声優目指す39歳の専門学校生「お母さんも応援してくれる」

声優目指す39歳の専門学校生「お母さんも応援してくれる」

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 今や人気職業のひとつといえる声優だが、年間志望者3万人に対し、実際にプロになれるのは200〜300人と言われている。一方で、声優になりたい人たちのための専門学校や養成所などの養成ビジネスは堅調で、その伸長に最初に貢献したのはアニメやゲームの仕事に憧れた人が少なくない団塊ジュニアやポスト団塊ジュニア世代だった。彼らのなかには、中年になっても夢の途中でもやもやし続ける人も多い。鬱屈した彼らを含めて「しくじり世代」と名付けたのは、『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏。今回は、かつて取材で出会った専門学校の声優コース在籍のアラフォー男性についてレポートする。

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「日野さん、彼も声優志望なんですよ」

 一瞬、少し含みのある笑みを漏らした声優コースの女性担当者が紹介してくれたのが石井久夫さん(当時39歳・仮名)だった。私は彼の年齢を聞いて驚いたが、女性担当者によるとこの専門学校は受講に年齢制限を設けておらず、アラフォーは珍しくない、ミドルやシニアを対象にしたコースもあるという。養成所の多くは年齢制限があることを考えると門戸が広い。ちなみに石井さんは明らかに彼女より年上だ。

 これは数年前、とあるタイアップ企画で取材した某専門学校、声優コースで出会ったアラフォー声優志望の話である。なぜ今さら古い話を、と思われるかもしれないが、先日、私が何度か取材させていただいたことのある、アニメ『鉄腕アトム』のお茶の水博士で知られ、厳しい後進指導でも知られた伝説の勝田声優学院学長、声優の勝田久先生の訃報に接し、厳しい現実を入門者にも示してくれる貴重な先達がいなくなり始めていることに気づいた。石井さんと話したのは少し前のことだが、声優になりたい人をターゲットにしたビジネスは現在も続いているし、団塊ジュニアでいまから声優になりたい、という、その歳で正気かという夢見人がいるという恐ろしい現実もある。あらためて彼の話を届けよう。

 石井さんは当時39歳だと言っていた。聞けば昔から声優にあこがれていたという。私はてっきり劇団員やエキストラを経ての遅い転身かと思ったが、これまで演技は未経験、学校演劇すらノータッチだったという。アラフォーは珍しくないと言われても私の業界感覚では理解し難い上に演技未経験。「声優界のスーザン・ボイルですね」と、50歳近くになってから素人オーディション番組出演をきっかけに世界的な歌手となった女性の名前を思わず口に出してしまったが、石井さんはきょとんとした様子で「誰?」だったので助かった。

「声優は歳とっても出来るし、男の声優は女と違って長く出来るでしょ。アニメをずっと観て来たから声優も好きだし詳しいよ」

 この通り、初対面の席なのに終始タメ口なのは仕事なので我慢したが、どこかで聞きかじったのであろう言葉を並び立てる訳知り顔には違和感を覚えた。

「ここは通信もあってあまり通わなくていいし、自分のやりたいジャンルに集中できるから決めたんだ」

 パンフレットでも驚いたのだが、ここは通信教育で声優を養成するコースもある。もちろん一定期間通うスクーリングの制度はあるようだが、仮にも演技の学校である。独学で調べたりレポートを出すような通信制大学や資格の試験対策のための通信制予備校とはわけが違うように思うが、別にこのスクールに限らず声優の通信教育というのは存在する。取っ掛かりとしてはありかもしれない。

 当然、10代20代の受講生が中心の取材となったが、学校側は遅くても声優になるチャンスはあるという話に持っていきたいらしく、石井さんも連れてきたというわけだ。

「やっぱ好きなことで生きないと。俺は子どものころからアニメが大好きだし、今も超オタク。あとお母さんも応援してくれるし」

 同じ働くならば、好きなことを仕事にしようという風潮が強くなったのはいつからか。確かに、嫌でたまらない仕事を続けてストレス過多になるよりは、少しでも好きなことに近いほうが働きやすいかもしれないが、それも程度の問題だろう。とはいえ、どこまで好きを仕事にするため無理をするかは人それぞれの話になるのでいいかと話を切り上げようとしたが、最後の「お母さん」という言葉に彼の年齢を重ねてしまい、思わず「お母さん応援してるんですか!?」と聞き返してしまった。

「応援してくれてるよ。学費も出してくれたし、だから絶対声優にならなきゃ」

 学費も!?と聞き返しかけたがそれはやめた。かなりの高額なので驚くしかないが、横の女性担当者の笑みが怖い。他にも石井さんくらいの年齢の学生がいると聞いたが、男性だけでなく女性もいると聞いてこれも愕然とした。女性に年齢は失礼だが、現実問題として新人女性声優でアラフォーデビューは聞いたことがない。劇団やアイドルを経てならともかく、アラフォーの女性が一から声優を目指すとなるとスーザン・ボイルどころではない。ましてや、新人女性声優は男性声優以上に「若さゆえの容姿」を求められるのが業界の現実だ。◆母はダブルワークで、オーディションのために自分は派遣

 誰にでもチャンスはあるし、夢や目標を持つのは自由だ。とはいえ石井さんは39歳、普通を強いるつもりはないが、多くの人は仕事に家庭にと懸命な歳であることは確かだ。会社なら役職についているかもしれないし、マイホームで子どもと遊んでいるかもしれない、少なくとも私の幼少期の39歳男性といえばまさしく“おじさん”然としていた。

 だが、そこにいるのは色白でぷくぷくと太った39歳の頭髪さみしい男の子、子供おじさんだった。言い過ぎと怒られるかもしれないが、それ以外の表現手段が私には見つからない。見た目はそれなりに年齢を重ねているのだが、話すと世間知らずな幼さを残しているのが伝わり、ちぐはぐなのだ。もし実家で子供の頃から同じ部屋に住み続けているなら立派な子供部屋おじさんだが、たぶんそうだろう。それでも桁違いの金持ちならまた、個々の家庭の事情でしかない。が、「裕福な家なんですね」と聞くと、そうではないという。

「お母さんは清掃と介護の仕事ですげー元気。お母さんはおしゃべりで面白いからどこでも人気者なんだ」

 これを聞いて心で泣いた。私は彼にインタビューするという仕事がつらくなったが、女性担当者は石井さんの保護者の話に「お母さんパワフルだもんねー」とフランクな合いの手を入れていた。プロだ。

 断片的に彼が話す情報によれば、清掃は病院の清掃で、介護は訪問介護のようだった。母親のダブルワークで生活には困ってないようだが裕福には程遠い。それにしても母が働いたお金で学校、しかもアラフォーおじさんの学費。息子がかわいいならそれも親の自由だが。

「俺もバイトはしてるよ。あちこちのイベント会場作ったり整理したり」

 高校を出てアニメ専門学校のノベルコースなるものに通ったそうだが中退、しばらく仕事をせず家にいたが両親の離婚をきっかけにアルバイトを転々とし、いまは派遣だそうだ。

「派遣の理由? オーディションもあるから自由な仕事にしてる」

 オーディションとは一般公募のことを言っているのだろう。学生の身である彼に事務所の所属声優や製作会社、音響制作会社と旧知の声優を対象としたプロ前提のオーディションの声などかかるはずがない。

 女性担当者が話に割って入った。

「(学校が)アニメに協力してますから、スクールの優秀な生徒には現場に行けたりもするんです。役がつく場合もあります」 パンフレットには某深夜アニメのキャラクターが並び、スクールの名前とおそらくスクール生であろう子たちの顔が囲みで紹介されていた。正直言って、今から思えば人気になることもなく静かに放送が終わったアニメだった。よくある話で珍しくもないが、作品と声優専門学校がタイアップをしているため在校生が出演しているのだ。パンフレットの写真には学生として作品に参加した新人志望者たちの顔が並んでいたが、そこに石井さんのようなおじさんは見当たらない。個人的には演技未経験のミドルやシニアの声優志望がいたっていいと思うが、有望な若手が大量に供給され、ふるい落とされる鬼倍率の声優業界、まともな事務所がそんな人を受け入れるかといえば「NO」だろう。声優は若くして目指すものという暗黙の了解は存在する。その辺は役者や芸人、歌手より門戸が狭いかもしれない。

◆「声優になれなかったら、学校のせいでしょ」

 私はあらためて石井さんに問いかける。

「石井さん、どんな声優になりたいですか?」

 石井さんは身振り手振りで有名声優の名前を列挙した。現実の声優の仕事はボイスオーバーやナレーションなど多岐にわたるので、そういった方面の話も振ってみたが、アニメの登場人物、いわゆるアニメキャラと人気声優の話ばかりだった。

「アイツはだめだね、あとアイツも下手、あのキャラはね──」

 有名声優、人気声優でも石井さんの気に入らない声優はとことんこき下ろされた。正直うんざりだが、中年とはいえまだ初学の石井さんなら先走りも仕方ないと思い、私は適当なところで話を切り上げ、本題を投げた。

「声優になれなかったらどうしますか?」

 石井さんは露骨に不機嫌な顔をして答えた。

「そりゃ学校のせいでしょ。その時は怒りますよ。高いお金払ってるんだし」

 女性担当者をチラ見すると笑みを浮かべたまま、それはそれで怖い。私は続けた。

「そういうことじゃなくて、もしもの将来の話です。ずっと派遣も嫌でしょう」

 癖なのか、口元を指で弾いてしばし考え込む石井さん。私が「そんな重く考えなくていいですよ」と促すと、石井さんは小声で語りだした。

「実は小説家でもあるんだ。ラノベはずっと書いてるしネットで発表したりしてる。そっちもやって、どっちかで売れればと思ってる」 こういう人は仕事柄知っているので驚かない。それは小説家じゃない、という当たり前の指摘も野暮だし無駄だ。石井さんに限らず、小説家、とくにライトノベル作家だと自称する人は多い。彼らのほとんどは職業として小説を書いているとはいいがたく、作家になりたい(want to be、ワナビ)人たちだ。趣味ならご自由にだが、名乗るのはどうか。石井さんはワナビ、声優でもワナビだから2つのジャンルのダブルワナビ、おまけにアラフォーだ。

「あと、声優の彼女とか欲しいな」

 石井さんはぽつりと言って恥ずかしそうにうつむいた。見た目はベテランなのに無邪気な発言を繰り返す石井さん、仕方ないので話を合わせると、今度は人気アイドル声優の名前を機関銃のようにまくしたてた。それに逐一うなずきながら微笑みをたたえる女性担当者、その後、「うまくまとめてください〜」と物腰柔らかく満面の笑顔、まさにプロだ。

 私のこの体験は数年前の話である。だから当時聞けなかった彼の人となりの一部には憶測も含まれてしまっているだろうが、自分の好きなことにこだわりが強すぎるあまり、実家の経済力に頼る中高年とは何人も出会ってきたし、取材もしてきた。彼らの様子は極めて類型的なので、石井さんについてもそれほど外れてはいないだろう。

 団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアは、仕事や働くということに対して、単に給料を得るということ以上の夢を抱く最初の世代だったかもしれない。好景気ですんなり就職したら、それは子供時代の淡い憧れだったと思い出に変換できたかもしれない。しかし、社会に出るときに就職氷河期が重なり、仕事に就くチャンスを逃し続けた結果、どうせ働くなら好きを仕事にというこだわりだけを残したまま中年になってしまった人が少なからずいる。石井さんは、そんな夢からさめないまま中年になった一人なのだろう。◆夢見ることを野放しにされ、夢を強要されていた

 石井さんがいま、どうしているか知るよしもないが、ちゃんと定職についていなくとも、地に足のついた生活をしているのだろうかと思いをめぐらせることがある。そして、清掃と介護のダブルワークをして、明るくてどこでも人気者なのだというもう還暦も過ぎただろう彼のお母さんは、今も元気なのだろうかと気がかりになる。あのとき取材した声優コースを抱える学校はカリキュラムこそ変わったが現在も存在する。そしてこの学校に限らずいまも、声優になるための専門学校は雨後の筍のように乱立し続けている。そんな声優になりたい人々が、どれだけの厳しい現実を直視しているのだろうかと心配になる。

 冒頭で触れた勝田先生は入学希望者に「声優なんかなるな」と言った。私がお話をうかがったときも「声優になるなんてみんなどうかしてるよ」と言いのける人だった。それでも見どころのある人材には全力で取り組み、選ばれし者として業界に送り出した。本来、芸とはそういうものだ。芸は理不尽で残酷で、人間を不幸にするものだ。それでもかまわない「どうかしてる」人だけが挑むのだ。結果はもちろん完全な自己責任、優勝劣敗だ。

 いまさら石井さんの通っていた学校を批判するわけではない。営利目的なら仕方のない話だし、少ないながらもプロは育っている。それでも、石井さんのような、夢ばかり語るような未経験のアラフォーが名実ともにプロになれた、という話は聞かないが──。

 いまだから言うわけではないが、はっきり言って石井さんが声優になれるわけがないし、ラノベ作家もまあ、無理だろうと取材時から思っていた。「もしかしたら」と可能性もなきにしもあらずだが、スーザン・ボイルは発見されるのが遅かった天才の奇跡の話だ。リアルは残酷だ。そんなところに気づかせることなく商売するのもプロだ。憧れや夢をビジネスに変えるプロ集団にかかれば、子供おじさんなどひとたまりもない。商売としてはありだろうが、社会はこのような夢の搾取によっても蝕まれている。

 思えば団塊ジュニアは夢見ることを野放しにされていた部分もあるし、夢を強要されていた部分もある。時代といえばそれまでだが、1980年代の日本における夢とはキラキラしたものだった。それがバブルによる装飾だったのか、キラキラしているように見せかけているだけだったのか──。

 それより、声優に限らず全国の“子供部屋の石井さん”をこれからどうすればいいのかという話だ。私たちも上の世代も、ここまで多くの専門性のない中高年独身無業者を社会が抱えるとは思っていなかった。時がいずれ解決すると思っていたはずが、時がすぎるだけで解決することのないまま社会保障の重荷になりつつある。いや、重荷となるのは明らかだろう。

 日本国憲法第25条、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある限り、何人たりとも救わなければならないのが建前だが、私たちの社会は、多くの石井さんの将来を救うことはないだろう。社会的コンセンサスとして、独身男性の無業者は自己責任とされているのが現実だ。

 しかし石井さんが放置された先には石井さん個人の問題だけではない、彼らの存在による社会不安の広がりが懸念される。永遠の少年や夢見る少女は少年少女だから許されるのであって、中年男性には許されない。そんな大勢の石井さんが存在するという現実から目を背けているのが現代社会、しくじり世代のしくじりたる所以と怖さはまさにそこにある。

●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ正会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。

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