育児放棄の母親をただ罵倒しているだけでは悲劇は防げない

育児放棄の母親をただ罵倒しているだけでは悲劇は防げない

SNSだけでどんな母親だったか判断できるはずがないのだが

 幼い子供が虐待によって死亡する事件が起きるたびに、保護者(多くは母親)への非難の声が高まる。ネット、とくにSNSでは、攻撃してよいと認められた相手が現れたとばかり、親のSNS履歴などを勝手に解釈して非道な人格をつくりあげ、罵詈雑言をわめきちらす人たちが出現する。大田区蒲田で発生した保護責任者遺棄致死事件をきっかけに、ライターの森鷹久氏がSNSと現実との乖離と、無責任なSNS罵倒民たちについて考えた。

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 声すらあげられない小さな命の灯火が、また消されてしまった。

 わずか3歳の女児が食事も与えられず部屋に閉じ込められ放置された末に死亡した、東京都大田区蒲田で発生した事件について、区は検証チームを設置したと発表した。定期検診にも訪れなかった事を放置していたのではないか、さらには区の職員が自宅を訪ねたとき中に女児が一人でいたのではないか、といった行政への批判が相次いでいることを受けての対応と思われるが、被疑者である母・S子の生育環境についても議論になっている(S子については実名報道されているがこの稿ではS子と表記する)。

「S子自身も、ネグレクト(育児放棄)や虐待を受けていたと週刊誌が報じました。あばら骨が浮くほど痩せこけていた、包丁で切りつけられた、などその内容は凄惨で、S子の両親は共に逮捕されていることが新聞記事でも確認されています。まさに負の連鎖、悪の再生産が起きたのです」(大手紙社会部記者)

 筆者は以前、子供への性犯罪とその負の連鎖について取材し、小欄で記事にしている。かいつまんで言えば、子供に性的被害を加えようとする大人自身が、実は過去には同様の被害にあっていたケースが目立つ、という傾向についてである。すべての虐待サバイバーが同じ事を繰り返すわけではないが、悪循環の例がいくつも確認できてしまうため、よく言われるように筆者もそれを「負の連鎖」と表現した。

 今回も「ネグレクトや虐待を受けていた母親が、自らの子供にも同様のことをやってしまった」という文脈で語られているが、違和感がある。被疑者であるS子は、ある一時期までは確かに、愛娘を可愛がり、人並み以上の愛情を注いでいたのである。

「S子は施設育ちとは思えないほど明るく、そして可愛くて、男女問わずモテた。ちょっと天然なところはあるけど、S子のことを悪くいう人間はこっち(宮崎)にはいない。子供もとても可愛がっていたし、虐待するなんて絶対にありえない」(宮崎在住のS子の後輩)

 S子を庇うのは、S子に可愛がられたという後輩だけではない。高校時代の友人も、S子にはよいイメージしかないと強調する。

「S子はSNSに、子供との写真を頻繁にあげていました。以前は、離婚したと思われる男性の写真もあった。このアカウントは鍵付きで外からは見られません。S子は鍵のついていないオープンなアカウントも持っていて、そちらは確かに遊びの写真ばかりだったから、ネットの情報しか知らない人たちは文句を言っている。でも私たちは、相変わらず優しくて可愛くて、子育ても頑張りモテてるんだろうと思って見ていた」(S子の地元・宮崎県在住の高校同級生)

 実際、S子が愛娘に手を挙げた形跡はない。だが遺体で発見された時、子供の胃は空っぽだったというから、暴力を伴う「虐待」ではなくネグレクト、育児放棄だったのだろう。もちろん、ネグレクト自体も「虐待」そのものである。それでも、彼女は決して冷酷な人間ではなかったと高校時代の同級生が続ける。

「S子本人は自分の育った環境のことは言わなかった。いまこうやって子供時代に虐待されていたと聞いて、彼女のこれまでのことを思い出しても、暴力的な一面は見たこともない。本当に大切に子育てしていました。ただ、彼氏や気になる男性ができた時、少し不安定になっていた部分はあったかもしれない。人への気遣いはあったが、自分のこととなると、周りが見えなくなるような…」(S子の地元・宮崎県在住の高校同級生)

 愛娘が亡くなった時も、S子はかつて職場の同僚だった男と共に、鹿児島に滞在していた。リアルで彼女と接していた人に対しては、思いやり深さや面倒見の良さを発揮しているから、まさか子供を放置しているとは想像もつかなかったことだろう。いったい、どちらがS子の本当の姿だったのか。おそらくどちらもS子そのものだったはずだ。人間は矛盾した内面を抱えながら、どちらとも付き合いながら生きるものなだから。ところが、同級生が感じていた「不安定さ」ゆえに、S子は自分のなかをシンプルな愛情で満たそうとし、娘を育てることと、新たなパートナーと親密になることの両立を妨げたのか。

 自分が愛されなかった分、娘を愛そうと懸命に努力をしたS子。ただ、自身が愛される機会があると自分を見失うほど喜び、そこに依存しすぎて自分から子へ愛をそそぐことを敬遠し逃げ出したのではと筆者は考える。同じような現象は、シングルマザーと子供、そこにシングルマザーの彼氏や夫が関与して起きた事件を取材している時、何度も確認した光景だ。子供を抱えて二人きりで生きざるを得なくなると、その直後のシングルマザーは人一倍、子供を可愛がり、育児に熱心になる。ところが、再び自分が愛される機会が訪れると、男に依存し翻弄され、子がおざなりになって悲劇へと転がり落ちる光景を何度見たことだろうか。虐待事件には至らなくても、似たような経過を経て親子関係を壊してしまった事例は多い。

 もちろん、子供をないがしろにしない人が大半だ。だが、シングルマザーは社会からの孤立感、金銭的な逼迫を感じやすく、そのなかで自分を一時的にでも尊重してくれる存在をみつけると、子供を含めた自分たちが置かれている状況を見誤りやすくなる現実が確かにある。夫婦でいるべき、離婚すべきではなかった、というそもそも論もあるかもしれない。子を殺める親が悪い、と最終的に起きた出来事だけで断じることもできる。ただその前に、今危機に晒されている子供たちを守ることを考えたら、予防策にあたる働きかけは必要だ。

 実は、千葉県野田市で起きた児童虐待死事件などを受け一年前に可決された改正児童虐待防止法と改正児童福祉法が2020年4月から施行されている。そこでは、たとえしつけであろうとも「親による体罰禁止」「児童相談所の体制強化」など、子供を守るための内容が明文化された。ところが現状はと言えば、世間があまりに感情的になりすぎ、子供への逆的事件が起こると加害者である母親叩きに終始するばかり。さらにこの法改正には問題点も多く、体罰を禁止されているのは親権者のみで交際相手などについては言及がなく、ネグレクトについてはそれを防止する実効性ある変更は今回もない。個々の事案の担当者と、運まかせのままだ。だが、これら積み残された課題について積極的な議論がなされるような向きはない。

 結局、根本的な原因を見誤り、議論らしきものすら傍に置かれ、いつものように、一ヶ月も経てばこの事件は多くの人の脳裏から消えるだろう。

 攻撃できる対象だと、見せかけの事実だけで判断し、登場すると我を忘れて皆で叩く。その熱狂こそが真実を歪め、結果として被害者も浮かばれなければ、新たな悲劇の発生も防げない。今、私たちがやっていることがいかに無益で虚しく、そして有害か、見つめ直したい。

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