新宿歌舞伎町火災から20年 救助活動した消防隊員の思い

 40人以上が犠牲となった東京・歌舞伎町の雑居ビルで起きた火災から20年がたちました。当時救助に当たっていた消防隊員は悲劇が二度と繰り返されないよう、事故防止に向けて自らの経験を後進に伝えています。



 2001年9月1日午前1時ごろ、新宿区歌舞伎町にある雑居ビルから火の手が上がりました。火は建物の3階と4階が全焼するなど160平方メートルに燃え広がり、死者44人・けが人3人を出す大惨事となりました。死因のほとんどは一酸化炭素中毒によるものでした。

 当時、救助隊で「2番員」として消火活動を行っていた東京消防庁の川越貴史消防司令は「何が何でも助けるという気持ちだったのだが(熱さと困難さで)どんどん自分の気力と体力が奪われていき、それが無念さに変わっていった」と火災発生当時を振り返りました。川越さんは「通常、空気呼吸器は20分程度もつが、2階から3階に上がる10分程度でボンベの圧力がなくなった。それほど、使命感からくるプレッシャーや現場の活動が困難だったことが証明できると思う」と語りました。

 熱気のため非常階段のタイルが溶け出して階段に近づくことができず、現場への到着も遅れたといいます。さらに階段に置かれていた大量の荷物が燃え広がった影響もあり、消防隊の活動はより一層困難を極めました。壮絶な現場で懸命な救助活動を続けたものの、この火災で40人以上の尊い命が犠牲となりました。二度とこうした悲劇を繰り返さないよう、川越さんはこの経験を生かし、出動時には避難経路の確保徹底をするよう若い隊員に対して指導してきたといいます。川越さんは「火災だけでなく、救助活動を含めて多数の傷病者が発生した場合の活動基準がある。基準を守らせ、安全で確実で迅速な消防活動ができるようにしている」と語ります。

 救助に当たった隊員だけでなく、再発防止に向けて制度も変わりました。歌舞伎町火災の翌年=2002年には、避難の妨げになる物を避難経路に置くことを禁じる条例が施行されました。さらに歌舞伎町では火災予防を専門とする新宿消防署の機動査察隊が雑居ビルの避難階段を定期的に抜き打ち検査する活動も始めました。2011年には検査の際に基準に満たない店舗がある場合、店名を公表することも可能となりました。川越さんは「都民がわれわれ東京消防庁に寄せる期待を裏切らないよう、防災、火災防止の意識付けも配慮して訓練している」と話しています。

 あれから20年──。いまも街ぐるみで火災防止に向けた取り組みが続けられています。

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