JR成田線湖北駅 一部撤去「行商台」持ち主探しまでの顛末

JR成田線湖北駅 一部撤去「行商台」持ち主探しまでの顛末

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 JR成田線・湖北駅に張り出された「行商台について お知らせ」が、SNSで話題を集めている。ホームの工事にともない撤去を予定しているのだが、所有者が分からないため名乗り出て欲しいというものだ。ライターの小川裕夫氏が、行商台とは何に使われ、これからどのように変えられてゆく予定なのか、レポートする。

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 JR成田線のホームには、ベンチにしては位置が高すぎる鋼鉄の物体が今も残されている。これはかつて、行商人が背負うカゴを置く行商台として利用されていた。

 行商とは、注文を受けて配達するのではなく、買ってくれる客がいそうな地域に商品を運搬しながら販売する商行為で、それを行う人たちは行商人と呼ばれる。江戸時代から続く富山の薬売りも行商人の一種だ。明治期以降は各地に鉄道が敷設されたこともあって、行商人たちの行動範囲や販路は急速に広がった。関東大震災(1923年)をきっかけに千葉や茨城の農村や漁村から、大きな風呂敷を担いで野菜や鮮魚などを売り歩く行商が盛んになったと言われる。行商は農家にとって貴重な現金収入を得られる機会でもあるが、交通網の発達で販路が広がったことによって、行商は活発化した。

 行商人が背負うカゴは、一人あたり約60キログラム。体力のある若者でも、毎日60キログラムの荷物を背負うのは身体的にシンドイ。できるだけ体力を消耗しないように、行商人たちは列車内で荷物を置いて体を休めた。また、ホームで列車を待つ間も体に負荷をかけない工夫がなされた。それが、ホームに設置された行商台だ。

 行商台は、一見すると鋼製の簡素なベンチのように見える。しかし、腰を掛けるには位置が高い。これは行商人が背負ったカゴを置くために設計されているからだ。そのため、背負ったまま荷物を置くにはちょうどいい高さになっている。たくさんの行商人たちが乗降した駅には、こうした行商台が何台も設置されていた。

 このほど、成田線湖北駅の行商台に貼り紙がされた。貼り紙には、撤去した行商台の持ち主を探していると書かれている。なぜ、こんな貼り紙がされたのか?

「ホームに設置されている行商台は、JRが所有しているものではありません。行商組合の所有物と思われますが、現在は行商組合が解散しています。そのため、持ち主が不明になっているのです。こちらで行商台を勝手に処分するわけにはいかず、所有者を探す貼り紙をしました」と話すのは、JR東日本千葉支社総務部総務課の広報担当者だ。

 行商そのものは、東名高速道路が開通するなどして全国の道路整備がすすみ、流通の仕組みが発達するにつれ全国的には衰退した。しかし、茨城県や千葉県といった農業の盛んな地域からは、東京という一大消費地に隣接している地の利もあって行商が続けられ、時代が平成になっても行商人が列車に乗って東京へと向かった。しかし、2013年にはついに京成電鉄に残されていた行商専用車を組み込んだ列車の運行も終わりを迎えた。

 行商列車はなくなったが、今も湖北駅のホームには3つの行商台が現存している。それまで、湖北駅のホームには7つの行商台があった。しかし、駅ホームの改良工事に伴って、4つを一時的に撤去した。撤去された4つの行商台は廃棄されず、JR東日本千葉支社が保管している。

「今回、持ち主を探しているのは、ホームから撤去されたこの4つの行商台です。残っている3つの行商台は、そのままホームに残す予定です」(同)

 こうした貼り紙がされたことから湖北駅を利用していた行商人は多かった印象を受けるが、実はそれほど多くない。統計資料などによると、同じ成田線の小林駅は一日に500人以上の行商人が利用していた。次いで、布佐駅や安食駅の数が大きい。時代によって数の上下はあるものの、一貫して湖北駅の行商人はこれらの数より少ない。なにより1964年には調査対象外として統計さえ取られることはなかった。

 同年の調査では、成田線を利用する行商人は一日平均で約1750人にも及んでいる。それだけに、成田線のほかの駅にも同様の行商台が設置されている。これらの駅にある行商台は、どうなるのか?

「形状は異なりますが、成田線の小林駅や布佐駅にも行商台が設置されています。今回の措置は、あくまでも湖北駅のみになります」(同)

 成田線のほか、常磐線や総武線の沿線にも行商人が多かった。駅舎やホームの改良で、こうした路線からも次々に行商台が消えていった。そして、行商そのものが人々の記憶から忘れられつつある。

 いまや街にはコンビニやスーパーがあちこちにあり、ネットでも簡単に買い物ができるようになった。また、商店の少ない地域には買い物支援として移動販売車が巡回することもある。さらに、近年ではスマホアプリから操作するだけで、自宅まで食べ物を届けてもらえるUberEatsも登場した。

 行商は形を変えて現代にも受け継がれるが、産地直送という面では古来からの行商に及ばない。間もなく、これまでの行商人はいなくなるだろう。行商列車が消えたのは自然な流れといえる。

「12月末までは行商台の所有者を探すことになりますが、仮に見つからなかった場合の対応は未定です。博物館などへ寄贈するかどうかも含めて、現段階では何も決まっていません」(同)

 何気なく駅ホームに残されている行商台は、私たちの知らないところで日々の暮らしを支えてきた。行商台は、それを伝える貴重な文化財でもある。政治や経済といった大きなトピックスは歴史的にも記録されるが、当たり前のように存在していたモノやコトの保存は難しい。だが、東京の台所として一時代を築いた物流の歴史として、行商にまつわる記録は貴重なものとなるはずだ。

 

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