<3.11 未来へつなぐ> 「再び夢を」原発事故で避難、新天地での挑戦(前編)

【※ここでは、津波など災害に関する映像が流れます。映像をご覧になった時にストレスを感じる方もいると思いますので、ご自身の判断でご覧いただきますようお願い致します。】 東日本震災の発生から10年を迎えます。福島第1原発の事故で一変してしまった町・福島県富岡町で被災し、ふるさとも夢も一瞬で奪われた男性は、いまだに帰ることのかなわないふるさとに思いをはせながら、再び夢を追い掛けて新たな土地で歩みを続けています。 栃木県那須町にある草木に囲まれた広大な土地にぽつんとある一軒家で暮らしているのは、10年前の2011年3月に福島県富岡町で被災し、その後、東京・江東区に避難した高橋佑治さん(77)です。富岡町に構えていた当時の自宅は東京電力福島第1原発から10キロほどのところにあり、いまだに立ち入りが制限される帰還困難区域に指定されています。 震災直後の2011年4月からは江東区にある公務員宿舎「東雲住宅」に避難していました。東雲住宅には避難を余儀なくされた福島県の住民600世帯以上が暮らしていましたが、当初は知らない者同士のため交流は全くありませんでした。高橋さんは「こんな生活をしていたらみんなおかしくなると言っていた。5月か6月ごろに部屋で1人で亡くなる孤独死が出た」と当時を振り返ります。 そうした被災者たちが寄り添うきっかけを作ろうと、高橋さんが中心となって立ち上げたのが「東雲の会」です。週2回の交流サロンでお互いの悩みを打ち明けたり状況を報告したりすることで、被災者の孤独を防ごうとしたのです。都会での生活にも慣れて近所の人との交流も増えましたが、東雲住宅の入居期限は以前暮らしていた地域によってばらばらだったため、徐々に東雲の会のメンバーも住宅を去っていきました。それぞれが新たな生活を始める中、東雲の会との関係もだんだんと薄れていきました。 東京を去ることになった高橋さんが再スタートに選んだ場所は栃木県でした。福島県に住む親族と都内に住む2人の息子、どちらにも会いに行けるよう、中間地となるこの地を選んだといいます。高橋さんはこの10年間を振り返り「普通の日常が送れる感動」を実感しています。 高橋さんが希望を捨てずに進んでこられたのは“ある夢”の実現のためでした。それは「花見山」です。高橋さんは「何か必ず目標をつくって、その夢を実現するように頑張ろうという考えがあった。それで花見山をゼロから作り上げる。これが夢」「花見ができるような植物があふれた場所を作りたい」と語ります。 震災前からの夢だった「花見山」を実現させるため、日々植物の世話にいそしんできました。花見山について語る高橋さんからは自然と笑みがこぼれます。実はこの挑戦は今回が初めてではありません。高橋さんは震災の数年前に福島県の自宅近くに3000坪の土地を購入していたのです。しかし、震災による原発事故で夢は一瞬にして奪われてしまいました。 栃木で再び夢が動き出したのは震災から4年後のことでした。その時に植えた小さな梅の木はいまでは高橋さんが見上げるほど大きく成長を遂げていました。夢に向けて再びスタートを切った高橋さんは現在77歳。その心には新たな土地で「花見山」の完成を見届けたいという気持ちと、ふるさと・富岡町に戻りたいという思いの葛藤がありました。

×