藤井四段が研究、大名人vs“新宿の殺し屋”の伝説的棋譜

藤井四段が研究、大名人vs“新宿の殺し屋”の伝説的棋譜

伝説のアマチュア棋士・小池重明(写真:共同通信社)

 デビューからの連勝記録は29でストップしたものの、前人未到の大記録を達成し、日本中に将棋ブームを巻き起こしている藤井聡太四段(14)。彼の学んだ数多の棋譜のなかには、棋界の“正史”には刻まれていない“異色の一局”があった──。

 1981年5月31日。東京・千駄ヶ谷にある将棋会館で、その対局は行なわれた。“真剣師”と呼ばれた伝説のアマチュア棋士・小池重明と15世名人・大山康晴(当時は王将)の「プロ・アマ角落ち戦」である。

 先月26日に史上初の29連勝を達成した藤井四段も、幼い頃からつけていた「将棋ノート」にこの一局の棋譜を書き記していたという。

 藤井四段が5歳から通い始めた「ふみもと子供将棋教室」(愛知県瀬戸市)のオーナー・文本力雄氏が語る。

「棋界には、過去の棋譜の指し手を予想する『次の一手問題』という訓練があります。プロ同士の棋譜を教材にすることが多いですが、藤井君が小学校低学年の頃に、教室で小池重明と大山名人の対局を研究したのです。熱心に答えを書いたノートは、今も大切に持って見直しているようです」

 小学校低学年にして伝説の対局から何かを学び取ろうとしていたというのだ。

◆「将棋って、こう指すもんだろ?」

 1992年に44歳の若さで世を去った小池が伝説と称されるのは実力だけではない。当時の小池をよく知る棋界関係者が振り返る。

「とにかく破滅型の人間で、素行の悪さから将棋の師匠に破門された人物でした。年齢制限規定などに例外を設けてのプロ編入が持ち上がっても、素行が問題になって話が流れてしまうほど。当時は大らかな時代で、小池はプロ相手に真剣(賭け)を挑んでカモにしていた。荒れた面もあったけど、対局中は独特のオーラを放っていた」

“真剣師”とは、賭け将棋で生計を立てる人物の呼び名だ。並み居るプロ棋士を次々と倒したという小池には“新宿の殺し屋”との異名までついた。

 アマ名人などのタイトルも獲得するようになり、“史上最強の名人”と称された大山との対局が実現した。小池33歳、大山58歳の時のことである。

 対局前夜、泥酔した小池は飲み屋で大暴れして警察に捕まり、新宿署内で対局の朝を迎えたという。旧知の都議会議員の計らいで釈放され、二日酔いでフラフラと将棋会館に向かったという経緯を『将棋ジャーナル』元経営者で小池と親交の深かった作家の故・団鬼六氏の筆が伝えている(『真剣師 小池重明 疾風三十一番勝負』)。

 その小池が大山という超一流のプロを相手に、角落ちとはいえ、勝利を収めてしまうのが将棋のドラマだ。

 下馬評では大山優勢と見られていたが、いざ対局が始まると場内の雰囲気が一変、見物するプロ棋士たちの顔が青ざめたという。

〈実際に目にした盤面は、私の想像以上だった。これがあの大山名人かと目を疑いたくなるほど、小池に圧倒されているのだ。完全に小池の将棋だった〉(前掲書)

 わずか86手で、大山が「ありませんどうも」とつぶやき投了。対局室は静寂に包まれた。小池は後に対局の内容を聞かれ、こう答えたという。

「将棋って、こう指すもんだろう?」

◆最後に負けた棋士

 将棋ファンに大きな衝撃を与えた小池だが、ついに生涯プロ棋士になることはなかった。『将棋世界』元編集長の作家・大崎善生氏が言う。

「当時の小池氏はアマ名人2連覇中で、いくら大山名人とはいえ角落ちのハンデは無理があったのではないかと思う。心理戦を得意とし、対局中はものすごく威圧感があるけど、終わって棋譜を眺めると『あれ、何でこんな弱い手に負けたの』と驚く棋士が多かったといわれています」

 受けの達人として名高い大山でさえ、アマチュア棋士だった小池に短手数で敗れるのが将棋の世界だ。そんな“紙一重の勝負”に小学校低学年から触れていたからこそ、藤井四段の強さがあるのかもしれない。

「小池氏はいわば“ナメている”棋風。序盤、中盤と相手を油断させ、終盤で一気に攻める。一方、藤井四段は確かな演算力を持ち、対戦相手を引っ掛けるような手は指さない。真正面から勝負していく」(同前)

 デビュー以来公式戦で29連勝を果たした藤井四段だが、プロ昇格前の「奨励会三段リーグ戦」では5敗を喫している(13勝)。「最後に負けた相手」は、2016年9月3日に対局した坂井信哉三段(24)だ。

 取材依頼のメールに、「自分は平凡な三段です。藤井戦も実力勝ちとは程遠く、ただ偶然勝ちになっただけです」と返すのみだった坂井三段。藤井四段に勝利を収めた第59回三段リーグ戦は、9勝9敗と五分で終えている。三段リーグの実力伯仲ぶりと、その中で5敗を喫しながらも1期で昇格を果たした藤井四段の強さが改めて浮かび上がる。

 前出・文本氏は、「藤井君が並み居るプロの棋譜を学んだ教室ですが、今では彼の棋譜を並べて子供たちが稽古しています」と語る。歴史に学んだ藤井四段自身が、今まさに棋史に名を刻んでいる。

※週刊ポスト2017年7月14日号

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