温厚でおっとりしていた東芝が家族的路線を捨て衰退するまで

東芝の業績の悪化は家族的路線を捨てたから? 『サザエさん』スポンサー降板の話も

記事まとめ

  • 元来、東芝の社風は「家族第一」で「社内はほんわかとしたムード」とジャーナリスト談
  • しかし「穏やかな社風は、1996年に西室泰三氏が社長に就任すると激変した」と作家談
  • 「大リストラで社員さん達が辞めてしまい苦悩をしていた」と東芝社員の妻は語った

温厚でおっとりしていた東芝が家族的路線を捨て衰退するまで

温厚でおっとりしていた東芝が家族的路線を捨て衰退するまで

家族主義路線を捨てた東芝が衰退するまで

 東芝の業績の悪化が続いている。ついには、長らく続いていた『サザエさん』(フジテレビ系)のスポンサー降板の話も出ている。一連の騒動が夫婦の仲を引き裂いたケースもある。

 中田良子さん(仮名・43才)の夫は、業績悪化のあおりで勤めていた東芝の子会社が別の企業に買収された。

「私自身、これまで夫が東芝グループの一員であると深く考えたことはありませんでした。しかも夫の会社の買収先は、世界的にもトップシェアの優良企業で、お給料や福利厚生も充分だった。だから会社が変わったとしても別に構わないやと思っていたんです」(中田さん)

 買収先の待遇が東芝と変わらないことを知った中田さんは、自宅で夫に「よかったわね」と声をかけた。すると夫は怒気を含んだ声でこう言い返した。

「どこがいいんだ! みじめなもんだよ!」

 中田さんが眉をしかめる。

「日曜の夜に子供たちとテレビを見ていて、私が何気なく『昔は東芝日曜劇場だったんだよ』と言った時も、夫は、『そんな話、しなくていい!』とキレて、『もう東芝からは切り離されたんだよ!』と怒鳴りました。夫としては、自分の会社が日本のトップ企業のグループ内にあり、世間に知られていることが何より重要なようです」(中田さん)

 そんな夫に中田さんは不満を持つようになった。

「小さい子供がいて家庭を守る妻としては、これまでの待遇が維持されることが何より大事であり、わけのわからない東芝愛とか男のプライドは必要ありません。夫を見ていると、『本当に家族のことを考えているのかな』とつい思ってしまう。私のイライラを彼も察したようで、会社が変わってからお互いにギクシャクした関係が続いています」

 もう少し下の世代になると、夫婦ともに達観している。柿野京子さん(仮名・32才)は、夫の勤務先である『東芝メディカル』が2016年2月にキヤノンに買収された。

「東芝ほど規模は大きくないですが、キヤノンもネームバリューのある有名企業なので安心しました。子供の幼稚園のママたちは企業名で序列を決める傾向があるけど、キヤノンなら東芝にも負けないでしょ(笑い)。お互いの両親も、『キヤノンならよかったね』と喜んでいますし、夫も仕事内容も待遇も変わらないからと特に不満はなさそうです」(柿野さん)

 元来、東芝の社風は「家族第一」だった。東芝を長く取材し、西田元社長に焦点を当てたルポルタージュ『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』(小学館・11月15日発売予定)を上梓するジャーナリストの児玉博氏が言う。

「そもそも東芝のルーツの1つは、白熱灯を製造していた『白熱舎』という会社。創業以来、一般家庭に明かりを灯すことを生業としていた東芝は、家庭的なイメージを大切にする企業でした」

 多くの大企業は縁故入社を禁じたり、隠したりするが、東芝はオープンだ。

「幹部の息子や娘が入社することがとても多いんです。地方の工場でも2世どころか、『自分、〇〇の孫です』と胸を張る親子3代の社員もいます。必然的に顔なじみが多くなり、社内にはほんわかとしたムードが漂います」(児玉氏)

 昔から総合電機メーカー3社を比較して、「野武士」の日立製作所、「殿様」の三菱電機、「お公家さん」の東芝と評される。

 その名の通り、温厚でおっとりとした社員の多さが東芝の特徴だが、一方で上司の面倒見は極めてよかった。

「上司と部下が親子のような関係なんです。若さゆえ素行が悪く、酒場で荒れたり飲み代のツケをためるような不良社員に対しても、上司が身元引受人になって飲みの代金を支払う風土があった。部下を絶対に見捨てない姿勢が東芝のカルチャーだったのです」(児玉氏)

 東芝グループの経営理念の筆頭に掲げられるのは、《人を大切にします》という文言。牧歌的な社風のもと、社員たちは自然と家族のような関係になっていった。

◆社員同士、社員の妻同士の密な関係

「昔の東芝は、社員同士は役職ではなく“さん”付けで呼び合いました。休日にはお花見など季節行事のほか、野球やラグビーなど社内のスポーツ部を従業員と家族でワイワイと観戦して、一体となって応援することも多かった。こうした場で出会って、社内結婚するカップルもたくさんいました」(50代の東芝社員)

 社員と結婚した妻たちも当然その“家族”の中に入って密なつきあいをするようになる。

「青森の高校を卒業してすぐに上京し、東芝の工場に勤務するようになった主人と結婚したのは22才のとき。私も新潟からの上京組だったので、主人と結婚した後、主人の上司が家に呼んでくれたり、社内の忘年会や送別会があると声をかけてくれたりするのは、東京にも家族ができたようでうれしかったことを覚えています」(60代の元東芝社員の妻)

 しかし、穏やかな社風は、1996年に西室泰三氏が社長に就任すると激変する。『東芝崩壊 19万人の巨艦企業を沈めた真犯人』(宝島社)の著者・松崎隆司氏はこう言う。

「西室氏は、東芝の本流である重電系出身ではなく、海外の営業経験が長い『異端児』でした。彼がトップに立ってからの東芝は、事業部門ごとに分社して独立採算にする執行役員制度や社内カンパニー制の導入といった改革を積極的に進めました」(前出・松崎氏)

 西室氏の就任以降、岡村氏、西田氏、佐々木氏と続いた歴代の社長は、功名心からか、儲かりそうな事業には資源を投入する一方、お金を生まない事業を整理する“選択と集中”を進めた。それは、かつて東芝が重視した家族主義路線との決別を意味した。

 その象徴が2001年に行われた大リストラだ。前年にITバブルが弾け、2500億円の巨額赤字を計上したことを受け、東芝はグループ全体の12%に当たる1万7000人の人員削減と国内拠点の閉鎖を断行した。

「創業以来の大リストラでした。大規模な人員削減に、『あの東芝がそこまでするのか』と経済界に衝撃が走りました」(児玉氏)

 この当時、社宅暮らしだった40代の東芝社員の妻はこう語る。

「住んでいた社宅からどんどん人がいなくなっていったことを覚えています。当時のリストラでは、『退職金がたくさん出るから』と、優秀な若手や中堅の社員さんが辞めてしまったそうです。ただその後、『海外の会社にヘッドハンティングされて海外駐在になったはいいものの、慣れない生活に離婚を切り出した』とか『外資系で羽振りがよくなったものの、派手に飲み歩くようになったご主人に愛想をつかした』とか、出て行った奥さんたちもそれぞれ苦悩しているようでした」

※女性セブン2017年11月16日号

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