首相や小池知事の「カタカナ語濫用」の根底にあるものは何か

首相や小池知事の「カタカナ語濫用」の根底にあるものは何か

評論家の呉智英氏

 東京都の小池百合子知事は、カタカナ語をよく使うことで知られている。イメージ戦略をともなう選挙では効果的だろうが、新型コロナウイルス対策のための記者会見で、老若男女、色々な人に言葉を届けるうえではどうだろうか。評論家の呉智英氏が、カタカナ語がやたら使われることの根底に何があるか、について考察する。

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 三月二十三日付朝日新聞夕刊の「素粒子」欄に、こうあった。

「カタカナ解説に戸惑う。オーバーシュート、ロックダウン、クラスターって、何だ。」

 全く同感だ。このうちクラスターだけは統計学や分子科学の用語でもあるので、これを使うのはやむをえないとして、あとの二つは何でこんなカタカナ語を使うのだろう。コロナ感染者の爆発的増加を表現する言葉が必要なら、オーバーシュート(度を越す)などと言わず「爆増」とでも造語すればいいではないか。ロックダウンも、これでは岩rockが落ちてくるみたいだ。錠lockを下ろすのだから「都市封鎖」でいいだろう。

 これらのカタカナ語を得意気に使ったのは小池百合子東京都知事と安倍晋三首相である。安倍首相はさらに二十七日の参院で、東京五輪を二年も長期延期すると「モメンタムが失われる」と発言している。各紙は「勢い」と説明を付けた。政治家はよほど英語が得意で、つい英語が口に出るらしい。

 では、日本語はどうか。小池知事は措くとして、安倍首相の国語力は高校生以下だ。『AERA』昨年五月二十日号は、同四月三十日の先帝「退位礼正殿の儀」での安倍大失言を報じている。

「両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」

 戦前なら政権崩壊だ。緊張のあまり舌がもつれたというわけではない。「国民代表の辞」を読んでの失態である。否、読めなかったのだ。当然、文書には「願って已みません」とあった。文書を作成した高級官僚は、真逆ここに振り仮名が必要だとは思わなかったのだろう。「真逆(まさか)」なら必要かもしれないが。ああ、已(や)んぬるかな。

 己・已・巳の違いは高校までに習う。「已」は「すでに」「やむ」と訓(よ)む。音(おん)なら「い」。已然形(いぜんけい)の「い」だ。むしろ「い」と読めただけエラいので、安倍首相には部分点を進呈したくなる。

 カタカナ語濫用の根底には、英語や仏・独語は高級な言語で日本語は劣った言語だという卑屈で歪んだ欧米崇拝意識がある。差別語認定された言葉をカタカナ語に言い換えるのは、その好例である。差別語認定されたらその愚を徹底的に批判してやるのが本筋だろう。同じ意味の英語に言い換えて「良い言葉でしょ」と得意がっても何の意味もない。

 三月二十三日付朝日新聞は、コロナ禍で静まり返ったニューヨークをこう描く。

「警備員の男性が嘆くようにこうつぶやいた。クレージーだ」

 クレージーを日本語で表現できない方がクレージーだろう。

 二〇一八年九月五日付産経新聞は、ゲームクリエーター田尻智を紹介する連載記事の見出しを「フリークが集まった」とし、本文中で「フリーク(心酔者)」と説明している。ゲームクリエーターには説明がないのもおかしいが、フリークを「心酔者」とするのももっとおかしい。私が説明したいが、残念、もう字数が足りないや。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

※週刊ポスト2020年4月17日号

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