成人本自販機全撤去宣言する自治体続出、消滅した県も

エロ本自販機、ネットの普及や規制条例により衰退 過去に東京では3500台が稼働

記事まとめ

  • 篠塚ひろみ、寺山久美、小川恵子などが活躍した自販機専用のエロ本「自販機本」
  • 「ビニ本」登場で逆風が吹くも、1980年代前半に第2のブームが訪れ年500億円売り上げた
  • その後、エロ本自販機の全撤去を宣言する自治体が相次ぎ、1道1府11県で姿を消した

成人本自販機全撤去宣言する自治体続出、消滅した県も

成人本自販機全撤去宣言する自治体続出、消滅した県も

1980年代には幹線道路沿いに無人の自販機ショップが続々登場した

 昭和の時代、街中にひっそりと佇んでいたエロ本の自動販売機。近年、すっかり見かけないあの箱はいったいどこにいったのか? 3年半にわたって全国中を探し求め、『あの日のエロ本自販機探訪記』を上梓した黒沢哲哉氏が青春時代の原風景が残る世界へと誘う。

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 自販機専用に制作されたエロ本、いわゆる「自販機本」が出現したのは1975~76年頃。その数年前に登場した雑誌の自販機に関わる業者が、エロ本の出版社と組んで自販機本を作り始めたのだ。エロ本自販機は瞬く間に広まり、『ポルノ雑誌の昭和史』(川本耕次著)によれば、その数は1977年11月時点で全国に1万台、東京では3500台が稼働していた。しかも、その頃はたばこの自販機と同じように、夜でも人通りのある道路に置かれていた。

 その頃の自販機本で活躍した篠塚ひろみ、寺山久美、小川恵子を覚えているだろうか。経費を抑えるために起用された素人モデルだが、彼女たちのルックスレベルは高かった。特にぽってりした唇がエッチで、陰のある無表情が妙にそそる小川恵子は人気が高く、中原みすず、三浦美保などと名前を換えていろいろな雑誌に登場した。

 ブームになった自販機本に世間の批判が厳しくなり、業界はそれをかわすため、自販機に銀色のミラーフィルムを貼って昼間は商品サンプルが見えにくくしたり、住宅街に置かれた自販機ではおとなしめの表紙を見せて並べる、といった自主規制を行なった。それ以上に強い逆風も吹いた。1978~79年頃、専門書店で売られる形で人気となった“ビニ本”の登場だ。過激さにおいて自販機本はビニ本に劣った。

 しかし、性器無修正の“裏本”が登場するとビニ本は一気に衰退。その陰で自販機本はしぶとく生き残り、むしろビニ本登場前より大きな市場を築いた。1980年代前半には、全国で2万5000台のエロ本自販機が稼働し、毎月450万冊が発行され、年500億円を売り上げるという第2のブームが到来したのである。

 その人気は、家庭用ビデオデッキの普及とエロビデオの登場によって壊滅的な打撃を受ける。1980年代半ばのことで、街角からエロ本自販機の姿が急速に消えていった。

 だが、エロは簡単には死なない。1980年代に物流の中心が鉄道からトラックに移行すると、地方の街道沿いに「オートスナック」「コインスナック」と呼ばれる無人の自販機ショップが出現し、長距離トラックドライバーのオアシスとなった。車を自分で洗うコイン洗車場も普及した。そうした場所にエロ本自販機が設置されたのだ。

 自販機専用の新刊はもう制作されていなかったので、主に「ゾッキ本」と呼ぶ、出版社が在庫を捨て値で放出した本が売られた。さらに、1970年代半ばから街道沿いに出現していた有人のアダルトショップの立地を追い掛けるように、エロ本自販機も進出した。

 その頃からエロ本自販機は簡易な小屋の中に置かれるようになり、1980年代後半から90年代にかけて無人のエロ本自販機小屋が日本全国に増殖していった。この第3のブームは2000年代前半まで続いた。

 だが、前世紀の末から行政の攻勢が強まり、エロ本自販機を規制する条例が次々と制定されていった。そして、さらに決定的な一撃がもたらされた。ネットの普及である。こうして弱体化した業界に、さらに行政が追い打ちを掛ける。エロ本自販機全撤去を宣言する自治体が相次いだのだ。その結果、今年の春現在、北海道、京都、兵庫、愛媛、沖縄などの1道1府11県では稼働中のエロ自販機は1台も確認できてない。

 当初はエロ本自販機への郷愁から探訪を始めたが、次第に今も残る自販機を巡る状況にも興味を抱くようになった。だが、同じ場所を再度訪れると、消滅したり、稼働していないことが多い。なくなって初めて価値に気付くというのはよくあることだが、エロ本自販機も同じである。だからカメラに収めることにしたのだ。

 この風景が少しでも長く現実のものとして存在し続けることを切に願う。

撮影■黒沢哲哉

※週刊ポスト2017年6月2日号

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