歌舞伎町やコリア街抱える新宿区が70周年、どう変貌したか

歌舞伎町やコリア街抱える新宿区が70周年、どう変貌したか

1952年の新宿駅東口交差点(写真:新宿歴史博物館)

 終戦の2年後、1947年の地方自治法施行による牛込区、四谷区、淀橋区の3区の合併で誕生した新宿区が70周年を迎えた。

 江戸時代には武家屋敷が建ち並び、区名にこだわりの強かった牛込区では合併反対運動が起こったという。旧牛込区の神楽坂で1600年代から続く文房具店の相馬屋源四郎商店11代目当主・長妻直哉氏が話す。

「今もそうですが、地元の人たちもそれ以外の人も、神楽坂が新宿区であるという意識はないように感じますね」

 牛込区、四谷区時代からの独特の雰囲気を残す神楽坂や四谷といった個性的な街が賑わい、1日の乗降客数が340万人超の新宿駅を抱える大都市は、東京大空襲による焼け野原からどのように復興したのか。

「角筈北1丁目(現・歌舞伎町)町会長の鈴木喜兵衛は、荒廃した街に娯楽施設を作ることで立て直そうと考えました。

 相談を受けた東京都の都市計画課長・石川栄耀は、1948年に『歌舞伎町』と名付けたのです。現在、コリアタウンと呼ばれている歌舞伎町の北側から大久保にかけては、高級住宅街で元軍人が多数住んでいたそうです」(新宿歴史博物館学芸員・宮沢聡氏)

 街の真ん中にあった府立第5高等女学校(現・都立富士高校)は中野区に移転。1950年に東京産業文化博覧会が開催され盛況のまま幕を閉じると、施設は新宿コマ劇場や新宿東急文化会館へと姿を変えた。紀伊國屋書店も本店を構える東口一帯は、文化的な風土を醸し出す街となっていった。

「1960年に首都圏整備委員会が策定した新宿副都心計画が、西口の発展を大きく促しました。1964年の東京五輪を機に小田急百貨店や京王百貨店が創業、徐々に現在のような街並みができ上がっていったのです」(宮沢氏)

 10万坪を超える広大な面積を誇った淀橋浄水場が1965年に廃止になると、西口周辺には1971年の京王プラザホテルを皮切りに、1974年国際通信センタービル、1978年新宿野村ビルディングなど、超高層ビルが次々と完成。1991年には都庁も丸の内から移転、名実ともに新宿は東京の中心地となった。

 3年後の東京五輪に向けて、現在も開発は続いている。昨年、新宿駅南口に高速バスターミナル「バスタ新宿」とJR新宿ミライナタワーが開業。四谷にも、駅前に地上31階のタワー棟や商業施設が建設中である。

 明治6年の創業から四ツ谷駅前に店を構えるアサクラメガネの取締役・山中幸宏氏は再開発をこう考える。

「荒木町に代表されるように四谷界隈は今もチェーン店が少ない。個性的な店の良さを残しながら、新しい店も一緒に発展していければと思います」

 古き良き老舗の心意気と絶え間ない大規模開発が絡み合い、新宿は様々な顔を持ちながら進化し続ける。

※週刊ポスト2017年7月14日号

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