私が市議選出馬を決めた47歳の一流企業社員を応援する理由

私が市議選出馬を決めた47歳の一流企業社員を応援する理由

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 30〜40代の就職氷河期世代は、多感な時期を常に同世代と争い、競って過ごしてきた。だが、どれだけ頑張っても親世代と違ってうまくいかず、競争ばかりしてきたためか努力が足りなかったと思ってしまう人が多い。その失敗は、自己責任だけではなくまだやり直せるという期待をこめて彼らを「しくじり世代」と名付けたのは、近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏。今回は、「日本を変えたい」と市議会議員選挙出馬を決意した47歳男性についてレポートする。

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 関東近郊の私鉄、各駅停車駅構内で待ち合わせると、パリッと決めたスーツにネクタイとチーフ姿の男が待っていた。田中真次さん(仮名・47歳)の様相はすっかり変わっていた。私が知る田中さんはいつもラフな格好で、スーツやジャケットを好む私を揶揄する側だった。おしゃれでなかなかのイケメンでもある。細身長身がとてもうらやましい。

「県議会議員のお手伝いに行ってたんだ。党員も大変だよ」

 駅前の喫茶店、さっそく党員証も見せてもらった。なかなか見るものではないから興味深い。

 彼の噂は聞いていた。私にとっては業界関係なしの昔なじみだが、サラリーマン生活をやめて政治家を目指し始めたことはメールで聞かされていた。直接会うのは久しぶりだ。

「以前から政治には関心があったんだ。それは知っているだろ」

 1990年代後半、確かに彼と食事すると政治問題の話になった。よく覚えているのは1997年の第2次橋本改造内閣発足時、ロッキード事件で有罪判決を受けた過去を持つ故・佐藤孝行衆議院議員が入閣した時にえらく怒っていたことだ。「中曽根の陰謀」と当時語っていた。

 私も彼もお互い20代、まだインターネットは電飾ネオンのような個人ホームページが関の山の時代だった。このあと本格化するIT革命など知るよしもなし、才ある団塊ジュニアの若手起業家や技術者は自らの氷河期を挽回するかのように、この革命の「波」に乗った。この前年に堀江貴文(1972年生まれ)はオン・ザ・エッヂを創業、1997年になると青野慶久(1971年生まれ)はサイボウズを、佐野陽光(1973年生まれ)はクックパッドの前身となる会社を、槙野光昭(1973年生まれ)は後のカカクコムを創業した。徒手空拳の彼らに賭けた同世代のメンバー含め、1971年〜74年生まれで新卒時には就職氷河期だった団塊ジュニアにとって、最初の挽回のチャンスだったと言えるだろう。転職時に「変な名前の怪しい会社」と皆から笑われた私の知り合いは、いまや執行役員である。

 この波に乗り成功する少数以外は負け組と呼ばれるような格差社会になるなんて、どれだけの日本人が予想したことか。私はオタク系のフリーライター、彼は老舗企業のサラリーマンで、今から思えば目端の利かぬ「波の外」の凡人だった。そう、今から思えば、我々にもチャンスはあった。なかったことにしてはいけない。

「じつはね、市議会議員になろうと思うんだ。いま地方議会はどこも定員割れでなり手がいない。無所属じゃ大変だけど、党によってはすぐ議員になれる」

 なるほどそうかもしれない。会社で40代は中堅であり、残るか去るかの選別対象だが、政治の世界で40代は若手どころかひよっこだ。落選が数人、下手すると全員当選どころか、なり手に四苦八苦している地方自治体なら、若い人は当選する可能性が高いし、現にそんな40代新人議員も多い。もっとも主要政党だとそれなりに厳しい審査もあるだろうが、彼は一流大学から一流企業、昔からとても頭が良くてリーダー然としている。それでいて案外抜けているところも魅力だ。目のつけどころを褒め、話を膨らませてみると、意外な名前が返ってきた。

「Mって知ってます?」

 私はそのMを知っていた。ネット界隈で古くからお騒がせの人物だが、懐かしい名だ。

「彼が市議会議員選挙で次点になったんです」

 言われてスマホで検索すると、たしかに次点に名前がある。

「Mが次点なんてびっくりだろ? ぶっちゃけ若けりゃ当選しちゃうんじゃないか、そう考えたんだ」

 確かにそうかもしれない。彼の言うMの市は過疎ではなくそれなりに大きな市だ。親が議員といった二世候補でもない。しかし、聞きかじりの知識からだが、市町村議員のなり手の少なさは議員報酬が安いことにあるのは不安ではないのかと聞いた。地方議員は報酬が低いだけでなく、必要経費も持ち出しになることが多いとも言われている。規模が小さい町村議会だと政務活動費もないらしい。報酬が高い市の選挙は自ずと主要都市に限られるため激戦となる。

「安いけど、独身だからなんとかなるよ」

 単身なら、まったく食えないということもなさそうだ。選挙費用も貯金があるし、親も応援してくれているという。息子が市議会議員になれば鼻も高いだろう。だがやっぱりいちばん聞きたいのは、市議会議員になって何がしたいかだ。それを質問したとたん、待ってましたとばかり、田中さんは口を開いた。

「日本を変えたいんだ」

 私は少し違和感を覚えた。別に市議会議員が日本国を思うのは構わないが。

「正直、市議会は踏み台なんだ。とにかく当選しそうな市なら構わない」

 個人の手段として否定することもないだろう。でも、細かい市政の話とか、突っ込まれると困るのでは?

「その辺は市政を批判するか、市政のわかりやすい部分を訴えれば問題ない。保育所や託児所の問題とか、開かれた議会とか、とくに子育てと介護は鉄板だ。要する子どもと老人、国政ともつながる話だろう?」

 そんなに簡単な話なのだろうか?

「意外とそんなもんだよ。他の候補者も変わりゃしない」

 確かに。地方行政の問題はそのまま国の問題にもつながる話だ。しかし実際はその市町村独特の問題や改善などが中心であり、こんなぼんやりした政策では訴求力が弱そうなものだ。とはいえ、若手であるならその意気やよしと受け取る有権者もいるだろうし、細かな公共事業や福祉政策の話より、わかりやすいと言えばわかりやすいかもしれない。もとより彼にとっては具体的政策は後付けで十分なのかもしれないが。

「日本を変えないと、ブサヨや特亜の連中に乗っ取られるよ。そんなことはキミも知ってるだろ?」

 ちなみに「ブサヨ」とは「ブサイク」な「左翼(さよく)」を、「特亜」は「特定アジア(亜細亜)」として中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を指すネットスラングだ。2000年代半ばから巨大匿名掲示板2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)で使われ、広まった。

「愛知の展示物の捏造とか、知らない間に地方自治体が食い物にされてるからね。そもそも日本国の議員になるなら、国会議員だろうと地方議会議員だろうと国を愛するのは当然だし、国のために働くのは当然だろう」

 私はうなずいてみせた。伝統俳句かつ社会性俳句の詠み手でもある私にとって、変なスラングや表現の自由に対する不理解はいただけないが、彼なりの理屈の中での筋は通っている。漠然とした目的と主義主張、受け売りのネットスラングの口汚さはともかく、今の日本をこのままにしてはいけないという考えには共感できる。これで国会議員を目指すとなるとまだまだ勉強不足だし、それは本人も認めているが、その発心で入党にまで至った行動力と日々の運動は凄いと思う。

 話がさらに続きそうなので、ネットスラングはやめたほうがよい、特定個人を傷つけるヘイトもメリットがないと、やんわりと伝えた。

「それはわかってる」

 田中さんの真面目さはわかっている。ちょっと影響されただけだろう。

「思ってても出さずに上手くやるのが政治家だぞ」

 私の受け売りの偉そうな言葉に、田中さんは笑ってうなずいた。

 思えば私たち団塊ジュニアは1990年代まで、政治はダサくてかっこ悪いものと考えていた。団塊ジュニアにとって政治に関わることは「ダサい」ことだったし、政治を語ることは「気持ち悪い」ことだった。幸い進歩的な家庭、洗練された地域に育った者は違うのかもしれないが、おおよその田舎の同世代たちの感覚はそうだ。学校で政治の話をする奴なんてクラスの変な奴だった。

 そして21世紀、本来は政治とは若者も加わって動かすもののはずなのに、いまだに政治のイニシアチブは取れず、いつの間にか不利な労働、不利な制度が決まることが繰り返されている。政治参加どころか投票率すら低いまま、世代として政治に影響力を何ら掴むことのできなかった団塊ジュニアは、氷河期を発端にいまでも各個撃破され続けている。

 敗戦からめざましい復興を遂げ「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言したのが1956年。1973年まで続いた高度成長期において、戦争によって年配の世代にあたる人口が少なかった影響はあるものの、政治家とは多くは20代、遅くとも30代でなるものだった。1972年に首相となったとき田中角栄は54歳だったが、彼は二十代のときから国政選挙に出馬していた。

 高度経済成長からバブル期までの繁栄は、第一次ベビーブーム(1947年〜1949年生まれ)と第二次ベビーブーム(1971年〜1974年生まれ)によって、子供と老人の割合が少なく15〜64歳の生産年齢人口が多い人口ボーナスが発生していた影響が大きい。その繁栄のうちに来る縮小期への備えをしておけばよかったのに、何も行われなかった。人口ボーナス期が過ぎるまで受験戦争、就職戦争に興じ、多くが雇われて働く安定を目指し突き進んだが幾度もの挫折を味わったのが、現在の団塊ジュニアを中心とした「しくじり世代」のおじさんおばさんである。

 同世代との競争ばかりしてきた結果、同世代が力をあわせて社会で何かを生み出すことをほとんどしてこなかった。政治への参加も消極的だった。その結果、ポスト団塊ジュニアを含めれば二番目に人口が多い世代だというのに、いまだに政治を我々の手で決められず、救済をお願いするしかない世代でもある。もう40歳を過ぎたどころか50歳にも手が届くというのに。田中さんが何らかの形で主体的に政治に関わるのは喜ばしい動きだろう。がんばってほしい。ちょっと考えが違う部分もあるけど、その時になったら応援するよと伝えた。

「やめろ、応援したらこの記事で特定されちゃうだろ」

 言われてみればそうだ。選挙民には知られたくない本音も明かしてくれたのだから。二人で笑った。

 田中さんの「ちょっと違う」感はともかく、本来は政治とはこうして参加するものなのだ。私とて自身の趣味趣向に邁進するばかり、いつの間にか消費税は10%になり、介護保険は値上がりし、非正規ばかりの社会になっていた。残念ながら、年をとっても年金を受け取るのはうんと先延ばしになるだろうし、もらえるかもあやしいだろう。そもそも政治的圧力も持たない、自分たちの年金も決められない私に、世代になっていた。

 いろいろ問題を起こす議員もいるし、極端で変な議員もいる。団塊ジュニアの政治家によるやらかしも多い。なったらなったで支持者や地域住民との付き合いも大変だし、党内の人間関係もあるだろう。それでもいままでの反省を踏まえ、政治に参加したいという同世代は、その姿勢を応援したいし、背中を押すべきだ。

 氷河期世代はどうしても経済的な苦境ばかりクローズアップされるが、解決するには政治との関わり抜きでは不可能だ。もしこれから人数が多い世代の少なくない人たちが貧困層として固定され、支えあえる家族も持たずにそのまま年老いたら、安定した社会を脅かす大きな要因となり得る。危険を回避するために、政治の力は不可欠だ。困難だと分かっている問題が迫るなか、まっとうな政治行動を志す人は素晴らしいし、ともに行動したいと思わせる。いまからでも遅くはないし、遅かろうとも何もしないよりずっとよい。

 田中さんには、ともかく日本をどうにかしたいという純粋な気持ちがある。党の下働きをいとわず、雑巾がけできるくらいの行動力と心意気があるのだから、このご時世、爽やかなルックスも相まって、どこかの市議会選挙なら当選するだろう。市町村合併と定数削減が遅れているおかげで、有権者数と立候補者数のバランスが悪くなっているいまがチャンスだ。

「俺たちはいずれ多数派になる。その時こそチャンスだ」

 いずれ私たち団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアは下の世代に対して圧倒的な「数の優位」を達成する、これが田中さんのいう「多数派」なのだろう。氷河期世代にとって、最後の頼みの綱とも言える。多数派の意見を中心に動く民主主義が続く限り、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアが有するであろう圧倒的な武器だ。これにより、私たちの世代に有利な政策も社会保障も通りやすくなるだろう。しかしこの考え方は、数による威圧を肯定しているとも言えるので、いずれ老害と呼ばれるかもしれないが――。実際、すでに「根性論・昭和脳の団塊ジュニア」だの「俺たちは氷河期で苦労したのにお前らは…」的な上司、先輩がうざいという、そんな記事もちらほら見かけるようになった。

 多数派であるチャンスを訴える田中さんは、これまで「世代による連帯」がまったくなかったことが失敗だったとして、それも伝えたいと言う。社会の変化は与えられるのではなく世代で掴み取るのだと。自分の個人的な興味の世界ばかりに生きてきた私には耳の痛い話だ。政治とは「あなたを幸せにしたい」ということだということは、同じく団塊ジュニアでもあるれいわ新選組の山本太郎氏が実践し、教えてくれている。是非はともあれ、意義ある行動だ。

 田中さんのように政治を国政であれ、地方自治であれ実際に行動してくれるのは頼もしい。私は心臓疾患を抱えているので政治の激務には耐えられないだろうし、みな40代も過ぎれば徐々に傷病的、体力的な面でも脱落する。金銭的、家庭的な面で難しい人も多いだろう。ほとんどの人は現実にそうだ。しかし、実際の政治の場に代弁者のいない層はないがしろにされる、という現実を身にしみてわかっている。脱落者はなおさらだ。田中さんに限らず、政治を志し行動する人を世代として応援したいと思う。世代の連帯に失敗した私たちの反省と、この先の再構築のために。(文中一部敬称略)

●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。

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