祖父母の遺志を継ぐ「大岳鍾乳洞」 孫夫婦の思いとは… 東京・あきる野市

 東京都内には2つの鍾乳洞があります。1つは奥多摩町にある「日原鍾乳洞」、そしてもう1つはあきる野市にある「大岳鍾乳洞」です。大岳鍾乳洞は60年前、夫婦が手で土砂をかき出して開拓したものです。そして現在、この鍾乳洞を守っているのは孫夫婦です。祖父母の遺志を引き継ぐ思いに迫りました。



 都心から電車でおよそ1時間半のところにある奥多摩の名峰・大岳山(標高1266メートル)の山頂からは、富士山を見晴らす絶景が広がっています。その麓にあるのが東京都の天然記念物に指定されている大岳鍾乳洞です。行楽シーズンには1日およそ400人が訪れる観光スポットです。中の温度は1年を通じて平均10℃で、夏は涼しく冬は温かく感じるといいます。全長はおよそ300メートルあり、高低差があったり屈まないと通れない場所もあります。鍾乳洞には25の観覧ポイントがあります。岩に小さな凹凸が無数にあることから名付けられた「蜂の巣天井」や、水滴が滴る天井はライトの光が届かないほどで実際の高さが分からないという「無限天井」など、見どころも満載です。さらに、およそ2億5000万年前のものと推測される深海に生息するウミユリの化石は大変貴重なもので、この場所がかつては海の底だったことを表すものです。

 訪れる人を魅了する大岳鍾乳洞ですが、新型コロナウイルスの影響はここでも甚大でした。現在、鍾乳洞を経営しているのは田中嘉伸さん(44)・友美さん(43)夫婦がそれでもめげずに営業を続けてこられた理由は、祖父母から受け継いだ思いでした。

 嘉伸さんの祖父・雄嘉造さんが1961年に鍾乳洞を発見すると、娯楽が少ない地元を活気づけようと開拓作業を始めました。雄嘉造さんの妻・ユキさんと共に手掘りで土砂をかき出し、入り口近くの石垣も一つ一つ積み上げたといいます。そして翌年、キャンプ場と合わせてオープンすると、世間からも大きな注目を浴びました。嘉伸さんは「『鍾乳洞を大発見』と新聞でも多く取り上げられたようだ。鍾乳洞ができたことで道路が整備されたとも聞く」と話します。開業当時は鍾乳洞の内部に電灯はなく、祖父母手製のランタン客に貸し出し、ろうそくを立てて明かりにしていました。

 孫の嘉伸さんにとって、ここはかけがえのない場所でした。祖父の雄嘉造さんが2001年4月に96歳で他界すると、代わって祖母・ユキさんがこの場所を守り続けました。「たった1人で店番をするおばあちゃん」の姿が話題となり、鍾乳洞の知名度は上がっていきました。ユキさんは人前では笑顔を絶やず、多くの人に愛されました。ただ、ユキさんは嘉伸さんに対しては心配事があったようで「社会人になると『早くお嫁さん見つけなさい』と言われた。僕のことをよく気に掛けてくれた」(嘉伸さん)といいます。そこで連れてきたのが小中学校で同級生だった友美さんでした。友美さんに対しても結婚前から家族のように接してくれたユキさんでしたが、2016年、2人が結婚したわずか3日後、結婚の喜びも束の間、ユキさんは100歳で亡くなりました。

 祖父母が50年以上守ってきた鍾乳洞に対し、嘉伸さんは「一時期、ここもずいぶん衰退した。お客さんが少なくなって今後どうなるんだろうとずっと気に掛けていた。そこで将来、鍾乳洞の経営をやってみたいと思い始めていた」と思いを巡らせてきました。そして経営を引き継ぐと、まずは多くの客を呼ぶためにキャンプ場をリニューアルし、パンフレットは友美さんが新たにデザインしました。嘉伸さんは「大雨とか降った後に水が垂れてくる。電球に水が入って消えてしまう。苦労が絶えない」と話し、鍾乳洞の経営は自然との戦いだといいます。

 開業から来年で60年を迎えようとする中、夫婦の思いを聞きました。友美さんは「お客さんから『楽しかった』『良いところですね』と聞くと、経営を引き継いで良かったと単純に思う」、嘉伸さんは「開業100周年まで頑張りたいなというのが僕の目標」と話しています。

 鍾乳洞を守りたいという気持ちがある限り、祖父母の思いもこの場所に生き続けます。

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