美智子さまが雅子さまの手を握り「皇室を支えてくださいね」

美智子さまが雅子さまの手を握り「皇室を支えてくださいね」

誕生祝いの席で雅子さまに声をかけられたという美智子さま

 超大型の勢力を保ったまま列島を縦断した台風21号は、各地に爪痕を残した。関東に迫った10月23日の午前には各交通機関が混乱。皇太子さまと雅子さまも影響を受けた。

「24日に高知県で開催された『全国農業担い手サミット』の開会式へのご臨席のため、23日午前の羽田発の飛行機に搭乗される予定でした。ところが、その飛行機が欠航になり、午後の便に急きょ変更。雅子さまは“ご体調次第”での同行予定だったため、突然のスケジュール変更に取りやめも不安視されましたが、大変お元気な様子で、到着後はパプリカやピーマンの栽培を視察されました」(皇室記者)

 3日前の10月20日、朝日新聞に大きな見出しが躍った。

《天皇陛下退位 2019年3月末》

 昨年8月の「お気持ち」表明を経て、今年6月に特例法が成立した陛下の退位の時期には、「2018年末」と、「2019年3月末」の2案が浮上していた。

 新年の儀式や、一般参賀といったイベントが立て込む年末年始に、新たな天皇の即位にまつわる儀式を同時並行するのは現実的ではないと、宮内庁内では意見がまとまりつつあるので、年度末の退位がより現実味を帯びているようだ。

 そうなれば、2019年4月1日に皇太子さまが即位され、新たな元号に切り替わる。同時に「雅子皇后」が誕生する。

 2004年6月に「適応障害」の療養生活に入って以降、雅子さまが暗いトンネルを歩まれてきた時間は14年目に入り、現在まで完全復帰には至っていない。そんな状況に、雅子さまへの不安の声は尽きない。

「“国母”としての重責を担うことができるのだろうか」

 しかし、高知に降り立った雅子さまのご様子からは、そういった声をはねのけるほどの力強さが伝わってきた。その陰には、“唯一の先達”である美智子さまから送られたエールがあった。

◆これからの皇室を支えてください

《長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が、御高齢となられた今、しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え、これを可能にして下さった多くの方々に深く感謝しております》

 前述の朝日報道があったまさにその日、美智子さまは83才を迎えられ、誕生日に際しての文書にそう綴られた。そこには、ご成婚から50年以上にわたって陛下をそばで支えられてきた美智子さまの、心からの安堵がうかがえる。誕生日当日の夜、皇居では祝い膳が催された。

「夜7時頃に始まった祝いの席は、終始和やかな雰囲気だったそうです。皇太子さまと秋篠宮さまは、美智子さまの深い愛情に対する感謝の言葉を述べられたそうです。雅子さまは“皇后陛下の深い愛情に感謝するほか言葉がありません”と伝えられたそうです。それに対して、美智子さまも心から“ありがとう”と返されたといいます」(宮内庁関係者)

 かつて、両陛下と皇太子ご夫妻は「途絶状態にある」とまでいわれた。美智子さまは「あちらの様子が伝わってこなくて」と漏らされたこともあったという。それはそのまま、美智子さまと雅子さまの間に大きな溝が横たわっていることを意味していた。

「ですが、美智子さまは常に雅子さまのことを気にかけていらっしゃいました。民間から皇太子妃として嫁がれたのは、長い歴史をひもといても、たったおふたかただけ。美智子さまご自身も、嫁がれてから数々のハードルを乗り越えられてきましたし、時には打ちひしがれることもありました。お気持ちを共有できる唯一無二の存在なのです」(別の宮内庁関係者)

 美智子さまは、雅子さまのことを静かに見守られてきた。信頼があるからこそ、余計な言葉はあえて避けられたのかもしれない。だが、皇后としての“終着点”を見据えた美智子さまは、突き動かされるように雅子さまに歩み寄られた。

「祝い膳のあと、美智子さまと雅子さまがやりとりをされるシーンがあったそうです。そのとき、美智子さまが雅子さまの手を強く握りしめられながら、“あなたのお気持ちで、これからの皇室を支えてくださいね”とお伝えになったといいます。美智子さまがここまで直接的なアクションを起こされたことはかつて聞いたことがありません。雅子さまは感無量といった表情とともに、新たな決意を固められたご様子だったといいます」(前出・宮内庁関係者)

 その3日後、雅子さまはアクシデントをものともされず、高知へと降り立たれたのだ。

撮影/雑誌協会代表取材

※女性セブン2017年11月9日号

関連記事(外部サイト)