ネットの反差別運動の歴史とその実態【2/4】

ネットの反差別運動の歴史とその実態【2/4】

約5000人が参加されたとされる2011年のフジテレビデモ

 ネットニュース編集者・中川淳一郎氏による「ネットの反差別運動の歴史とその実態」レポート(全4回中第2回・文中一部敬称略)。

 * * *
 2006年12月に在特会(在日特権を許さない市民の会)が結成され、「様々な特権を甘受する在日を許さない」といった論旨の主張を行うようになる。そこから先は「朝鮮学校襲撃」(2009年)、「カルデロン一家追放抗議」(2009年)、「尖閣諸島抗議デモ」(2010年)、「水平社博物館前差別街宣事件」(2011年)、「(反日活動をする韓国女優をCM起用した)ロート製薬襲撃」(2012年)などに繋がり、そして2013年2月の街頭における「在特会VSしばき隊を含めたカウンター」に繋がるのだ。

 在特会及び「行動する保守」、そしてネトウヨの活動は竹島と従軍慰安婦を巡る日韓外交関連のニュースが増えれば増えるほど活発化する。つまり、「韓国が反日的である」という証拠を得れば得るほど嫌韓度合いが高まり、ネットで差別的なことを書く頻度が高まり、街頭での抗議活動が活発になっていくのだ。彼らがデモをする根拠であり正当性だと捉える「在日特権」の多くはデマである。「司法試験の一次試験免除」「水道代無料」「マスコミに在日枠がある」など様々だが、ネット上に転がった真偽不明の情報を繋ぎ合わせて一つの「在日は優遇されている。一方日本人は虐げられている」というストーリーを作り上げる。「嫌韓」において決定的な出来事は私は2011年以降2つあると考えている。一つが2011年の「フジテレビデモ」、そして2012年の「李明博竹島上陸&天皇への謝罪要求」である。

 フジテレビデモは「フジテレビは韓国系のコンテンツを流し過ぎる」という俳優・高岡蒼甫(当時)によるツイートが発端である。結果的に高岡は所属事務所に解雇されるのだが、この時「愛国の義士・高岡を見殺しにしていいのか!」とばかりに5000人もの人がフジテレビを取り囲み、フジテレビが韓国コンテンツを流さないよう要求し、電波使用の免許取り消しを訴えたのだ。李明博の件は大統領任期切れ直前の人気取りパフォーマンスであり、なんとか退任後に自らの身を安全にしようという個人的な利益のための行動だったといえよう。この2つの件が現在の「反差別界隈」とのつながりにおいて重要なのは、一般人が明確に韓国に対する嫌悪感を示したことにある。こうした背景の中、排外デモの参加者数も増加し、開催頻度も高まり、全国各地で行われるようになっていく。

 これ以前は、嫌韓については「頭のおかしいネトウヨがなんか騒いでるな」といった扱いだったのだが、この2つの件において「韓国はいい加減にしてくれ……」という感情をノンポリも抱くようになったのだ。或いはネトウヨに転向する者も増えたのだ。私もフジテレビデモは取材に行った。コラムでは自分の主観で「愚者の行進」とバッサリ切り捨てるとともに、ニュース記事としても執筆し、彼らの主張の珍妙さを紹介。多くのポータルに配信し、多数のPV(アクセス数)を獲得した。

 当時はサムスンやヒュンダイが絶好調で、日本の電機メーカーや一部自動車メーカーは不調だった。しかも民主党政権下だっただけに、日本が韓国・中国に乗っ取られることを心配した者も多かったのである。これが妄想にまみれた、いわゆる「ネトウヨ脳」というものであるが、この恐怖が2ちゃんねるやツイッターでは蔓延していた。だからこそ、路上での韓国に対する罵倒はすさまじいものがあった。

 毎週末のようにデモは行われ、在特会会長・桜井誠をはじめ、おなじみのメンバーが韓国・在日への罵倒のシュプレヒコールをする。「チョンコーチョンコーチョンコチョンコチョンコー」と麻原彰晃の「尊師マーチ」に登場する「ショーコーショーコーショコショコショーコー」にかけた替え歌で在日を罵る者もいた。2013年2月、大阪・鶴橋では中学生の少女が「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺やなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ!」とまで言い放ち、周囲の大人から拍手喝采を受けた。この時のデモの酷さについては、ツイッターのまとめサイトtogetterの〈【第2部】中学生の「鶴橋大虐殺」宣言に喝采を送る自称愛国日本人の絶望ヘイト街宣(2・24)〉に詳しくまとめられている。本当にどうしようもないほど酷い(https://togetter.com/li/461654)。

 とにかく2012年夏から2013年春にかけ、嫌韓デモは酷かった。従業員2名の零細企業経営者である私は休日がないため、土日もPCを立ち上げて仕事をしていたのだが、毎週のようにニコ生のデモ中継をBGMとし、日々のニュース編集作業のさ中、デモ参加者の罵詈雑言をメモっては批判の材料としていた。幸いなことに私はこうした状況をニュースとして世の中に出せるだけの回路は持っていたため、「大阪の嫌韓デモで女子中学生が『鶴橋大虐殺を実行しますよ』発言」といった記事は出していた。こうした記事を出すと、当然、ネトウヨと思われる人々からの抗議は寄せられていた。

◆かくして「しばき隊」は結成された

 野間は2013年1月30日に「レイシストをしばき隊 隊員募集」をtumblrで呼びかける。「新大久保で一般市民や近隣店舗に嫌がらせしたり暴行を働くネット右翼の邪魔をします」とし、2月9日、10日、17日の「しばき隊」活動参加者を募った。私も野間のこの呼びかけには賛同し、一瞬行こうかとは思っていたものの、仕事のことを考えるとデモ開始時刻には間に合わないことは明白だった。その代わり、こちらは記事に出す、という形で反差別の活動はしようと考えていた。野間の呼び掛け文はこう続いた。

〈さて、しばき隊の行動では、これらのデモ自体は放置します。彼らの場合、デモの前後に近隣の店(特に外国人経営店舗)や通行人に暴言を吐いたりいやがらせをしたり、ときには暴行を働く場合があります。「しばき隊」の目的は、彼らが狭い商店街でそうした行動に出た場合にいちはやく止めに入ることです。

 しばき隊という名前ですが、しばきたいだけです。実際にはあくまで非暴力でお願いします。したがって武器等の携行もご遠慮ください。カウンター・デモでも抗議行動でもありません。プラカード等は持ち込まないでください。もちろんプラカードその他を使って沿道から反対の意志表示をしたい人はご自由にどうぞ。しかし「しばき隊」としては、今回はそうした抗議アクションを目的としません。抗議終了後、しばき隊に合流してください。

 ご希望の方は以下までメールをいただければ、集合場所・時間等の詳細をお伝えします。〉

 かくしてしばき隊は結成された。そして、2月9日が彼らの初活動日となった。同時期にプラカードを持った人々も登場し、握手する二つの手のイラストがあり、日本語と韓国語で「仲良くしようぜ」とあった。これはあくまでも融和を持ちかけるもので、罵倒を続ける差別主義者に対し「まぁまぁ」となだめるような平和的な提案である。

 野間の考えとしては、差別主義者を黙らせるには乱暴な言動も必要である、というものがある。しばき隊にはガタイがよくコワモテの高橋直輝(添田充啓=後に沖縄の米軍基地建設反対運動に参加)とその他が「男組」として参加し、差別主義者の恫喝に大いに役立った。動画を見ると、男組を含めたしばき隊に囲まれ、差別主義者が本気でビビってる様は見て取れる。ネトウヨはこれを見て「1対8でダセェww」などと言うが、恫喝するのが目的なのだからやり方としては理にかなっているのだろう。こんな感じでしばき隊が恫喝・恐怖部分(実際は手を出さぬよう指示)を担い、プラカ隊が「仲良くしようぜ」の他にも「在日外国人と特別仲良くなって世界各国のめっちゃ美味しいモノを食べまくり隊」などのプラカードを掲げた。これを主導したのが現在エストニア在住の木野寿紀である。また、3月31日の新大久保における嫌韓デモでは、街頭ビジョンで「排外主義に対するメッセージ」が流された。メッセージは宇城輝人、竹田圭吾、中川敬、江川紹子、有田芳生、津田大介、五野井郁夫、小田嶋隆、宇都宮健児の9人によるもので、人種差別への批判を淡々と各人が述べていた。

 基本的に排外デモ参加者は、ネットの中及び警察に守られたデモのお仲間の内にいる時だけ血気盛んである。デモが終わった瞬間、いそいそと日章旗や旭日旗をカバンにしまいこみ、各々がバラバラとなって最寄り駅へ急ぐ。そこにしばき隊が尾行でもし、ド詰めをしたらさっきまでの威勢の良さはなんだったんだ? と思うほどである。それは、ジャーナリストの安田浩一が著名ネトウヨの「ヨーゲン」の自宅を突き止めた時の状況が分かりやすい。現代ビジネスの〈ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体〉という記事がそれだ。

 安田はあまりにも酷い差別発言をツイッターで繰り返すヨーゲンが、なぜそんな発言をするのか知るべく、ツイッターでやり取りをしていた。そうした中、ヨーゲンは2013年12月、「じゃ、俺と豪遊しにいこうか、全部驕ってくれる?たまには日本人にたかられるのもいいだろよ…」と安田にメッセージを送った。ここで「日本人にたかられる」とあるが、ヨーゲンは安田を在日韓国人扱いしていたのである。そして、安田は取材を重ねた末にヨーゲンの自宅住所を突き止め、2014年1月にヨーゲンの家を本当に訪れたのだ。インタホンを押したところ「帰れ!帰れ!」と言われたという。取りつくしまもないため、ツイッターでDMを送ったところ、30分後ならばいいと言われた。その時の様子を安田はツイッターでこう説明している。この時は連続ツイートをしており、数字はツイートの「●番目」を指す。「Yさん」がヨーゲンのことである。

〈【5】約束通り、30分後にYさんの自宅を再訪しました。しかし、私を待っていたのはYさんではなく、1台のパトカーと数人の警察官だったのです。〉

〈【6】私はYさんの家の前で状況を見ていたわけですが、そのとき、ドアが開いて、警察官に守られたYさんがちらりと顔をのぞかせました。なんと、Yさんは部屋の中でサングラスをかけていました。おそらく私に素顔を見られることが嫌だったのでしょう。〉

 結局、ネトウヨ活動というものは安全な場所でしかできない愚行であり、いざ「敵」を目の前にするとこうして狼狽するものである。そういった意味でしばき隊を含めたカウンター勢が取った戦略は「街中でヘイトスピーチを撒き散らかす」という行為を委縮させる効果はあったといえよう。それまで在特会の活動や排外デモについて積極的に報じることが少なかった大手メディアも、カウンター出現以降、デモを批判的論調で報じるようになる。彼らは2011年、2012年のもっとも差別デモが活発だった頃は「在特会の宣伝になる」といった理由から報道を控えていた。いや、違うのである。多分「どーせバカが騒いでるだけだろう」のように問題を矮小化していたのだろう。本来はさっさとこんな日本の恥のような活動は報じ、叩いて良かったのだ。

 前出の「鶴橋大虐殺」のtogetterのまとめには、その後カウンター勢力の重要人物になる者も登場している。鹿砦社がカウンターの内情を明かした書『反差別と暴力の正体』で重要プレーヤーたる「声かけリスト作成者」(詳細は同書参照)として登場するツイッターID「ITOKEN」は鶴橋の街宣の際に、こうツイートしている。

〈いまニコ生で見てるんですけど、連中のデモっていつもこんな感じなんですか?〉

 排外デモをツイッターで実況することで知られる「三羽の雀」はこう答えた。

〈最近とくに酷いです。とくにこの清水は酷い〉

 ここでいう「清水」は、右翼団体構成員を名乗り、前出「チョンコーチョンコー…」をマイクでがなり立てた男だ。この頃は未成年だった。三羽の雀による当時のツイッターの書き起こしによると、清水は「美しい美しい日本人をここまで怒らせてしまったのは貴方達ゴキブリ朝鮮人、在日チョンコなんですよ。~四足歩行で歩け。二足歩行で歩くな」「在日朝鮮人の人、手ぇ挙げて。息をするな。日本人の酸素吸うな。窃盗やないか。酸素が減るから死んでください」と述べていた。

 ITOKENのこの感想を見ると、後に「反差別活動」にハマることになる彼にしてもまだネトウヨによる排外デモのすさまじさは把握していなかったようだ。かくして排外デモが過激さを増すにつれ、カウンターは支持を集め、これ以降のデモではデモ参加者よりもカウンターの方が人数で圧倒することが多くなっていく。

 そして2013年3月14日、参議院会館にて「排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会」が行われた。この時は民主党(当時)の有田芳生議員、徳永エリ議員らが出席したほか、安田浩一、弁護士の上瀧浩子らも現状報告を行った。そして在特会による朝鮮学校の抗議活動の動画も長時間を割いて流し、ヘイトスピーチの酷さを参加者と共有した。さらにはかつてネトウヨだったという男性が、懺悔の念をスピーチするといった流れにもなった。安田は彼の顔出しスピーチを「勇気ある行動」と評した。

 この集会で私は有田と名刺交換をした。すでに私のことは知っているようで、その段階でツイッターでは相互フォロー関係になっていた。つまり、私自身は明確にヘイトスピーチには反対の立場を取っており、有田との間には同じ問題意識が共有されているということになる。この日、現場には野間もいた。一応「どうも、はじめまして」と会釈をしたら無表情で軽く頭を野間は動かした。この集会の模様はメディアにも登場し、ヘイトスピーチの実態を知らしめるには良い会合になったのではないだろうか。

 こうした状況を経て、朝日新聞、TBS、東京新聞、神奈川新聞等のリベラル系メディアの支持も受け、カウンターは称賛を浴びるようになる。野間はメディアの取材を受けるようになり、『「在日特権」の虚構』などの書を執筆し、正義の活動家としての注目を浴びた。ようやく「反差別」運動が日の目を浴びるようになるとともに、排外デモ・ネトウヨの愚が多くの人に知られるようになっていった。デモ参加者も減少の一途を辿る。途中、双方で逮捕者を出すなどはしていたが、2013年夏になると、カウンター勢力の優勢は明らかだった。

◆攻撃性を帯び始めてくるカウンター

 2013年9月22日、「差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom」が行われた。これは、マーチン・ルーサー・キング牧師が行った米国の差別撤廃を訴える「ワシントン大行進」へのリスペクトを込めたデモである。差別撤廃の他にも、LGBT関連のシュプレヒコールもあげた。「東京大行進」は2014年、2015年にも行われている。

 まさに、初の「東京大行進」の前、カウンター側は高揚していた。ひょんな縁から夏の暑い夜、私は新宿の居酒屋に呼ばれた。そこには、松沢呉一、「プラカ隊」の木野、男組の高橋をはじめとしたカウンター勢力が集っていた。彼らは反差別の活動が実を結び、「東京大行進」にも繋がったことを喜んでいた。当然私も「ヘイト撲滅のための良い活動でした。これからも応援します」といったことを言ったと思う。この頃、カウンターは「大義名分」「正義」があっただろう。

 なぜ、私がこの場に呼ばれたかといえば、呼ばれたからだ。この飲み会の参加者に一人知り合いがいて、その人物から深夜12時頃突然電話が来て、タクシーに乗って新宿まで行ったのだ。「アンタに会いたい人がいるし、他の人も『来なよ』と言ってるよ」とのことだ。そこで次々とカウンターの人々と挨拶をし、和やかに会話をした。現在、私のことを罵倒する木野や手塚空(後に自転車でデモ隊に突っ込み暴行容疑で現行犯逮捕される当時東大生)とも和やかに喋った。そんな中、私を呼ぶ男がいた。『日本会議の研究』がベストセラーになり、森友学園問題で一躍名を馳せたノイホイこと菅野完である。

「なぁ、アンタと喋りたいことがあるんや」

 そう菅野は言った。この後は20分~30分ほど菅野の演説をひたすら聞き、私は「はい」「なるほど」を言うだけだった。彼は差別に関しては造詣が深いのは分かったが、とにかくマウンティングを取ってくるヤツだな、としか思わなかった。さっさと別の人間と喋りたかったが、彼の演説が終わらないのでなかなか席を離れることができなかった。

 東京大行進は3000人が参加したとされ「大成功」の評もあった。カウンター活動に参加した経験を持つA氏は「あそこでやめておけば良かったのに……」と語った。というのも、2013年2月から9月は、ネトウヨを完膚なきまでに叩きのめした7ヶ月だったからだ。実際、ネトウヨの間にはしばき隊への恐怖感もあり、参加者も減少しており、当初の「ネトウヨによる在日に対する攻撃」を「ネトウヨVS日本人カウンター」という構図にする、という野間の目論見は達成されていたのである。この段階において、野間の戦略は見事としか言いようがない。在日にとってもカウンターとして多くの日本人が参加したことについては心強かったことだろう。

 だが、こうした成功体験もあることからカウンターは攻撃性を帯び始めてくる。当初穏健派だとみられていた木野だが、9月になるとこうツイートしていた。

〈先日言ったように反レイシズム活動には今後時間を裂けなくなってしまうんだけど、ひとつやりたいことがある。「保守速報」みたいな差別煽って金儲けしているサイトを、全部ぶっ潰したい〉

 それ以後の彼の発言は野間のコピーのような過激なものも目立つようになり、「圧力でレイシストを黙らせる」という手法が末端にも定着したことをうかがわせる。東京大行進について、野間は「東京大行進沿道:ビックカメラ前の歩道橋からデモを撮影しようとしてしばき隊にしばかれているネトウヨの方。」とツイートし、3人のしばき隊員が1人のネトウヨを囲んでいる写真を公開している。

 ネトウヨはしばき隊のことが気になって仕方がなく、反差別的言説を垂れ流すと「しばかれる」といった恐怖を抱き、次のデモには参加しないゾ! という決断をするに相当する「ビビる画像」である。だが、この段階ですでにこの画像に対し、異議の声もあがっている。

「撮影しようとしただけで?『仲良くしようぜ』はどこ行った?」「たった一人を三人がかりで、顔近すぎ。社会的相当性を超えた単なる威迫に見える」というツッコミは入っており、しばき隊の過激な「ド詰め」に対する疑問も存在した。ただ、当時のマスコミの風潮としては、カウンター及びしばき隊は「正義の志士」扱いである。

 在日朝鮮人2.5世だというフリーライターの李信恵は、木野が言及したネトウヨ系2ちゃんねるまとめサイト「保守速報」及び桜井誠に対し、名誉棄損の裁判を起こした。Wikipediaにそこはまとめられているので引用する。

〈2014年8月18日、民族差別的な発言で名誉を傷つけられたなどとして、在日特権を許さない市民の会(在特会)桜井誠元会長および在特会に550万円、保守速報の運営者に2200万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。李の訴えによれば、桜井誠は神戸市での街宣活動および短文投稿サイトにて、民族・性別・年齢を侮辱する発言・書き込みを行い、保守速報も民族性を侮辱する書き込みをまとめ記事に掲載した、という。550万円の提訴を受けた桜井誠は「(李信恵による)ネット上でのでたらめな記事について反訴を予定している」とコメントした。2016年9月27日、大阪地裁は「社会通念上許される限度を超える侮辱行為」「在日朝鮮人に対する差別を助長、増幅させる意図が明らか」として、在特会と桜井に対し計77万円の賠償命令を出し、桜井側から起こされた反訴を全て棄却した。〉

 当時、李に対するネトウヨからの罵倒はあまりにも激しかった。彼女も毅然と反論するものの、一人の女性が受ける罵倒としては異常なものだった。在日で真っ向からネトウヨに反論する人間など滅多にいないだけに、李は総攻撃をくらうこととなる。彼女に関しては安田と李の対談でこんな記述がある。(『世界』2014年11月 岩波書店)。これは前述「鶴橋大虐殺」スピーチについて言及したものだ。安田は、デモ隊から顔と名前が知られている李に対する個人攻撃がないかを心配していたという。

〈その日のデモも低劣きわまりないものでしたが、李さんへの個人攻撃はないまま終わり、私はそれでほっとしたんです。そこで私は「よかったね」と、李さんについ言ってしまった。李さんは表情を歪めて、泣いて、「死ね、ゴキブリって私はずっと言われていたやんか、あれは私に向けられた言葉やないの?」と。そう言われて初めて気がついた。それまで私は、ヘイトスピーチを「言葉の暴力」と考えていましたが、そんな生易しいものではなかった。暴力そのものだと初めて実感したのです。それに気づかせてくれた李さんに心から感謝しています〉

 彼女は当時、カウンターにとっては守るべき象徴的存在になっていた。カウンターは東京・大阪両派が主流で他の地域で排外デモがある際にも動員はかけられていたが、運動全体を象徴する存在として李がいた。彼女はチマ・チョゴリを着用して外国特派員協会にて記者会見を行いヘイトスピーチの現状を述べたり、ツイッターでも積極的に情報発信をしていた。彼女が何かを発信するとカウンターはそれに賛同の声をあげ、一方で2ちゃんねるではそのツイートを元としたスレッドが立ちあがり彼女への壮絶なるバッシングが繰り広げられていた。

 2ちゃんねるではいつしか「差別の当たり屋」という異名がつけられていた。これが意味するところは、彼らが言うところでは「本来差別ではないものについても言いがかりのごとく『差別だ』と主張し被害者ぶる」ことを意味する。しかし、差別というものは当人が感じれば差別なわけであり、李に対するこの異名は不当なものといえよう。「声の大きい在日」「主張する在日」という存在に対し、「差別の当たり屋」という名前をつけたのだと私は考えている。李や辛淑玉という「目立つ在日」「虐げられたと主張する在日」に対して当の在日からも「彼女達はやり過ぎ。私達まで同類だと思われてしまう。正直迷惑だ」との声もある。ただ、彼女のツイッターに対してはあまりにも激し過ぎる罵倒が連日寄せられており、厳然と差別は存在していたのだ。李の保守速報及び桜井誠への裁判にはカンパも集まり、支援の輪が広がっていた。結果は前出の通り、李の勝訴である。

 一方、2014年11月をもって桜井誠は在特会の会長職を退き、筆頭副会長の八木康洋に会長職を渡し、自らは在特会からは去った。風を読むことに長けた桜井なだけに、これ以上在特会としてヘイトスピーチを撒き散らかし続けるよりは個人的な活動をした方が得策かと考えたのかもしれない。桜井は2016年7月の都知事選に「日本第一党」党首として出馬し、5位となる11万票以上を獲得した。(続く)

関連記事(外部サイト)