お尻を切り取られ惨殺された少年、犯人の信じがたい目的と背景にある“一族”【未解決事件ファイル】

お尻を切り取られ惨殺された少年、犯人の信じがたい目的と背景にある“一族”【未解決事件ファイル】

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 1902年3月27日、東京府東京市麹町区下二番町(現在の東京都千代田区)で当時11歳の少年A君が何者かに殺害される事件が発生した。注目したいのは、遺体の状況。少年のお尻の肉が切り取られ、両目もえぐり取られていたという。犯人の目的は一体何だったのか。

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 事件が起きたのは午後9時過ぎ。殺害されたA君が母親から調味料を買ってくるように頼まれ外出したところ、そのまま帰宅することなく姿を消してしまう。心配したA君の両親が近所の住人と捜索したところ、自宅付近の路地裏で惨殺されたA君を発見。すぐに地元警察が駆け付け捜査を開始したが目撃証言が乏しく、結局容疑者の手掛かりを見つけることはできなかった。

 父親はA君と入れ違いに仕事から帰宅していたのだが、その道中不審な男に遭遇していたことを思い出した。その男は外套で包んだ物を抱えており、「いいかい、しっかりしろよ」と物に対して声をかけていたという。後に判明するが、外套の中身は既に死亡していた少年A君だった。

 被疑者が逮捕されたのは、A君が殺害されてから3年後の1905年5月29日。同じ東京市麹町区の薬店で発生した殺人事件の捜査の過程で浮上したBという当時25歳の男が、A君殺害にも関与している疑いが強まったのだ。

 Bという人物は近所でも聡明な男として大変評判だった。市内に所在する英語学校に在籍し、将来も期待されていたという。しかし、一人の女性への愛情により彼は犯行に走ってしまう。
Bは同市内に住むCという女性と内縁関係を持っていたのだが、このCの兄が明治時代を代表する書家だった。Cの母親は二人の仲を認め、Bを家に迎え入れることを許したものの、書家は断固として認めなかった。実は当時、書家はハンセン病を患っており、彼の父もまたハンセン病で亡くなっていた。当時のハンセン病は不治の病とされていたことから、書家の家系は難病の血統を残さないために、生涯独身を貫く誓いを立てていたのだ。

 薬店主殺害事件の捜査過程で、以上の情報を調べ上げた警察は、ハンセン病に人肉が効くという俗説を思い出した。念の為、A君殺害事件翌日のBの行動を調べたところ、コンロと鍋を購入し、船で海上に出ていたことが判明。Cのために人肉を切り取ったのではないかと警察は考え、取り調べで追及した結果、BはA君殺害を認めた。
 しかし、物的証拠が無かったことと、当時日本一と呼ばれた敏腕弁護士が担当したことにより、A君殺害に関しては証拠不十分として無罪判決が下る。

 以上の流れだけを見ると、妻との結婚のため義兄の病気を治そうと奔走した男のようにも見えるが、書家の死因はBによるものだ。懇願の末、Cとの結婚を認めてもらったBだが、結局真っ当な職にはつかず浮気三昧の生活を送っていた。結果、書家はBを家から追い出した。それを逆恨みしてBは書家を1905年に殺害したと見られている。しかし、書家殺害も物的証拠は残っておらず、薬店主殺害と公文書偽造のみが有罪となった。公判では自供したA君殺害について、一転否認に転じたという。1908年、薬店主への強盗殺人罪で死刑が執行された。

 Bは弁護士に対して、「私の性質は、自己自身で考へても、すこぶる解釈に困難であります。すなわち悪徳あり。善徳あり。而してその悪徳と善徳とが性質上、正反対の性格をあらわしているのであります」と話したそうだが、結局真実は一体どこにあるのだろうか。 

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