「小池百合子」とは日本の女たちの「復讐」のアイコンか

「小池百合子」とは日本の女たちの「復讐」のアイコンか

この日は白のスカートを選んだ小池氏(時事通信フォト)

 再選を目指す都知事選(7月5日投開票)に向けて余裕綽々の小池百合子氏(67)。男性からは「気に食わない」、女性からも「いけ好かない」という声が上がりはするが、なぜか支持率は高いまま。長く女性リーダーが生まれなかったこの国で、なぜ彼女は“女帝”として君臨できるのか。新刊『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)を上梓した作家の橘玲氏が、性差論から読み解く。(文中敬称略)

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 小池百合子という政治家を、ここでは「女と男」の生得的なちがいから読み解いてみたい。このように書くと、すぐに「そんなちがいなどない。性差別だ」と怒られそうだが、視点を変えることで新たに見えてくるものもあるだろう。

 安倍政権が「女性が輝く社会」を掲げてずいぶんたつが、その間、日本の男女の社会的性差の指標であるジェンダーギャップ指数はどんどん下がりつづけ、2020年にはとうとう153か国中121位と世界最底辺になってしまった。なぜこんな無惨なことになるかというと、「経済(115位)」と「政治(144位)」の順位がおそろしく低いからだ。

 ところが(男の)政治家や企業経営者は、「女性差別」との批判に色をなして反論する。自分たちは平等に扱っているが、選挙に立候補したり、管理職や役員になろうとする女性の人材がいないのだという。

 仮にこの主張が正しいとすると、世界で活躍する女性たちに比べて、「日本の女は能力もやる気もない」ということになる(差別がないとすればほかに説明のしようがない)。これは新たな「自虐史観」であり性差別そのものだ

 このことを強調したうえで議論を先に進めるならば、男女平等が当たり前の欧米でも、「男と女では競争に対する生得的なちがいがあるのではないか」との議論が起きている。

 子育て経験者なら誰もが同意するだろうが、男の子は集団で戦争ごっこを好み、女の子はペアで人形遊びを好む。なぜ子どもの頃からこうした性差が生じるのか。「そんなのはすべて男性中心主義の洗脳だ」という話を脇に置いておけば、もっとも説得力があるのは、「進化の過程でリスクへの異なる適応が発達した」との説だ。

 子どもを産み育てるには両親が揃っていたほうが有利だろうが、どちらか一方の選択なら母親になる。妊娠中は流産のおそれがあるし、乳児は母乳を与えられなければ生き延びられない。それを考えれば、女性がリスクを避けるように進化したと考えるのは筋が通っている。

 一方、男はどうかというと、人間社会はゴリラのようなかんぜんな一夫多妻ではないものの、ハーレムや大奥を持ち出すまでもなく、社会的な地位が高ければより多くの若くて魅力的な女を獲得できることは間違いない。だとしたら男は、リスクを負って“天下取り”を狙うよう進化したはずだ。

 獰猛な権力者に挑めば殺されるかもしれないが、だからといって、生涯「非モテ」のまま安全に暮らしていたのでは子孫を残すことができない。私たちはみな、過酷な競争に勝ち残った男たちの末裔なのだ。

 この理屈が正しいとすると、競争社会では必然的に、リスクを好む男が有利になり、リスクを避ける女は不利になる。政治家や官僚、企業のトップなど、社会を動かす「重要人物」の大半が男なのは進化論的に正当な理由があるのだ──。

◆だが勝てそうなら冒険する

 こうした主張に反発するひとは多いだろうが、これには生化学的な傍証もある。性ホルモンのテストステロンは競争に関係し、アルファオス(ボスザル)はテストステロンの濃度が高く、トップの座から追い落とされるとテストステロン値が下がる。研究者が人為的にサルの地位を上げると、それだけでテストステロンが増えたとの報告もある。

 テストステロンは睾丸や副腎から産生され、女性は生理周期によって分泌量が変わるものの、成人男性のテストステロン濃度は女性の数十倍から100倍にも達する。高テストステロンの男は、集団同士では徒党を組んで戦い、集団内では地位をめぐって競争するように(進化の過程で)「設計」されているのだ。

「ガラスの天井」への反論として、欧米でもこうした主張は保守派に強く支持され、大きな声ではいわないものの、科学者のなかにも同調者は多い。「男は野心に駆り立てられ、女は競争を嫌う」というのは、どこまで正しいのだろうか。アメリカの地方議員への大規模な意識調査でそれを調べた興味深い研究がある。

 それによると、男の候補者の特徴は、誰が考えても当選できそうもない(本人もそう思っている)ときでもチャレンジすることだ。このハイリスク志向が日本でも当てはまることは、今回の都知事選の泡沫候補(失礼)が男ばかりなのをみてもわかるだろう。

 意外だったのは女の候補者の野心で、最初はきわめて低いものの、主観的な当選可能性が高くなるにつれて急速に大きくなっていく。データでは、主観的な当選確率が20%を超えると女の野心は男を上回るのだ。

 ここからわかるのは、女は競争に消極的なのではなく、「勝率を冷静に計算している」らしいことだ。競争には負けるリスクがあり、多くの時間、金、感情を投資するほど失うものも多くなる。このリスクを女の方が正確に判断できるから、「損することがわかっている」勝負を嫌い、成功の見込みが高いときに冒険的になるのではないか。

◆だから小池は賭けに出る

 小池都知事の政治遍歴を見ると、細川護煕氏に誘われて日本新党から参議院選に立候補(1992年)した際、比例区2位の当選圏内に自分の名前を記載させている。その後、新進党、自由党、保守党を経て自民党に入党、小泉内閣で環境大臣として初入閣すると、2005年の郵政選挙(衆院選)では、自ら望んで「刺客」として東京10区に国替えし、自民党の有力議員を落選させた。2016年の東京都知事選立候補を含め、いずれも政治家として大きな賭けだが、勝率はつねに20%以上あったのではないだろうか。──希望の党では失速したが、失敗しても都知事の地位は傷つかないようにしていた。

 日本はいまだ「前近代的」な男社会だが、そんななかで強烈なリーダーシップを発揮する小池都知事はどのように見られているのだろうか。

 ここで参考になるのは、日本よりはるかに男尊女卑なインドの西ベンガル州で行なわれたクオータ制(議席割り当て)の社会実験だ。ランダムに選んだ村に「議会の3分の1は女性でなければならない」「議長は女性でなければならない」というルールを課し、これまでと変わらない男性議員ばかりの村と比較した。

 その結果はというと、残念なことに、女性が社会進出しても男性の偏見はまったく変化しなかった。しかし同時に、女性の議長を体験した村では、ひとびとは女が指導者として無能だとは思わなくなった。男性有権者は女性の演説をあいかわらず低く評価したが、以前よりもずっと女性候補に投票するようになったのだ。

 ここからわかるのは、男が気にするのは家庭や職場での自分の地位・既得権を守ることで、実害がないのなら、無能な男より有能な女のリーダーを好む(性別より能力を優先する)ということだ。「あんな女が上司だったら最悪だな」といいながら、「都知事ならべつにいいか。自分には関係ないし」というのが世のサラリーマンの本音ではないだろうか。──小池都知事もこのことに気づいていて、だからこそ「保守」の看板を掲げ、男社会の既得権を侵すつもりがないというメッセージを送っているのだろう。

 女性有権者も同じで、「女を武器に男をたらしこんで権力をつかんだ」と批判されても、「ああいうタイプが友だちだったらイヤよね」といいながら、「日本の男社会でのし上がるには『女帝』になるくらいじゃなきゃ」と逆に人気が上がるのではないだろうか。

 日本の女たちは、これまで旧態依然の組織でセクハラやパワハラの理不尽な扱いに耐えてきた。そんな体験をしてきた身からすれば、小池都知事が都庁幹部の男たちにかしずかれ、男社会の権化である自民党の有力者や都議会の「おっさん」たちと互角に渡り合うのを見るのは痛快だろう。

 そのように考えれば、「小池百合子」とは、日本の女たちの「復讐」のアイコンなのかもしれない。

【プロフィール】たちばな・あきら/1959年生まれ。作家。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』『上級国民/下級国民』などベストセラー多数。最新作は『女と男 なぜわかりあえないのか』。

※週刊ポスト2020年7月10・17日号

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