舛添要一氏 自分が叩かれて石原氏が叩かれない理由を語る

舛添要一氏が自身は公私混同で叩かれたのに石原慎太郎氏は叩かれなかった理由を語る

記事まとめ

  • 舛添要一氏が、自身は作家でもある石原慎太郎氏と違って叩きやすかったと分析している
  • また、石原氏と違い、市民と同じような金銭感覚のため等身大の怒りを持たれたと述べた
  • 舛添要一氏は、青島幸男氏、石原氏、猪瀬直樹氏の都政を異常なリーダーシップと語った

舛添要一氏 自分が叩かれて石原氏が叩かれない理由を語る

舛添要一氏 自分が叩かれて石原氏が叩かれない理由を語る

辞任から1年、遂に沈黙を破る

 海外出張費や事務所費問題に端を発したバッシングは、週刊誌やワイドショー、都議から国会議員、左から右まで、あらゆる思惑を呑み込みつつ炎上し、いつしか国民の一大関心事となった。前都知事・舛添要一、68歳。気鋭の国際政治学者として華やかに登場し、政治家に転身すると厚労大臣を経て、都知事まで上り詰めた。そしてよもやの転落。1年の謹慎を経て、前都知事は、いま何を思うのか。石原慎太郎時代から、都政を取材してきたジャーナリスト・青木理氏が訊く。

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 猛烈な批判を一身に浴び、東京都知事の職を追われて約1年。舛添要一氏が沈黙を破って上梓した『都知事失格』(小学館)を読んだ。そこに描き出された首都・東京を司る行政の歪みは、当事者の赤裸々な手記として間違いなく必読の一冊である。しかし一方、少なからず違和感を抱く部分も私にはあった。

 特にマスコミ報道を“舛添バッシング”と自ら評し、“人民裁判”、あるいは“ポピュリズム”だったと遺恨を書き連ねていたのは、何よりも私自身、情報番組のコメンテーターなどとして「なぜ舛添氏ばかりこれほど叩かれるのか」と疑義を唱えていたから、うなずけるところもある。ただ同時に、そもそもの原因をつくったのは舛添さん、あなたではないかという想いも拭えない。当然、インタビューはそこを質すことからスタートした。

──舛添さんが猛批判を受けるきっかけは、政治資金の公私混同、流用問題が週刊誌に報じられたことだと思います。しかし、公私混同という面では石原時代の方がひどかった。なのになぜ石原氏はさほど叩かれず、舛添さんは過剰なほど叩かれたとお考えですか。

「それは石原さんが作家であって、たくさんの版権を持っているから、叩くと商売にならない。私にはそれがないから叩きやすい。マスコミ全体に関していえば、貧すれば鈍すというか、経営的にもゆとりを失っている。だから週刊誌が書けばテレビは後追いばかり。高齢者福祉や憲法問題といった大切なテーマはたくさんあるのに、一番安上がりに部数と視聴率を稼げるということでしょう」

──おっしゃるような面は確かにあると思います。ただ、失礼ながら申し上げれば、石原知事の公私混同は飛び抜けてすさまじかったのに比べ、舛添さんの場合はなんだかセコかった。

「あぁ、みんなと同じような金銭感覚だった」

──だから等身大の怒りが湧く。

「それもあるかもしれませんね」

 イシハラとマスゾエ。両者を直接比較することにどれほど意味があるかはともかく、かつて石原都政を取材し、その病巣を垣間見た私は、いまに至る都政の歪みと混乱の原点は石原時代にあると考えている。尋ねてみると、舛添氏も似た認識のようだった。

──舛添さんは新著の中で都政を「不思議の国」と表現しています。舛添さんも例外ではありませんが、青島幸男都政から数えれば、作家やタレント文化人の知事が続きました。

「青島さん、石原さん、猪瀬(直樹)さんで20年。ということは、22歳で都庁に入った職員が42歳。この間、異常なリーダーシップしか見ていないんです」

──なかでも石原都政は4期13年続きました。

「石原さんも国会議員をやったし、運輸大臣もやっている。大臣は行政官で、(行政の)基本的なしきたりはあるのに、それをまったく無視してやってきたんでしょう。ほとんど登庁しない。強面に命令する。猪瀬さんも朝寝坊で、昼からしか出てこない。つまり知事が朝登庁して夕方まで、あるいは夜まで公務をする当たり前のことが20年も行われていなかった」

 石原都政下、週に2日ほどしか姿を見せない知事に代わって副知事の浜渦武生氏が権勢を振るっていたのはもはや有名な話であろう。強面の知事や副知事の意に沿わぬ者は次々左遷され、都庁幹部は戦々恐々としていたそんな話を私は幾人もの都庁職員から聞いた。舛添氏もこう明かす。

「霞が関はもちろんですが、役所というのは普通、職員の構造がピラミッド型になるんです。ところが都庁は櫛の歯が欠けたように異常な状態だった。恣意的な人事が行われていたからです。たとえば、非常に優秀な女性幹部も飛ばされていた。なぜかと聞けば、国際会議の時に石原さんが最前列じゃなくて3列目に座らされたからだという。私がカムバックさせましたが、そういうレベルの人事をやってきていたんです」

──私も取材で知ったのですが、都庁には霞が関官僚に劣らない優秀な職員が結構いたんですよね。

「います。個々に優秀な職員がいるのに、システムとして動かない状態になっていた。これをノーマルに戻すのが私の大きな仕事でした。まずは櫛の歯を埋める人事をやる。そして朝登庁して夕方、夜までちゃんと仕事をする。ごく当たり前のことですけどね」

 異常な状態をノーマルに戻す──それが都知事としての最初の大きなミッションだったと舛添氏はいう。だから前任者たちのように派手なパフォーマンスに走らず、傍目には地味な印象を与える知事として日常業務に専念していたのだ、と。

聞き手■青木理(ジャーナリスト)

※SAPIO2017年7月号

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