内科医辞めて料理人に転身、今は自給自足するDr.Misoの人生

内科医辞めて料理人に転身、今は自給自足するDr.Misoの人生

2013年、米・ニューヨークの料理学校のキッチンで

 進級、進学、就職、結婚、出産…同じように見えて人の歩みは十人十色。節目節目でどんな人に出会い、どんな出来事に遭遇したか。そのときに何を思い、いくつかあったはずの選択肢のどれを選んだか──。その岐路で、人生は大きく変わる。曇りのち晴れ。好天人生を送る、市井の人の物語。

 緊急事態宣言が解除されたとはいえ、いまだ気を緩めることのできないコロナ禍の中、がぜん注目を集めている食品がある。味噌や麹、ぬか漬けなどの「発酵食品」だ。

 医師の関由佳さん(36才)は、野菜ソムリエなどの資格を持ち、食べ物によって病気を防ぐ「予防医学」に力を注いでいる。なかでも発酵食品のエキスパートで、「Dr.Miso」の名で、味噌の効用や魅力を広める活動を行っている。

「発酵食品にはいろいろありますが、そのなかでも味噌は乳酸菌や食物繊維が豊富で、腸内環境を良好に保ってくれるスーパーフードです。新型コロナウイルス感染拡大の中、『免疫力を高めてくれる』と、興味を持つ人が増え続けています」

 ゆっくりとした口調でそう話す関さんは、小柄で折れそうなほどにか細く見える。毛穴がまったく見えないほどツヤツヤな肌やキレイな髪を目にすると、「これが発酵食品の力か…」と思わずうなってしまうほどだ。

 内科医としてキャリアを積んだ関さんは、なぜ医師としての職務より「Dr.Miso」としての活動を優先させるようになったのだろうか──。

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

《将来は医者になって、患者さんの病気をなおして、みんなを幸せにしたいです》──。これは、1995年、毎日新聞地方版に掲載された、小学6年生時の関さんの作文『将来の夢』の一節だ。

 関さんは1983年、宮城県で勤務医の父と専業主婦の母のもとに生まれた。

「父だけでなく、親戚たちもみんな医者の家系だったので、私も小さい頃から医者になるのが当たり前だと思っていました。ですから、小学校高学年から、医者になるための勉強をしていました」

 そんな関さんは、中学校に入学すると「勉強」以外の道に目覚める。

「入った中学は新体操の強豪校。幼い頃から、踊ることが大好きだった私は、自然に新体操部に入部しました。県大会の常連で、部員が20人以上もいる、校内でも人気の部でした。2年生になると部長に抜擢され、試合に出るために、プロポーションを保とうと、“食べないダイエット”を始めました」

 もともと、頑張り屋だった関さんは、「何を食べたら、体にどのような影響が出るか」ということに興味を持ち、納得いくまで追究することにした。弁当は自作し、炭水化物はほとんど摂らず、食事は野菜中心。添加物にも気を使い、ファストフードは一切、食べなかった。

 ストイックに「食と体の関係」を追究した結果、半年で一気に8kgほど体重を落とした。まだ14才、中学2年生のときである。その“努力”が、成長過程にある関さんの体に、後々まで及ぶ影響を与えることとなる──。

「ホルモンバランスが崩れたのか、月経が止まってしまったんです。ショックを受けましたが、しばらくは母親にも話せませんでした…。心配させたくない、というのはもちろんですが、ダイエットを止められるのが嫌だったんですね。

 月経が止まってしまってから半年ほどしてようやく母に相談して、病院に行き、子宮や卵巣の機能など検査をしました。でも、結果は異常なし。原因はわかりませんでした」

 関さんは不安を抱えながら中学を卒業し、県内でも有数の進学校に進み、医師を目指すことにした。新体操は引退したものの、体は元には戻らなかった。勉学に励みながらホルモンバランスを整えるための通院を余儀なくされ、投薬中心の「対症療法」を3年間続けた。そして2001年、山梨大学医学部に現役で合格する。

「医師になるのが当たり前という環境だったので、ほかの職業につくということが想像できませんでした。医学部に入ってから自分は料理が好きだということに気づき、医学生のときから料理教室に通ったり、栄養学についての勉強を続けていました。料理好きが高じて、所属していた写真部の部室を勝手に改造してカフェ化して、友人たちに手料理を振る舞うほどでした。

 そうこうして卒業して研修医になり、病院でいろいろな科を回りましたが、これだ!というものは見つからない。そんなときに起きたのが、東日本大震災だったんです」

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

「幸い、宮城県の実家や地元の友人たちには被害はなかったのですが、どんなに健康な人でも、いつ死ぬかわからない。それがリアルにわかった。じゃあ、どうしたいのかと真剣に自分と向き合いました。

 私は14才で月経がこなくなってから、ずっと薬をのみ続け、それでは体は治らないということを身にしみてわかっていた。だからこそ、学生時代からずっと“薬を使わない治療をしたい”と考えていました。

 医局に入って3年目。このまま大学院に行くのか、違う道を選ぶのか、教授から進路の決断を迫られていた時期でもありました。そこで教授に『私のやりたいことは、薬で治療をするのではなく、薬を減らし、食べ物で人を健康にすることです』と伝えたところ、『それは医者の仕事ではない』と言われたんです。

 そこで、『あ、私がやりたいことは医者の仕事ではないんだ』と、気持ちがクリアになったんです」

 医局を離れた関さんは、糖尿病専門クリニックに就職する。

 そこでの診察を通して、患者一人ひとりに「食べたもの」と「症状」についての徹底的な聞き取り調査を行った。そして見えてきたのが、「病気の原因は食にある」ということだった。

「食べ物の偏りによって腸内環境が悪化すると、栄養のバランスが崩れ、便秘や下痢を起こし、大腸がんのリスクも高まる上、認知症やうつ病の引き金にもなり得ます。医学部時代に、医者になるか料理人になるか本気で迷っていたくらいだったので、『じゃあ、医師としてのキャリアは一度中断して、料理人になるための勉強をしよう!』と一念発起して、ニューヨークに行くことにしたんです。震災から2年後、2013年のことでした」

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

 関さんが選んだ学校は、マクロビオティックやビーガン料理など「健康に特化した料理」を教える専門学校だった。学校にはインターン制度があり、最初は精進料理の店で2週間働いた。次にミシュラン2つ星のレストランに応募するも、インターン枠が埋まっており採用は見送られる。

「でも、私の履歴書を見た、その店の栄養管理士のかたから、『あなたのバックボーンは面白い。遊びにいらっしゃい』と誘われ、店に行った。するとすごく話が弾んで、後からきたシェフから、『ちょうどインターンが辞めたから、うちで働かない?』と誘われたんです。日本では、医者を辞めて料理人になると言うと、『本気なの?』と言われる。でもニューヨークでは、『何それ? 面白い』って。新鮮でした」

 関さんは、平日はその店の厨房で、土日は知人が経営する日本料理店を手伝った。休みのまったくないハードな日々だったが、肉体的にも精神的にも苦痛を感じることはなかったという。

「同じ時間を費すのでも、医者として働いているときと、料理をしているときでは、時間の過ぎ方がぜんぜん違うんです。喜びの中で生きるってこういうことなんだと理解しました。

 ライフワークとなる“味噌”と出合ったのもこの頃です。ニューヨークで出会った日本人のかたに味噌の作り方を教えていただいた。日本では味噌は簡単に手に入りますが、海外ではなかなか入手できない。いざ手作りしてみると、大豆と塩さえあれば、こんなに簡単に作れるのかと驚いた。友人たちに振る舞うと『何これ! おいしい』と絶賛され、そこから味噌の魅力に取り憑かれたんです。

 不思議なもので、自分が変わると、周りも変わる。日本にいるときは、誰も自分のことを理解してくれないと思っていたから、すごく孤独でつらかった。でも、ニューヨークで好きなことをして自分がハッピーな状態でいたら、周りがすごく受け入れてくれたんです。

 日本では、医者として頑張らなきゃいけないとか、キャリアを積まなきゃいけないとか、“しなきゃいけない”ってことにとらわれていて、心身ともにストレスを抱えていた。でも、そうじゃなくて、自分が幸せであれば、周りも幸せになる。しなきゃいけないことなんてないんだって気づいたんです」

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

 とはいえ日本に戻ると、医師としてのキャリアを積まなければという義務感を再び感じることとなる。

「2014年、知り合いの紹介で、銀座のクリニックに院長として勤めることになりました。薬を使わない方針のクリニックということだったので、いままでの経験を生かせるだろうと引き受けたのですが、いちばんキツかったのが、サプリメントを売らなければいけなかったこと。

 もちろん、サプリや薬が必要な人は摂るべきだと思うんですけど、私は必要最低限しか出したくない。でも、それだと経営が成り立たない。院長として売り上げを上げることと、できる限り食べ物で治したいということ。どうしてもこの2つの折り合いをつけられず、また、悩み始めてしまったんです。

 うつ病になるほどのメンタルの落ち込みはなかったけれど、ストレスで自律神経が乱れ、立ち上がるとめまいが起きる。私は経営者には向いていないのでは、と自問自答の毎日でした。そうしているうちに経営母体の事情で閉院が決定。これからどうすればいいのかと、ひたすら考え続けました」

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

「暗中模索している頃、ニューヨーク留学中に知り合った女性が、ハワイのマウイ島にゲストハウスを造ったからと、声をかけてくれたんです。私はハワイには興味がなかったんですけど、ふと、これもご縁だと遊びに行くことにしたんです。

 ハワイはパワースポットとして人気ですが、なかでもマウイにはハレアカラという霊峰がある。友人に誘われて、ハレアカラに朝日を見に行ったんです。そうしたら、何か朝日が、すごく“新しい生命”のように感じられて感動し、あふれ出る涙が止まらなくなった。

 14才のときから33才のいままで、自分が子供を持つことをすごく拒んで、女性らしい体になることや、子供を持つことに、なぜか恐れを抱いていて、食べることを拒否していた。それが自分の月経を止めていたということが、すごく、感覚的にわかったんですね。“あ、病気というものは全部自分が作り出していたんだ”ということが、言葉ではなく理解できた。そこで意識が変わって、“じゃあ、自分で治していこう”と、決意したんです」

 その後、関さんは、自然医学を学ぶため各国を回った。そこで出合ったのがインドの伝統医学「アーユルヴェーダ」だ。そして関さんにさらなる奇跡が訪れる。

「アーユルヴェーダの先生と、治療と勉強をかねて南インドに行くというツアーがあり、参加したんです。そうしたら、インドに行って3日目に、薬も何ものんでいない状態で、20年ぶりに月経が復活したんです。奇跡が起きたと思いました。2016年1月のことでした。

 いままでなかったものが急に来たのでびっくりです。予定外だったので、何も持っていなかったし、とりあえず、『先生、来ました!』って報告したら、みんなが『おめでとう!』って祝ってくれた。医学では説明できないことが起きたんです。

 自分でも、何がなんだかわからなかった。先生に『健康とは何だと思いますか?』と聞いたら、『それは、体(ボディー)と心(マインド)と魂(スピリット)が調和していること』だと言われました。まさに、私のことだと思いました」

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

「震災を経てから、人はいつ死ぬかわからない。だったら自分のやりたいことを、とことんやりきろう、と思ったんですね。途中、迷うこともありましたが、マウイ島やインドでの体験もあり、“自分の内なる声を聞くこと”がすべてだと痛感しました。

 だからこそ、何をしたら、自分がいちばん幸せなのかな、と考えたら、“料理で人を健康にすること”だったんです。

 味噌は日本が海外に誇れる素晴らしい伝統食です。材料さえあれば簡単にできるし、日本人である自分のアイデンティティーを確認することもできる。周囲から『医者をやりながらでも活動はできるんじゃないの?』とずいぶん言われたのですが、いままでの経験から、私は自分のやりたいことを何よりも優先しようと思ったんです」

中学で新体操に没頭。過酷なダイエットが体に与えた深刻な影響

 そして関さんは医師を辞め、アメリカ・西海岸に移住し、大学院でさらに食について勉強することを決意した。しかし、折も折、コロナ禍によって渡米は頓挫せざるを得なくなった。

 そして現在、関さんは、淡路島に移住し、現地で自給自足の生活を送ろうとしている。

「アメリカへの移住が延期になったので、もうしばらく日本でできることをしよう、と次に住む場所を探していたら、日本でも有機農法や自給自足の生活を送っている仲間が淡路島にいて、それで、本当に急なんですけど、自分も循環型のライフスタイルを送りたいと思い、移住を決めました。

 本当に、いろいろあったなかで思うのは“自分の幸せ”を知ることの大切さです。いまの日本の女性に伝えたいことがあるとしたら『思い込みを外していきましょう』ということ。いま不自由を感じていて、好きなことができないと思っていても、実は、何からの制限も受けているわけじゃないし、自由なんですね。ダメなことなんてなくて、自分次第なんです」

 移住にあたって荷物を整理し、「自分の小学生時代の作文記事を見直した」と関さんは言う。

「お医者さんは辞めちゃったけど、“人を幸せにしたい”というのは、あの頃とまったく変わっていないんですよね」

 そう語る関さんの屈託のない笑顔が印象的だった。

◆取材・文/宇都宮直子 取材協力/落合絵美 写真提供/関由佳さん

※女性セブン2020年6月25日号

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