住居すらも借りられない?「人生の壁」の是非|やまもといちろうコラム

住居すらも借りられない?「人生の壁」の是非|やまもといちろうコラム

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 山本一郎(やまもといちろう)です。妻子と猫犬を抱えて、のっしのっし前に進みながら生きています。

 ところで、先日とても心に響いたコラムがありました。

 これ、ほんと身につまされるんですよね。もちろん、審査に落ちる側ではなく、審査する側として、管理会社から上がってくる借り手人さん候補の伝えられ方ってすごくシビアなものがありまして。

 実際、資産会社で共同所有しているマンションでは、賃借人が逃亡することがあります。おそらくは、いろんな事情があって、精神的にも経済的にも追い詰められて半ば夜逃げのようにいなくなる、それまでに二ヶ月賃料延滞して、管理会社さんが訪問してたりとか、そういう類ですね。

 でも、そういうのって過去の経験からすると、「事前の相談をしてくれる人」って皆無なんですよ。見事に、みんな突然いなくなる。当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないけど、貸している側としても鬼でも悪魔でもないわけでして、敷金も、場合によっては保証会社にも入っていただいているのですから、何かあったら「すぐ出てけ」なんて言うはずもない。

 一言言ってくれれば何かできたかもしれないのに、何も言わずに擦り切れていなくなってしまうと、こちらも蜂のように追いかけることになるんですよね。お互い、無駄な労力、精神的苦痛だと思います。

 こちらもそういう経験を何度もしてくると「面倒くさそうな借り手さんは敬遠しよう」となるか、「多少面倒でも相手さんの素性見てから判断するか」となるか、いろんなパターンがあります。でも、横並びで他の大家さんをみるとやはり面倒を避ける傾向が強いので、保証会社もつけられない、クレカも持てなさそうな不安定な仕事の人は、門前払いになるわけですよ。

 でも、そういう門前払いの人たちこそ、実は長く物件を借りてくれる人でもあるんです。ファミリーなんかは特にそうですけど、お子様の成長や親御さんの介護、転勤などのイベントがあると、割と簡単に越していきます。こちらも「ああ、赤ちゃんが大きくなって、もっと広い部屋が欲しくなったんだな」と微笑ましい気分になりますが、物件としては「また借主募集かけなきゃ。いや、一度改装するかな。改装して埋まらなかったらいったん売るか」などと考えてしまうわけであります。

■「持てる者」と「持たざる者」の現実

 逆に、入居審査したときはどっかに勤めていたので安心して貸したら、ご病気やらリストラやらでいつの間にか不安定になっちゃってる借り主さんなんかは往々にして出ます。話が違う。でもご本人も不可抗力であろうから、お互いのためにちらりと調べてみたり、それとなく面談したりするんですけど、一度「挨拶」をしてしまうと「ありがとう。ずっといてね」って話になったりもする。本来なら、門前払いになってもおかしくない人なのにね。

 だから、「持てる者」と「持たざる者」との間の現実は、もちろん各々の立場で感じたり、直面したりするものなのでしょう。そして、現状や未来に不安に感じる人たちが、人生を否定されるような壁の前に立ち尽くしているのもまた、その通りなのでしょう。「保証人として、その人の信用をカバーできる人がいない」というのは、人が一人で暮らすことを前提とした制度ができていないのはごもっともで、生涯未婚率の高まりの中でそのような人生を選んだ人が歳を取るごとに人生の壁がせり上がっていくのを呆然と見つめている、というのは価値観や生活の多様性を認めていこうという日本の本来の道筋ではないように思います。

 こども食堂の事例でも、善意でやっているのに善意だけでは回らない世の中の侘び寂びもあります。みんなどうにかしたいと考えていて、別に立場の違いをそのまま対立構造にしたいと思っていないのに、結果として何となく双方が不満に思って世間全体が不幸になる展開があるように感じます。

 大上段に言えば、これが「国力の衰退」という抽象的な現状の、具体的な症状のひとつなのかと思うと、理想が「遠い異国の話」であるというか、下り坂をゆっくり降りながら流れてくる雨雲を不安げに見上げるという心象風景を抱くわけであります。

 たぶん、どこかに辿り着く前にずぶ濡れになるんだろうな、と。

著者プロフィール

ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

公式サイト/

やまもと氏がホストを務めるオンラインサロン/

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