被災者に寄り添う天皇陛下 警備不要のオンライン行幸にも強い意欲

被災者に寄り添う天皇陛下 警備不要のオンライン行幸にも強い意欲

東日本大震災以降、雅子さまと共に被災地へ足繁く通われた(写真/宮内庁提供)

 多くの人々に苦難を与えた2011年の東日本大震災。当時の雅子さまもまた、皇太子妃として試練のときを迎えていた。

「震災が起きたのは、雅子さまが小学生の愛子さまに付き添い登校をされ、“異様な親子”と心ないバッシングを浴びていた頃。適応障害も一向に快復の兆しをみせず、最もおつらい時期だったようです。

 しかし、それから10年が経ったいま、雅子さまは皇后として日本中から敬愛される存在となっています。まさにその10年間は、雅子さまが被災地とともに歩まれた“再生の物語”でもあったのです」(皇室関係者)

 3月11日、天皇皇后両陛下は、東日本大震災十周年追悼式(東京・千代田区)に出席される予定だ。

「快復の途上にある雅子さまが出席できるか不安視する声もありました。ですが、式典に備えて1時間近くのウオーキングに励まれるなど、体調を万全に整えられていたそうです」(宮内庁関係者)

 厳戒態勢の中、強い決意で出席を目指された両陛下。被災地への並々ならぬ思いは、式典に先立ち3月4日に行われた、被災地・岩手県への「オンライン行幸啓」にも見て取れた。

「通常、予定通りに終了するオンラインでのご公務ですが、その日は予定の時間を過ぎてもしばらく続きました。雅子さまが積極的に被災者の話を引き出され、自然と会話が弾んだからでした」(前出・宮内庁関係者)

 直接のふれあいができない中でも、少しでも国民の中に入っていけるよう、両陛下は模索を続けられているようだ。

「陛下は近しい人に“オンラインで参加できるものがあれば参加したい”と話されているそうです。オンラインだと警備の必要がなく、周囲の手を煩わせることもないという思いやりもあるのでしょう。愛子さまはオンラインで大学の講義を受ける中で、チャット機能を使って活発に質問もされているようです。ご一家で積極的に『新しい様式』を取り入れられる、柔軟な姿勢を感じます」(学習院関係者)

 いまでこそ新しい取り組みにも柔軟な天皇ご一家。だが、震災発生からこの10年の道のりは、被災地の復興の歩みと一緒に、ゆっくりと進まれてきたものだった。

フランクに「いつもどんな遊びしているの?」

 震災発生から3か月後の2011年6月を皮切りに、当時、皇太子同妃両殿下だった両陛下は宮城・福島・岩手の東北3県を訪問された。

「数回にわたるご公務でも、雅子さまはご体調の不安を微塵も感じさせませんでした。被災者の中には雅子さまの手を握って離さない人もいましたが、“励まし”を優先された雅子さまは、ずっと手を握られたまま話を聞かれていました」(別の宮内庁関係者)

 2013年11月に岩手を訪れた際には、見送りに集まった人々とお話しされるため、車に乗り込まれる前に砂利道へと降りて行かれたこともあった。

「当初の予定を20分ほど遅らせ、その場で被災者に声をかけられていました。咄嗟の機転で本来ご予定になかったことをされ、少しでも多くの被災者との対話を実現されたのだと思います」(皇室記者)

 同年に両陛下は、教育復興プログラム「OECD東北スクール」の発表会に出席され、翌々年の2015年2月には、スクールの生徒たちを東宮御所(当時)に招いて取り組みの報告も受けられた。スクールの立ち上げから支援をしている福島大学学長の三浦浩喜さんは、当時の印象をこう語る。

「雅子さまは子供たちに“元気になってね”と声をかけられるだけでなく、“今回の経験を今後の進路にどう生かしますか”と生徒たちに質問されていました。ただ励ますだけでなく、もっと先の将来を考えてくださったように感じます」

 2013年9月にはNPO法人「郡山ペップ子育てネットワーク」が運営する屋内遊戯施設を両陛下で訪問された。

「遊具で遊んでいた子供たちに声をかけてくださり、“よく遊びに来るの”“いつもどんな遊びをしているの”と、とてもフランクにお話しされていたのを覚えています。それまで遠い世界の存在に感じていたのですが、お話しさせていただくととてもお優しく教養高い、人間的に心惹かれる方だと実感いたしました」(理事長の菊池信太郎さん)

※女性セブン2021年3月25日号

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