離婚もした… 零戦を3.5億円で購入し里帰りさせた男の熱意

離婚もした… 零戦を3.5億円で購入し里帰りさせた男の熱意

「零戦里帰りプロジェクト」を運営するゼロエンタープライズ・ジャパン社の面々

 6月3日、千葉・幕張海浜公園で開催された「レッドブル・エアレース千葉2017」。晴れわたる東京湾上空で、故郷の風景を懐かしむかのように緑色のプロペラ機が弧を描いた。

 零戦──かつて米軍の戦闘機乗りを震撼させ、1万機余りが製造された日本が誇る戦闘機も、現存する飛行可能な機体はレプリカを除いて世界にわずか4機しかない。

 今回の飛行はそのうちの1機で、私財を投じて零戦の「里帰り飛行」に心血を注いできたニュージーランド在住の実業家・石塚政秀氏(56)が所有する機体だ。

「どんな国でも、祖国のために尽くした戦闘機は国家の枠を超えて心からリスペクトされています。時間と資金をかけて修復し、実際に飛ばしている人が世界にはたくさんいるのです。しかし、肝心の日本は世界最先端の航空技術を持ちながら、1機の零戦もない。日本人として寂しすぎるし、大空を飛ぶ姿を皆に見てほしいという思いから始めました」(石塚氏)

 機体は1942年に製造され、パプアニューギニアのジャングルで戦後30年近く野ざらしにされていた「零式艦上戦闘機22型」。1970年代にアメリカの調査団が発見・回収し、1980年代末までサンタモニカ航空博物館に展示されていたが、1990年代に入りロシアで修復が開始され、8年の歳月、延べ38万時間をかけて飛行可能な状態になった。

「2008年に数人の有志と『里帰りプロジェクト』を立ち上げ、所有者だったアメリカ人のコレクターと売買契約を結びましたが、リーマンショックの影響で頓挫。結局、私個人が3億5000万円で機体を購入しました。自宅を売り、牧場やヨットも処分し、妻とも別れることになりました」(石塚氏)

 その後も苦難の連続だった。直後の2010年にニュージーランドで大地震が発生し、石塚氏の経営するアパレル工場は大きな被害を受ける。翌2011年には、東日本大震災とその後の原発事故によって、「里帰りプロジェクト」に協力していた企業やテレビ局が一斉に引き上げた。

 それでも石塚氏は諦めなかった。不屈の信念が実り、日本で機体の展示にこぎ着けたのが2014年。6月に機体をシアトルから船で運ぶことになったが、日米両国政府から武器輸出入の可能性を指摘され、日本に入国できたのは10月末だった。

 加えて、輸入消費税2000万円の支払いを求められるなど、不測の事態が続いた。莫大な私費を投じてまで実現にこだわった石塚氏を駆り立てるものは何なのか。

「長く海外に住み、仕事で世界80か国くらい回っていると、日本が普通の国とは違うのではないかと感じます。どの国の人々も祖国に絶対的な誇りを持っていますが、日本人はどこか距離を置いて身構えているような気がします。私は日本人に、誇りの象徴として零戦を見てもらいたいのです」(石塚氏)

 展示だけとはいえ日本への里帰りを果たした石塚氏は、日本の空で飛ぶという次なる目標に向けて動き始めた。しかし、アメリカの航空局からライセンスを受けたこの機体は、日本で飛ぶためにはアメリカ政府の飛行許可申請が必要だった。

「何百枚もの申請書類を提出してやっと承認され、1年半後の2016年1月27日に鹿児島で初飛行が実現しました。ただ、パイロットはアメリカ人だったので、日本人パイロットでの飛行が次の目標になりました」(石塚氏)

 白羽の矢が立ったのは、5年前から整備士としてプロジェクトに関わってきたロサンゼルス在住の柳田一昭氏(66)。

 飛行機のライセンスは機種ごとに発行されるが、この零戦には代わりの機体がない。そのため、岡山で保管していた機体を分解してアメリカに送り、再度組み立てて操縦訓練を重ねた。ついに今年5月にライセンスを取得。東京湾での飛行は、柳田氏自身にとっても長年の念願が叶った瞬間だった。

 日本人の零戦を日本人のパイロットが操縦して日本の空を飛ぶ──ひとつのプロジェクトを終えた今、「大事なのはこれからも飛び続けること」と石塚氏は語る。現代に甦った零戦はさらなる大空に向かって飛び立とうとしている。

写真■ゼロエンタープライズ・ジャパン

※週刊ポスト2017年6月23日号

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