延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白

延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白

現在は診療所で院長を務める(須田セツ子氏)

 ジャーナリストの宮下洋一氏はこの一年、世界中の「安楽死」の現場を訪ね、死を望む患者や死を施す医師の声に耳を傾けてきた。そして宮下氏は日本での取材を開始した。

 延命治療の中止を巡って、最高裁まで争った女性医師がいる。患者遺族から後ろ指を指され、マスコミに非難され、そして所属先の病院も責任回避するなか、なぜ彼女はたった一人で闘ったのか。宮下氏がレポートする。

 * * *
「安楽死と言われても、私にはそういう認識がないんです。それにご家族の判断だったり、本人がその日に言った言葉だったり、解釈の仕方は、人によっていろいろ違う。だから、杓子定規にここから安楽死、ここから尊厳死という訳にはいきません……」

 横浜市にある大倉山診療所の院長を務める須田セツ子(62)は、「安楽死」という言葉に、まるでアレルギー反応を示すかのような表情を浮かばせた。このテーマを日本人医師にふると、多くは曖昧な表現で、言葉を濁す。でも、彼女は物事を率直に言った。もはや恐れるものなどない、とでも言うべきか。

 あの事件から19年。日本の医療界において、安楽死の殺人罪で起訴され、最高裁まで闘った医師は、彼女一人だった。

 ヨーロッパから一時帰国していた私は、都内のホテルで須田の著書を一気に読んだ。『この本を手にとってくださったあなたにお聞きしたいのです。私がしたことは殺人ですか?』(青志社)。調査を重ね、その質問の最終的な答えを、私なりに見つけたいと思った。

 日本では、患者本人の意思の有無にかかわらず終末期の患者を積極的に死に導いた場合、民事訴訟だけでなく、刑事訴訟に発展し、医業停止命令や免許取り消しといった行政処分を受ける(*注)。

【*注/苦痛に苛まれる患者に対して、投薬などによって意識レベルを下げ、死に導く「緩和医療」は、認められている。また、延命治療などを施さず、自然な死を迎えさせることは「尊厳死」と呼ばれ、これも一部認められている】

 背景には、日本独特の慣習や法律が根差している。当時、川崎協同病院・呼吸器内科部長を務めていた「殺人者・須田セツ子」本人の口から、それらが実際の医療現場の常識とどう、かい離しているかを探りたかった。

 1998年11月16日、事件は、神奈川県川崎市にある川崎協同病院の南病棟2階228号室で起きた。気管支ぜんそくを罹患していた58歳の男性患者、土井孝雄さん(仮名)が、鎮静剤の後、筋弛緩剤「ミオブロック」を投与され、息を引き取った。その時、主治医だった須田が、「4年後」の2002年12月、殺人罪で起訴された。

 型枠大工の工務店を営んでいた土井さんは、1984年から川崎公害病患者に認定されていた。その4年前から同病院に勤めていた須田は、外来主治医として、この患者をよく知っていた。普段は無口だった彼が、須田に会うと、時々、言う口癖があった。

「自分はずっとこの仕事をやってきた。この仕事が大事なんです」

 14年間、通院を続けた土井さんは、ある月曜午前の仕事中にぜんそくが悪化。午後には、重積発作(深刻なぜんそく発作)を起こし、心肺停止状態となって病院に運び込まれた。

 心肺蘇生が行われたが、低酸素血症で大脳と脳幹に障害が残り、昏睡状態に陥った。以後、痰を吸引するための気管内チューブを装着された土井さんは、所謂、植物状態だった。

 事件当日午後、土井さんの容態が急変。駆けつけた家族11人が見守る中、須田は、すでに相談を受けていた延命措置の中止尊厳死のため、気管内チューブを抜いた。しかし、患者が上体をのけぞらせてもがくという想定外の反応を見せたため、鎮静剤「ドルミカム」3アンプルを静脈注射した。

 その後も苦悶が収まらず、同僚医師の助言により筋弛緩剤「ミオブロック」投与を決定。須田本人が1アンプルを生理食塩水点滴バッグに溶かし、徐々に「尊厳死」へと向かわせた。これについて、須田は、「鎮静剤使用の延長線上の処置」とみなし、冒頭の「安楽死という認識ではない」ことを主張する。

◆4年後に事件化

 大倉山診療所は、大倉山駅から徒歩約10分の住宅地の中に挟まれていた。自転車で子供を乗せてくる母親や、マスクを付けた学生服姿の高校生、そして老人たちが次々と診療所を出入りしていた。

「あ、こちらへどうぞ」

 受付の係員に話しかけた後、須田が私を呼んだ。白衣を着た華奢な女性は、そのままそそくさと診察室に消え、私はその後を追った。

「なんかバタバタしていて、ごめんなさいね。メールも返さずになんだか……」

 この患者の数を見るだけで、彼女が多忙なのは判断できる。さっそく問いかけた。

 川崎協同病院事件のお話なんですが。

 須田は、最後まで聞かず、返答は早口で長かった。質問は遮るが、言いたいことは、とことん言う。それが須田セツ子だ。彼女は、「安楽死の認識はない」と断言した上で、治療中止の曖昧さについて語り始めた。

「心肺停止で運ばれてきた患者を心臓マッサージや吸引をさせたりして蘇生を試みるけれど、それだって10分やる人と1時間やる人がいます。どこまで続けるか、手を離した瞬間が死亡時刻になってしまう」

 須田の話を聞いている最中、私は、スイスのプライシック女医の顔が、突然、浮かんできた。世代も近く、女性である部分が重なったのだろう。一方で、奇妙な感覚に襲われた。スイスの女医は、末期患者やそうでない患者に対し、年間に80人以上の死を幇助し、私に安楽死の仕事を堂々と語る。それに対し、須田は、一人の末期患者を楽にしようと、筋弛緩剤を使用したことで「殺人者」となり、こちらに所々慎重な口ぶりで話す。

 そもそも、筋弛緩剤とは、いつ、どんな時に使用されるのか。一般的には、手術の麻酔時に気管内挿管を行う際、筋肉を弛緩させるためにあるものだ。従って、日本の現状では、筋弛緩剤が延命治療中止目的で使われ、患者が死亡した場合、「異例事態」と見なされてしまう。本誌・SAPIO6月号でも紹介した京都市立京北病院事件でも、「レラキシン」という筋弛緩剤が使われ、末期患者が死亡した。当時、病院長だった山中祥弘も、「いかに早く患者を穏やかな表情にしてあげられるか」を考え、患者に投与している。須田もさらりと言う。

「宮下さんが見てこられたように、お薬を使ったり注射したりしてストンというような安楽死は、日本にはあり得ないでしょう」

 確かに、私が見てきた安楽死の薬は、青酸カリ系などの劇薬で、それをコップに入れて飲むか、点滴の中に投与すれば、数十秒で死に至る。まさにコロリと逝くのだ。

 須田は、土井さんに投与した薬が、直接の死因ではないと言いたいようだ。実際、安楽死を意図していたのであれば、鎮静剤さえ使用していなかっただろう。これについて、須田は、著書の中で、特徴的な持論を述べている。

〈もうじき亡くなるとわかっていながら、(中略)最後の最後まで、やれることはすべてやるというのが医療者なのです。どうせ死ぬのだからそんなことする必要はないじゃないか、というようには考えないのです〉

 私に質問の隙を与えず、須田は続けた。

「薬を使ってストンと逝かせるのは殺人です。でも例えば鎮静剤を打って、薬が効いていったら息が止まった。それが思わぬ早さだった、といって殺人にはならないと思います」

 筋弛緩剤でなければ、彼女は逮捕されることも起訴されることもなかったに違いない。苦痛を和らげ、延命治療中止の延長線上の処置を行い、土井さんは永眠した。家族は、須田に「お世話になりました」と会釈をし、納得のいく死亡診断書も受け、この件は終わったはずだった。だが、4年という年月を経て、この出来事は「事件化」した。それは、病院内部の事情に詳しい、ある医師が、マスコミにリークしたことが発端だった。

◆「けっして笑顔を見せないように」

 組織力に定評のある日本でも、情報漏洩や内部告発は多発する。そこには、「個」を表現し難い、日本特有の国民性が関係していることもあろう。「個人の生や死」を自己決定できないことも、善悪は別として、間接的にそうした国民性と繋がっていると思う。

 リーク情報は、すぐさま大手各紙を賑わせ、週刊誌は「殺人医師」と書き立てた。2002年12月26日に横浜地検は殺人罪で起訴。翌年の3月27日から横浜地裁で公判が始まった。

 最終的に「呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害した」として、須田に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

 植物状態だった土井さんの命が残りわずかだったと予測される中、須田が気管内チューブを外し、想定外の反応を見せた患者に鎮静剤を打ち、最後に彼女自身が筋弛緩剤を投与したという事実を、詳細に説明する機会は訪れなかった。呼吸器内科のベテラン部長だった須田によると、土井さんを安らかに眠らせるため、家族とは事前に相談済みだったという。それは、気管内チューブ抜管の承諾だった。

 だが、裁判官は、須田が家族に「九分九厘、植物状態だった」と言ったことに対し、「衝撃的で不正確な説明」、「配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた」と押し切った。だが、須田に反論の余地はない。当時の弁護士は、須田に口を酸っぱくして言った。

「被告人なのだから神妙にしていてください。けっして笑顔を見せたりしないように」

 実際は、どうだったか。患者が息を引き取る当日の午後、須田が土井さんの妻と交わしたという会話を、著書をもとに再現しよう。

「この管をはずしてほしいんです」
「えっ? これを抜いたら呼吸できなくて生きていけませんよ」
「わかっています」
「早ければ数分で最期になることもあるんです。奥様ひとりで決められることではないんですよ。みなさん了解してらっしゃるんですか?」
「みんなで考えたことです」

 だが、裁判における供述では、土井さんの妻は、この時間帯に病院には行っていないと言った。つまり、抜管は、「医師の独断」によるものだったという判断が下された。さらに、須田にとどめを刺したのが現場に居合わせた一人の看護師の証言だった。

 その看護師は、筋弛緩剤を注射したのが自分であって、それを指示したのが主治医の須田だったと供述。ミオブロックを投与した量も、即死に至る3アンプルだと証言した。実際に投与した1アンプルの3倍だった。その状況について、須田は、ため息まじりの声を漏らして語った。

「なんで看護師が注射するんですか? 事実とまるで異なる。だから私は、最高裁まで闘いました。そんなことをしたら、本当に殺人です。医療現場で筋弛緩剤を3本も使うなんて、誰も信じないと思っていたんですけど」

 一審の横浜地裁では、妻の発言に加え、看護師の証言も採用された。しかし、2005年3月からの控訴審の東京高裁では、看護師の証言は変わらず採用されたが、家族側の証言を証拠不足で取り下げ、求刑も3年から1年6か月に減刑された。また、看護師の態度は一変し、涙ぐんで証言をする場面もあったと、須田は振り返る。

「一審の時、彼女(看護師)が私と話をしたいって言ってくれたんです。私もなぜ、彼女がそう思い込んでいるのか分からないから、喜んでというところだったのに、(病院側の)弁護士に彼女が止められたんです。控訴審に出てきたときは、一審のときとは全然喋り方が違ったので、(自らの虚偽に)気がついていたんでしょうね」

 2007年3月、須田は、控訴審判決に対する不服申し立てで、最高裁に上告した。事実審でなく法律審である最高裁では、「患者の自己決定権」や「医師の治療義務の限界」が主に審議された。それは須田を納得させる議論には至らず、2009年12月、「延命治療の中止を行ったことは法律上許されず、殺人罪に該当する」と最高裁は結論を下した。

 最高裁は「延命治療の中止は、昏睡状態にあった患者の回復をあきらめた家族からの要請によるが、その要請は余命を伝えた上でなされたものでなく、患者の推定的意思に基づかない」と判断した。これに関しては、私も頷かざるをえない。だが、SAPIO6月号に紹介した山中祥弘医師とは違って、須田は安楽死ではなく延命治療中止との認識であり、彼女の独断で投与を決めていない点も差し引く必要があるように思えた。

 もちろん、須田の話を全面的に信じれば、の話であって、真偽は分からない。皮肉にも、土井さんが他界した直後、ぜんそくの特効薬となる吸引ステロイドの新薬が導入された。これにより、ぜんそくの歴史が変わった。「あと少し早ければ、この事件も起きなかった」と、須田は苦笑いした。

◆息子の告白

 2週間後、私は、土井さんの子どもの一人が働く職場を訪ねた。入り口の扉を開けると、1人の小柄な男性が奥の廊下から、こちらに向かってくるのが見えた。土井秀夫(仮名)だった。私が、ここを訪ねた意図を説明すると、彼は、すかさず言った。

「あ、親父の話? あれはもう思い出したくないんだよ」

 だが、無理やり追い払う気配はなく、むしろ、目元には笑みが浮かんでいた。言いたいことがあるのだろうか。「絶対に書くな」と念を押す彼だったが、私は、これから伝える話が、須田や彼を巻き込んだ遺族両者を咎めるというよりも、本来は当事者のはずなのに第三者のように対応した病院側の行動を伝えるため、敢えて書くことにする。

 彼は、父の死後について、渋々と話し始めた。

「俺は、あの時、仕事が忙しかったんだけど、急に病院に呼び出されてね。そりゃ、何が起きたのかまったく分かんなかったよ。何であんなことになったのかって。俺は、お袋やきょうだいからなんも聞かされていなかったから」

 秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に到った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に関する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。苛つく表情で、話を続ける。

「向こう(疎遠の家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、まったく分かんなかったんだ。そん時ね、俺、なんかおかしくねぇかって。俺は、親父の意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまった」

 当時を鮮明に思い出したのか、口数が次第に増えていく。その怒りは事後の病院対応に向かっていった。

「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、お金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってないんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」

 おそらく前段にマスコミにリークがあり、病院側は慌てて、家族のもとへ足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせた。だが、秀夫さんには、その行動こそ、父の命を軽視していると映った。

 2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。つまり、組織防衛のために須田一人を見殺しにした形だ。秀夫さんは、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。

「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたのことを押し倒してでも追い払っていたからな」

 一家の大黒柱だった父親を失った彼の思いは、十分に伝わってきた。だが、その話を聞いて改めて思う。この事件は、本当に殺人事件として、扱われるべきものだったのか。数々の疑問が残るばかりだが、須田の結論は、こうだった。

「司法は、死を他人が導いてはいけない、と判断した。“自分で決める死”と“他人が決める死”には明確な線が引かれるべきだ、と。でも私は、必ずしもそうは思わない。自分のことを一番よく分かってくれている人を側に置いて死ねれば、それは最高だと思う。自分でない他人に(死を含める)すべてを委ねられるって、最高に幸せじゃないですか」

「自分で決める死」、つまりは「個人の死」の捉え方は、人によってさまざまだ。欧米と違い、日本では、「個人」が「家族」という土台の上に存在している。須田のいう「他人」が家族を指す場合、個人とも連なっていることになる。これらを、司法で明確に分けることは困難だろう。

 日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。それが最終的に、患者や家族や医師の間で摩擦を引き起こす。延命治療を中止した医師は、訴訟になれば無罪は勝ち取れない。これこそ、日本の現状であると思う。

 私なりの最終的な答えは出た──須田がしたことは殺人ではない。

※SAPIO2017年7月号

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