昭和世代、コミュニケーションハラスメントにビクビク?

昭和世代、コミュニケーションハラスメントにビクビク?

昭和世代が悩みがちなオンラインコミュニケーション

 作家の甘糟りり子氏が、「ハラスメント社会」について考察するシリーズ。今回は、今の時代のコミュニケーションツールに対する正直な思いを吐露。

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 LINEで仕事を依頼するのは非常識。

 ほんの一、二年前までは私もそんなふうに思っていた。LINEは友達とプライベートなやり取りをするもので、仕事の発注ならパソコンで使うメールアドレスにするべき、なんてね。

 今時、そんなことをいっていたら成り立たない。たいていのことはスマホの中で起こり処理されていく世の中で、ツールの種類に礼儀を求めている場合ではないのだ。私のようなフリーの出入り業者は、相手に合わせて、いかに早く、いかにお互いのストレスがなくやり取りをできるかを優先しなければならない。そう、早さ。今の世の中、返信が遅いだけでイラッとされる。イラッとされるだけではなく、できないやつと決めつけられたりもする。

 先日、ある仕事関係者から電話がかかってきた。いきなり電話とは何事かと思ったら、

「メールした件のお返事、そろそろよろしいですか?」

 えっ、メール? 覚えがない。

 あせってスマホをいじってみたら、二日前に携帯電話のキャリアのメールアドレスへ送られてきたものだった。なんでも、急ぎだったからパソコンではなく携帯のメールに連絡をしたのだという。脱力してしまった。もはやキャリアのメアドに送られてくるのは「データ容量に関するお知らせ」くらいなので、ほとんど開かない。今時、携帯キャリアのメールなんか使わないでしょ、と思ったけれど、それがLINEは使わず、SNSを一切やらないその人のスタンダードなのだろう。

 LINE、それからFacebookに連動している「メッセンジャー」、電話番号がわかれば送れる「メッセージ」は着信があればスマホの画面に通知が出るように設定してある。インスタやツイッターではほぼ毎日何かしらの発信をするように心がけているので、日に何度か開く。だから、他にはパソコンのアドレスのメールをちょいちょい確認していれば連絡漏れはないと思っていた。甘かった。キャリアにアドレスが残っている以上、そこにも連絡があるかもしれないのだ。

 連絡ツールの多様化は便利ではあるけれど、それなりの時間とエネルギーを奪われる。

 パソコンのメールで原稿を送った後、念のためにLINEで「今、原稿を送りました」と知らせる場合も少なくない。相手がスマホ中心だとパソコンのメールは後回しになってしまうし、人によってはメールが多くて見落とすかもしれないからだ。しかし、すぐに相手からも「メールに返信しました」とわざわざLINEが来たりすると、何だか徒労をしている気になる。最初から原稿をLINEで送ればいいのだけれど、それは失礼な気がしてしまうのだ。

「既読」というシステムにも振り回されている。既読した以上、早く返事をしなくてはと勝手にプレッシャーを感じるし、こちらが送ったものが既読になっても返信がこないとやはり気になる。「既読で返信しないのは了解、OKという意思表示」という同世代の友人もいるけれど、私はそこまで強気になれない。

 ズレていると思われたくない。世の中の流れに乗れていない、遅れている、と思われるのが怖いのだ。これって、私たちバブル世代にはありがちではないだろうか。「自分たちこそが世の中のセンター」という気分がなかなか抜けない我々は、いざセンターでなくなっても、なんとかその近くにいようともがくのである。

 ZOOMでの打ち合わせや取材も一般的になった。電話よりも、「れっきとしたアポイント」感がある。連絡手段の種類で礼儀を測るのは時代遅れだけれど、電話とお互い顔を見合わせてのZOOMとでは緊張感が違う。慣れない頃、こちらはすっぴん&ルームウエアのままなのに画面の相手はネクタイ姿で、あせったこともあった。緊急事態宣言の最中に、リモートでラジオに出た時には油断をしてすっぴんで応じたら、その画面が番組のホームページに掲載され、落ち込んだりもした。

 最近は、ZOOMの30分前には画面の背景になる場所を片付け(見えないところに荷物を移すだけ)、眉毛を描いてマスカラを塗り、ごく薄いグロスをつけ、カーディガンくらいは羽織るようにしている。めんどうくさいし、内容によっては、これ電話で済むんじゃない?と思うことがないわけでもないが、顔を見合わせることには意味があるはずだ。そう思うのはやっぱり昭和世代の感覚だろうか…。

 私は仕事の性質上、複数のミーティングはあまり機会がないのでスラックでのやり取りの経験はない。でももしかしたら、本当は、相手はスラックにしたいのに私が使えなさそうと遠慮しているのかも。だとしたら、まずいなあ。

 そんなことでぐじぐじ悩むエネルギーの分だけ原稿に集中した方が編集者も喜ぶはずだ。…って、そういう考えこそが昭和なのか?

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