「小学校のあだ名禁止」考 私は「キズ」と呼ばれて嬉しかった

「小学校のあだ名禁止」考 私は「キズ」と呼ばれて嬉しかった

あだ名=いじめではない

 リスクをコントロールすることは重要だが、線引きは難しいもの。それが子供となれば尚更だ。コラムニストのオバタカズユキ氏が考察した。

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 先日、ネット上で「あだ名禁止」という言葉がやたらと目についたので、なんだろうとチェックしてみたら、TBS系列の朝のワイドショー『グッとラック!』が、そのお題の特集を放送していたからだった。動画を確認すると、ナレーターがこう言っていた。

「今ですね、クラスメイトをあだ名で呼ぶことを禁止する小学校が増えています。そのわけは、イジメにつながるからだと言います」

 なんでも、2013年に「いじめ防止対策推進法」が公布され、それまで以上にイジメに対する監視・防止の義務が厳しく課されたことにより、あだ名禁止の決まりを作る学校が全国的に広がっている傾向があるそうだ。

 番組では、その一例として茨城県の小学校を紹介していた。この学校はあだ名禁止のみならず、名前のさん付けも徹底している。結果、教室内の授業中だけでなく、昼休みに校庭でサッカーに興じる子供たちまで、「あらたさん、あっち!行って!あらたさん、ゴールゴール、イエーィ!」という調子。なかなかシュールである。

 この小学校の教頭はこう話していた。

「あだ名で呼び合うことによって差別化が生まれてスクールカーストにつながってしまう。そうするとイジメが発生しやすい状況を作ってしまいます」
「さん付けで呼び合うことで子供たちの関係が対等になりますので、お互いを尊重し合う関係になります。ですので、開校から大きなイジメというものが発生したことが1件もありません」

 あだ名→スクールカースト→イジメという三段論法。イジメって、そういう簡単な仕組みで発生するものか。さん付けで呼び合えばお互いを尊重し合うようになるほど、人間関係って単純なものだろうか?

 小学校は実名で紹介されていたのだが、話に納得できない私はどうしても批判的になってしまうので、ここでは伏せておく。ただ、この小学校についてちょっと調べてみたところ、開校したのは2012年4月。できて10年も経っていない、とても若い学校だ。ならば、まだ大きなイジメが1件も発生していなくて当然ともいえるだろう。

 さらにこの小学校は、全国の私立中高一貫校入学試験への受験希望者に対して受験のための進学準備教育も提供している、といった、エリート養成型の私立校であったりもする。今どきの小学校を代表させる一例としては、いささか特殊にすぎる。

 それでも、番組が特殊な一例を持ち出して、実際には起きていないあだ名禁止の増加をでっち上げた、というわけではないだろう。番組では調査や統計などを使った説明はなかったものの(筆者も探してみたが、見当たらなかった)、ネットの反応でそうした学校が実在するという声がたくさん見られたからである。自分の通っていた学校もそうだった、とツイートする中学生や高校生もけっこういた。

 そして、小学校でのあだ名禁止に対しては、違和感や反対意見を表している人が大半であった。たとえば、以下のような戸惑いだ。

〈あだ名禁止でさん付けの小学生てなかなかだね……友達と仲良くなるのに時間かかりそう〉
〈学校のあだ名禁止問題。そのうち全て禁止になって、コミュ障人間が多発とかなりかねない〉
〈あだ名禁止ってなんかディストピア感がましてきてるな。そのうちジェンダーに配慮して呼び捨て、呼び捨てだと同名わかりずれえから番号とか言い出す奴出てきそう〉

 あだ名には、人と人を近づけ親しい関係に発展させるためのコミュニケーションツールの側面がある。たしかに、イジメにつながるような、というか、その呼び方自体がイジメそのものであるあだ名も子供たちは作り出す。『グッとラック!』では、中川翔子を取材、彼女が中学時代に体調が悪くて吐いてしまって以来、「ゲロマシーン」と呼ばれ始め、その辛さから不登校状態になった過去を語っていた。これは紛れもない、イジメだ。

 だが、その中川翔子も、あだ名禁止の流れには「反対。ちょっと極端かなと思っちゃいます」とし、「あだ名が悪いとかそういうことではないんじゃないかなと思います。攻撃する人物がいるっていう状況、そこにちゃんと先生が、もうちょっと個別に向き合えないのかな。あだ名=イジメではないですからね」と話していた。

 そう、あだ名=イジメではない。問題は、イジメの道具としてあだ名をつかう人間の存在にあるのであって、そのあだ名に人を攻撃するような気配があったならば、それがイジメとして使われていないかどうか、教師をはじめとした大人やまわりの子供たちがいち早く気づき、イジメだったら素早く介入する、そうした体制を取ることが肝心なのだ。

 こんなツイートもあった。

〈#あだ名禁止 #さん付け は、 「子供を守るため」というより、「先生を守るため」なのでは? 万一、イジメ自殺が学校で起きた場合、先生はイジメと分かるような「あだ名」がなかったか責任追求される。あだ名って、いじめられてるかどうかの大きい指標だし〉

 指標でもあるあだ名を禁止してしまったら、イジメはより地下に潜り、発見しづらくなるともいえる。ある子がつけられたあだ名を嫌がっていたら、その気持ちを他の子らに理解させ、人の嫌がることはやってはいけないという当たり前のモラルを具体的に身につけさせる。それも学校や教師の重要な仕事ではないか。なのに、あだ名禁止で表面的に問題をないものにしてしまったら、それは強く批判的に言うなら、学校教育の放棄に相当する愚行ではないかと私は思う。

ブタゴリラ、ゴリライモ、ブー太郎

 あだ名はイジメと親和性があるが、本来は、もっと温かいものだ。

 私は、小学校3年生のときにはじめてあだ名をつけられたのだが、それは「キズ」というものだった。遊んでいる最中に家の壁の釘で目の下を割いてしまい、4針ほどの縫い傷がけっこう目立つ形で残った。それを指して「キズ」である。

 ずいぶん残酷なあだ名をつけられたと思われるかもしれないが、私はそう呼ばれるようになって嬉しかった。キズ自体がちょっとブラックジャックみたいでカッコいいかも、といういかにも男子な受け止め方を勝手にしていたこともあるが、なによりもそれまで「オバタ」と苗字でしか呼ばれたことがなかったのが、あだ名で呼ばれるようになり、「あだ名のある人たちの仲間に入れてもらえた」と感じられて嬉しかったのだ。

 あだ名は親近感の指標でもある。だから、アメリカ人などは、初対面の相手に対し、「Call me Mike!」といった具合に、自分からニックネームの使用を要求してくる。その習慣のない日本人の私からしたらやや気恥ずかしいのだが、まあ、郷に入っては郷に従えで「Call me Kazu!」と言ってみると、これが意外と自分の胸襟を開く効果があって、そこからのコミュニケーションがずっと楽しくなったりする。

 親近感の効果は、日本のマンガやアニメがずっと昔から意識的に活用してきたものでもある。ぱっと思い浮かぶだけでも、『キテレツ大百科』の「ブタゴリラ」、『ど根性ガエル』の「ゴリライモ」、『ちびまる子ちゃん』の「ブー太郎」、『はじめの一歩』の「ゲロ道」……と、酷いあだ名がずらずら出てくるが、それらはイジメで使われているわけではない。子供世界の親しさの表現なのである。ちなみに、ブタゴリラは誰か友達につけられたあだ名ではない。ブタゴリラは、熊田薫という名前が女の子のようで嫌だから、自分で周りにそう呼ばせている。

 ポリティカル・コレクトネス的にいかがかと思われるものであっても、使い方、使われ方で、あだ名の意味合いはいくらでも変わってくる。温かく、楽しいものになりえる。そういう「文化」を、安易に禁止してはいけない。

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