小池百合子氏 カイロ大留学時代の「貧乏生活」の真相は

小池百合子氏 カイロ大留学時代の「貧乏生活」の真相は

小池氏のカイロ大学時代の生活の真相は

 6月1日、「都民ファーストの会」の代表に小池百合子都知事が就任し、同氏は自民党を離党した。小池氏の政界入りのきっかけはカイロ大学留学時にあるとも言われるが、そのルーツについては彼女によって語られたものを除けば噂話ばかりで、客観的証言はこれまでなかった。ちなみにカイロ大卒業時の小池氏の成績は上から6段階評価では3番目の評価の「グッド」だった。

 一人歩きした「首席で卒業」の噂の実態は異なるようである。そして、他の件についても、これまで語られてきたこととは異なる証言を得た。小池氏が一人の留学生・コイケユリコとしてエジプトですごしていた時代を、国際ジャーナリスト・山田敏弘氏が解き明かす。(文中敬称略)。

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 小池は1000ドルだけを手にしてカイロに渡り、親から一切の仕送りを得ず、エジプト政府から支給される毎月12ポンド(約3600円)の奨学金と、観光ガイドなどのバイト代で暮らす貧乏学生だったと、自著で語ってきた。

 小池が当時「仙人」と仰いでいた日本人初のカイロ大学卒業生、小笠原良治・大東文化大学名誉教授が言う。

「彼女は特別だった。ドッキという地域の裕福な人が暮らす閑静な住宅街の一軒家に住んでいました。貧乏生活とは無縁だったと思う。私が日本が恋しくなって『味噌汁が飲みたい』とこぼしたら、『私の家にいらっしゃいませんか』と自宅に招待し、味噌汁をつくってごちそうしてくれた。なんでも父親が石油関連の仕事をしていたそうで、彼女は金持ちだと評判だった」

 当時カイロに留学して小池と知り合った元留学生の女性によれば、「小池さんがカイロ大学に入る前に受講したアメリカン大学のアラビア語特訓コースは、一流企業や大使館などの金銭的サポートを受けたエリートが多く通っていた。当時の金額で年間100万円もの学費を払って受けるプログラムだった」と話す。

 小池は当時、留学生としては「前代未聞」と言われる行動にも出ていた。レバノンまでイタリア車の『フィアット』の中古車を買い付けに行き、エジプトに個人輸入したというのだ。当時の留学生らによると、自動車を乗り回す日本人留学生は他にいなかったという。“貧乏学生”らしからぬ金の使い方ではないだろうか。

◆一輪の薔薇をくれた

 カイロで小池の話を聞いて回ると実はエジプト国内の実力者に、世話になっていたとの声も聞かれた。カイロの日本人コミュニティの関係者は、「小池さんのことは、エジプト人の有力者がホームステイ先から学校の推薦状に至るまで世話をしていたと聞いています。その人物は、アブデル・カーディ・ハーティムという男性で、エジプトで初めての情報相を務めた大物です」と語る。

 また小池は父親がカイロでビジネスをしていたことから、エジプト中枢にコネがあったという証言もある。同志社大学客員教授でカイロ大学で博士号を取得しているイスラム教学が専門の中田考が話す。

「私がカイロ大学に留学していたのは1986~~1992年のことです。その頃は小池さんの父、勇二郎さんが現地で日本料理店を開いており、私も交流がありました。彼女にとって、アブデル・カーディ・ハーティムさんだけでなく、政府関係の人脈が相当モノを言ったはずです。

 イスラム圏というのはコネ社会で、そういう人間関係があると何でも変わってしまう。金銭援助も、大学の単位のことも、大いに助けてもらったと思いますよ。そうでないと、あのアラビア語(*注)でカイロ大をすんなりと卒業できたはずがない」

【*注:小池氏のアラビア語の語学力はそれ程高くない、とカイロ在住の通訳・翻訳家であるモハメッド・ショクバ氏は分析している】

 小池の人脈について、現地で小池と知り合った女性もこう証言する。

「当時のアンワル・サダト大統領の夫人もカイロ大学に通っていたのですが、小池さんは夫人と友達になったと言っていました。それが縁で、政府関係の日本語通訳の仕事もあった」

 彼女はアラブの大物たちと深く交流していった。その人脈をもとに、卒業後は現地コーディネーターとしてリビアのカダフィ大佐やパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長のインタビューも実現させた。

 この活動がきっかけとなりテレビキャスターに転身。政界へと進み、大物政治家に取り入りながら、政界を泳いでいくことになるのだが、こうした胆力は留学生時代にも垣間見えていた。再び小笠原が言う。

「私が卒論で何を書こうか迷っている、と口にしたのです。すると、『私はこんな本を持ってきています』と、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を貸してくれた。私はそれをアラビア語訳して論文にまとめ、卒業に至りました。卒業後に私が帰国する際には、わざわざ空港まで見送りに来てくれ、一輪の薔薇をくれた。しばらくどういう意味なのか考えてしまった(笑い)」

 小池と同時期にカイロに留学していた稲生美喜子は、

「自宅に夕食に招いてくれたことがあって、コロッケを手作りしてくれたのを今も鮮明に覚えています。かなりの手間をかけて作っていました。『これ、チュニジアの鳥かごよ』と、有名な工芸品だというゴールドの鳥かごを見せてくれた。優雅に見えましたね」

 と話す。権力者と市井の人々を同時に惹き付ける小池の魅力は、この時から大いに発揮されていた。

※週刊ポスト2017年6月16日号

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