山本高広さん、当初は声優志望…23歳頃はコック見習い「やりたいのはコレじゃない」

山本高広さん、当初は声優志望…23歳頃はコック見習い「やりたいのはコレじゃない」

ものまねタレントの山本高広さん

 

■[ふるさと]ものまねタレント、声優 山本高広さん 47

 北九州市の戸畑区で生まれ育ちました。

 実家の酒屋では、母が昼から「角打ち」を経営していました。近くには新日鉄(現日本製鉄)の3交代制の製鉄所があり、店は帰りに立ち寄る製鉄所の作業員で夜まであふれかえっていました。毎日お祭り騒ぎのようでしたね。自分の明るい性格は、こうした中で育てられたと思います。

 一方で、高学歴で経営コンサルタントだった父からは「勉強しろ」と口癖のように言われました。その反動で、小学生の頃から勉強は嫌い。テレビばかり見ているうちに、「将来はテレビに出る人間になりたい」と考えるようになりました。

 歌番組で、当時流行していたWinkの「淋しい熱帯魚」や少年隊の振り付けを覚え、学校でクラスメートにものまねを見せると、教室内は大盛り上がり。いつしか学校は勉強する場所ではなく、披露する場所になっていきました。

 今でこそ、ものまねで名が売れましたが、上京のきっかけは声優を志したことです。学生時代は海外ドラマを見るのが好きで、登場人物にはまった声優の声に憧れていました。

 高校卒業後は特に考えもなく福岡市の調理師専門学校に1年半通い、その後は福岡県内のホテルのレストランでコック見習いとして働き始めました。23歳の頃、朝の調理場で仕込み用のネギを切っていた時に「俺がやりたいのはこれじゃない」とふと思ったんです。包丁を置いてその足で料理長の部屋に行き「やめさせてください」と伝え、声優学校を調べて上京しました。

 ですが、1年間通っても声優事務所には入れず、劇団にも入りましたが、人間関係がうまくいかずに1年で辞めてしまいました。

 「いよいよまずいな」と思っていた頃、当時大ヒットしていた原口あきまささんとコージー冨田さんのものまねをテレビで偶然見て、「俺にはものまねがあるじゃないか」と気づきました。

 翌日には本屋で事務所を調べてオーディションを受けると、すぐに合格。ものまねタレントとしての一歩を歩み始めました。

 代表的なネタである俳優の織田裕二さんのものまねは、高校時代に同級生の女子から「顔が似てる」と言われたことを思い出し、チャレンジしました。

 28歳の頃、織田さん主演のフジテレビのドラマ「踊る大捜査線」に登場する複数の役を1人でものまねするというネタで、初のテレビ出演を果たしました。2007年には、世界陸上大阪大会でキャスターを務めた織田さんのハイテンションな解説のものまねでブレイクしました。

 ものまねのレパートリーは100ほどに増え、16年頃からは声優業も始めています。どちらも子どもの頃から好きだったことが仕事となり、本当に幸せです。

 自分の原点は、実家の酒屋のにぎやかさや級友たちに披露したものまねなど、ふるさとで過ごした日々にあります。ブレイク後は仕事やコロナ禍でなかなか帰省する機会も得られていませんが、今後は、自分の経験を話す講演会を地元で開くなどして、恩返しできたらいいなと考えています。

 (聞き手・岡本遼太郎)

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