年には41歳のブロガーが43歳の無職にネット上の揉め事で刺殺されている。

 私にとっての団塊ジュニア・氷河期世代のキーワードは「競争」である。

 人口過多による過度の競争は団塊ジュニアを受験戦争、就職戦争に駆り立て、ときに他者を蹴落とし、ときに他者によって蹴落とされた。今とは比べ物にならないほど少ない大学の数に比しての受験人口の多さから大学受験は狭き門となり、偏差値50程度の高校なら大学全落ちの合格大学ゼロは当たり前、苦労して入っても卒業時にはバブルははじけ、就職氷河期となっていた。運良くそれを乗り越えた者も四大証券のひとつだった山一證券が自主廃業を決めたことにより起きた山一ショック(1997年)、米孤高の投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに始まった世界規模の金融危機リーマンショック(2008年)と相次ぐ淘汰の波に晒された。

「しくじり世代」のしくじりとは、自己責任ではどうにもならないことの積み重ねで起きたものが多い。仕事、恋愛、結婚など、子供のころに大人たちから「真面目に普通にしていれば手に入れられる」と聞かされていたのに、まったくそうはならなかった。連なる不運に見舞われ挽回の手段をつかむ競争も熾烈で、そこでも失敗して「しくじり」を重ねる結果になった人も多い。普通が普通でなくなったことでしくじらされたというわけだ。もちろんこれは自己認識の問題であり、本書の登場人物は「全然しくじってない」という意見もあったが、それは当然で社会保障、福祉の範疇に当てはまるような方々は入れていない。それは世代に関係なく一定数存在するはずで、世代論をあいまいにしてしまうのであえて外している。

 ドキュメント『しくじり世代』には、そうした競争世代の中で蹴落とし、蹴落とされ、そしてしくじったサバイバーが15人登場する。もうおじさんおばさんだというのに競争を、上昇志向をやめない団塊ジュニアの叫びである。地方名門公立高校や有名大学を出たにも関わらず、就職や結婚という旧来当たり前とされたレールに乗ることが出来ずに脱線した連中や、あるいは青春時代に底辺高校でヤンキー文化に染まり、いまだに一発逆転を夢見ているような連中である。

 青葉はその一発逆転を夢見た後者にあたる。私は拙著『京アニを燃やした男』で青葉の出生から今回の愚行までの生涯を追ったが、彼は端から団塊ジュニア上位による競争とは無縁の「非正規」人生である。非正規、これも団塊ジュニアの重要なキーワードであり、その中の一人が青葉である。

 青葉は生まれながらの殺人鬼ではない。埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれ、貧しい父子家庭ながらも地元の定時制高校に通い、高校卒業まで役所の臨時職員で家計を支えた。しかし役所は派遣会社を使うことになり青葉は雇い止めをくらい、卒業後は春日部市のアパートに一人暮らし始め、時給のいいコンビニの夜勤で働いた。そして労働者派遣法の規制緩和による派遣全盛期に実入りのいい派遣の道を選んだ。しかしリーマンショックによりバブルは弾け、食い詰めた青葉は再婚して地元に戻っていた母親を頼り、ハローワーク経由で雇用促進住宅に入居、2009年ごろ、郵便局で非正規のゆうメイトとして働く。

 職選びに関しても青葉は見事なほどのしくじりぶり、団塊ジュニアの負け組における典型的な転落の地雷をこれでもかと踏み続けている。

 いつしか青葉は一発逆転を夢見て小説を書き始める。青葉はワナビであった。

 ワナビとは、英語のスラングwanna be、want to be(〜になりたい)をあえてカタカナ表記した言葉で、「何者かになりたい」人のこと、とくに作家志望者のことを指すネットスラングのひとつだ。ここでいう小説とは純文学や一般小説ではなく、いわゆるライトノベルのたぐいである。

 青葉は2012年にコンビニ強盗で逮捕された後に収監された刑務所内でも書き続け、出所後に京アニの賞に応募、それがパクられたと思い込み、今回の事件を引き起こす。青葉の夢は「大金持ち」であった。コミックほどではないがラノベにも一獲千金の夢がある。もっと下の世代なら動画投稿者など他のネットを中心とした手っ取り早い一発逆転を考えそうなものだが、あくまで作家として王道の受賞デビューを目指した。この辺、昭和の残滓である団塊ジュニアならではの旧来価値観から抜け出せない愚直さが青葉にはある。というか基本的に不器用だ。

『京アニを燃やした男』でも当時の同級生から話を聞いているが、青葉はジャンプを読み、ファミコンに興じ、ガンプラを作る、1980年代の典型的な団塊ジュニアのどこにでもいる少年であった。この点で私たちと何ら変わることはない。背が高くスポーツも得意だった。貧しかったといっても社会保障的な貧困と定義するほどでもない。しかしバブル後の社会に高卒非正規で放り出され、長きにわたる氷河期によってしくじり続け、今回の事件に至った。

 この青葉の帰結は極端だが、私たちもバブル崩壊後に放り出され(高卒の団塊ジュニア1期は違うが)、今や大なり小なり差が出来た。「サザエさん」のマスオや「クレヨンしんちゃん」のひろしはギャグ漫画の立ち位置として可哀相なサラリーマンのお父さんだったが、いつしか「勝ち組」と呼ばれるようになった。団塊ジュニア・氷河期世代には当たり前の正規職も、当たり前の結婚も、当たり前の我が子もいない層がひしめいている。下手をすると肉親とも疎遠で孤独の中かもしれない。

 青葉も高校を卒業してすぐ、父親が自殺したあげく兄弟はバラバラ、孤独の中で40歳を迎えた。40歳といえば正社員のサラリーマンとして毎日満員電車に揺られ、うるさい妻がいて、生意気な子がいて、小さなマイホームにマイカーくらいはあって当たり前と私たち団塊ジュニアは思い込んでいた。いや、むしろそんな平凡な人生に落ち着くのは嫌だったかもしれない。だが、いまやすべて揃えるのは高値の花となってしまった。平凡でつまらないと思い込んでいた自分の親すら越えられないなんて!

 残念ながら、旧来の成功価値観としての挽回は無理な人もいるだろう。それは匿名掲示板で学歴マウントやヘイトを垂れ流したところで解決などしない。「しくじり世代」もそんな大人こどもだらけである。何度も書くが、もう40代のおじさんおばさんなのに。

 青葉は間違いなく私たちと同じ団塊ジュニアであり、結果の特殊性はともかく、多くの同世代とともにしくじった氷河期世代である。同じにするなと言うかもしれないが、現実である。

 それにしても、しくじりの真の恐ろしさは孤独である。昨今は孤独礼賛の向きもあるが、とても恐ろしいことだ。

 なぜなら、こんなしくじり続けた青葉にも寄り添う者はたくさんいた。面倒を見続けた母親、保護司やスタッフ、定時制の先生たち、瀕死の火傷から救ってくれた医療スタッフに「こんなに優しくされたのは初めて」などと言う前に、すでにいたはずの彼らに気づけなかったこと、その未熟な社会性と感受性の欠如こそが、責任を転嫁し続けた不遜な被害者意識による孤独こそが妄想を生んだ。

 孤独は時にローンウルフを生み、結果京アニ事件のようなジェノサイドすら生み出す。これは私たち団塊ジュニア・氷河期世代にとって他人事ではない。もう私たちは40代、先は長くない。しかしまだ40代、これから中高年、高齢者として折返しの地獄を経験することにもなる。団塊世代と同じように、その数の多さと少子化による人口ボーナスを享受する老人として非難や蔑視を集めるエイジズムの対象となるだろう。

 そして、これからもしくじりは待ち受ける。その地獄はもはや社会に対する転嫁や若いころの恨みつらみで乗り越えられるような試練ではない。ましてや団塊世代ほどの世代連帯もなく、手厚い年金も望めないであろう私たちは、このままでは改めてしくじった者から順に各個撃破されるだろう。

 青葉の末路は特殊だが、青葉の歩んだ時代は私たちそのものである。だが私たちは青葉になってはいけない。独りよがりの孤独は私たちにも必ずいるであろう良き肉親、良き友、良き他人に気づき、時に頼り、時に感謝することできっと乗り越えられる。そのような他者は誰にでも必ず存在する。私たちがしくじるとするなら、それに気づいていないだけなのだ。これまでしくじったとするなら、それに気づけなかっただけなのだ。そんなことでと思うかもしれないが、シンプルな幸せを忘れたところにしくじりがあるのだ。それならそれでしくじりを認めよう。認めた上で先に進もう。

 そして団塊ジュニア・氷河期という困難を生き抜いてきたことに誇りを持とう。偏差値の輪切りや昭和のルッキズムで比べられ続けた私たちは、今こそ自身の幸福を絶対視しよう。無意味なマウントや競争、くだらないヘイトをやめて相対的な自己ではない、絶対的な自己、幸福を求める先に、私たちしくじり世代の落ち着きどころがあるのだから。

 もう団塊ジュニアが団塊ジュニアを殺す光景はまっぴらごめんだ。

●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。

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