<3.11 未来へつなぐ> 2つの大島を結んだ“椿の絆”(後編)

 宮城県の気仙沼大島と東京都の伊豆諸島にある伊豆大島は、共に椿(ツバキ)の生産地として有名です。ところが東日本大震災で、気仙沼大島の小野寺栄喜さんは椿油を精製するのに大切な搾油機を含め、工場を津波で流されてしまいました。そこに手を差し伸べたのが、伊豆大島で椿を栽培する日原行隆さんでした。東日本大震災の支援で深まった小野寺さんと日原さんの絆でしたが、その2年後、今度は伊豆大島が大きな災害に襲われました。 2013年10月、台風26号の影響で発生した土砂災害で、伊豆大島では島民36人の命が奪われ、日原さんの仕入先だった椿農園も土石流に流されました。島内で一番大きな椿農園が全て土砂に飲まれて荒地になってしまったのです。 そんな時、気仙沼の小野寺さんから思いがけない支援が届きます。小野寺さんは自ら伊豆大島へ入り、自分の椿の苗を日原さんへ贈呈したのです。さらに義援金の募集を行い、日原さんへと贈りました。小野寺さんは「黙って見ているわけにはいかない。とにかくなんとか元気を出しましょうと願った」と当時を振り返り、日原さんは「椿の苗と金一封を頂いたのは、立ち上がるぞという気持ちにわれわれもなったし、励みになった」と語りました。 10年間を椿がつなぎ、支え合った2つの大島──。ただ、復興に向けて全てが順調なわけではありません。実は、日原さんにもらった気仙沼大島に届いた搾油機は、いまだに使うことができていません。最盛期には5000人いた気仙沼大島の住民は今、半分以下の2336人にまで減っていて、働き手が足りず、なかなか思うように椿の生産を拡大できずにいます。それでも小野寺さんは日原さんから贈られたこの搾油機に島の未来を託そうとしています。小野寺さんは「搾油機が稼働するようになれば若い人を雇う、雇用にもつながると思う」と語ります。 日原さんは「椿には人と人を結び付ける不思議な力を持っている。これからも椿が取り持ってくれた縁を大事にしていきたい」、小野寺さんは「10年という年月は実際、60歳を過ぎた者にとっては相当きつい。ただ、気仙沼大島だけが年を取っているわけではなく、伊豆大島も年を取って、高齢化している。その時に『いや、まだ椿が残ってるじゃないか』と、若い人に伝えていくのが最大の使命。それが『継承していく』ということだと思う」と語ります。 取材中、小野寺さんは日原さんとオンラインながらもおよそ2年ぶりに“対面”を果たしました。椿の花言葉の一つは「不変」です。10年がたった今も、そしてこれからも2人の絆が変わることはありません。

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