天皇生前退位と改元のプロセス紹介 中国の古典も参考に

天皇生前退位と改元のプロセス紹介 中国の古典も参考に

生前退位で「平成」もいよいよ終わりへ(撮影/雑誌協会代表取材)

 天皇の生前退位により2019年をもって「平成のおわり」が確実となり、新元号制定の準備が進められている。「改元のプロセス」とは、どのようなものなのか。

「平成が制定されたときの手順を引き継いでいると考えれば、候補はすでにいくつかに絞り込まれているでしょう」(元号に詳しい東京大学特任助教の鈴木洋仁氏)

 元内閣官房副長官・的場順三氏の証言から「平成」制定のプロセスを振り返りつつ、今回の選定について見ていこう。

●候補案を考える「考案者」を総理大臣が選定

 まずは、候補案を練る専門家の選定から始まる。平成を制定するとき、「考案者」を把握していたのは総理大臣、官房長官などといった限られた人物のみ。

「天皇陛下が健在のうちに“崩御の準備”をしていることが公になれば不敬との批判を避けられない。そのため、私が専門家に新元号考案をお願いした際には、部下を連れず一人で九州や京都に出向き、直談判しました」(的場氏)

「考案者」となるのは漢学や東洋史、国文学などの研究者で文化勲章受章者や日本学士院会員クラスの専門家とされる。「平成」制定時は3人が考案者を引き受けた(*)。

【*古典中国文学者で九州大学名誉教授の目加田誠氏、日本文学者で紫綬褒章、文化勲章を受章した市古貞次氏、そして「平成」の名付け親である東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎氏】

●参考文献は「中国の古典」

 元号は、中国の古い書物を参考に考えるケースが多い。過去は、中国の古典の『書経』や『漢書』などから2文字を選んだ元号がほとんどだ。

 東京大学名誉教授で東洋史が専門の山本達郎氏が考案した「平成」は、前漢の時代に司馬遷によって編纂された『史記』と、中国最古の歴史書『書経』が出典で「国の内外にも天地にも平和が達成される」という意味が込められている。

「『平成』をはじめ、先生方に心血を注いで考案してもらった候補案は郵便書留で送ってもらった」(的場氏)

 現在、「すでに最高峰の専門家たちが新元号の案を提出し終わっている段階」(鈴木氏)と見られている。

●候補案を厳選し「元号懇」に提示

 専門家から寄せられた新元号案は、官房長官が内閣法制局長官の意見を聞くことでいくつかの最終候補案に絞り込まれる。その後、日本新聞協会会長、NHK会長、国立大学協会会長らからなる「元号に関する懇談会(元号懇)」に提出して意見を求める。

「平成の時、審議中のメンバーは“記者に捕まって機密が漏れてはいけない”との理由で、トイレに行くことも許されない厳戒態勢だった」(鈴木氏)

●総理大臣が全閣僚会議を開いて政令を決定する

 元号懇が終わると、総理大臣が全閣僚会議を開いて意見を募る。その後、臨時閣議で元号を定める政令を決定する。

 昭和天皇が崩御する1か月前、当時の竹下登首相が「元号案はすでに封筒に入っている」と発言したと報じられている。しかし、その段階ではひとつには絞られていなかった。

「昭和天皇が崩御した1月7日の昼過ぎから元号懇が開催されました。その席で、私から委員の皆さんに『平成』『正化(せいか)』『修文(しゅうぶん)』の3案を提示し、出典と意味を説明したところ、政府第一案である『平成』が支持された。その後の全閣僚会議でも意見が一致し、元号を『平成』に改める政令を決定しました」(的場氏)

 その後、天皇に上奏され、当時、官房長官だった小渕恵三氏が発表した。

「小渕さんが額縁に入れて掲げた文字を揮毫した総理府人事課の職員でさえ、新元号を知らされたのは発表の20分前でした」(鈴木氏)

 誰が新元号を発表するかは法律では定められておらず、今回も官房長官が発表するとは限らない。

「『平成』の発表のときには、小渕さんが発表して『平成おじさん』とまで呼ばれるようになったことを、竹下さんは『俺が決めたのに』と後々まで悔しがっていた」(的場氏)

 次の改元発表では首相が担当することになるかもしれない。

※週刊ポスト2017年6月30日号

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