<3.11 未来へつなぐ> 2つの大島を結んだ“椿の絆”(前編)

【※ここでは津波など災害に関する映像が流れます。映像をご覧になった時にストレスを感じる方もいると思いますので、ご自身の判断でご覧いただきますようお願い致します。】 東日本大震災の発生から10年を迎えます。今回は、震災からの復興を目指す宮城県の気仙沼大島と、2013年の大雨で土砂災害が発生した東京・伊豆大島の支え合いの物語です。2つの「大島」をつないだのは、それぞれの島に咲く椿(ツバキ)の花でした。 宮城県の北東部に位置する港町・気仙沼市──。その海の先に見える島は東北最大の有人島・気仙沼大島です。ここに住む小野寺栄喜さんは、島に古くから育つ植物、椿を育てています。小野寺さんは椿の種から美容にも食用にも使える椿油を生産し、気仙沼大島の活性化につながるよう活動していました。 しかし。2011年3月11日に発生した東日本大震災によって気仙沼市では1432人もの人の命が奪われ、9500世帯が被災、津波は街の全てを飲み込みました。気仙沼大島の東海岸から押し寄せた津波は道路をつたって丘を乗り越え、港のある島の反対側へ達しました。その時、小野寺さんは島に伝わる「大昔に島が3つに分断された津波があった」という言い伝えを思い出したといいます。小野寺さんは「言い伝えとして島の人たちは知っていたが、実際に同じような津波が来るとは誰も予想していなかった」と話します。 津波は小野寺さんの大切なものも奪いました。椿油を生産する工場が全て流されてしまったのです。「椿油の生産を再開したい」というそんな小野寺さんの願いをかなえた人が、気仙沼から500キロ離れた人口約7400人・伊豆諸島最大の島、伊豆大島にいました。この島で椿油を生産する日原行隆さんです。伊豆大島は島内に数多くの椿園がある世界屈指の椿の名産地として知られます。この椿が2人をつなげました。 日原さんは「気仙沼大島の小野寺さんは伊豆大島から椿の苗を仕入れていた。その年も、苗が震災当日の午前中に届くことになっていた」と当時を振り返ります。小野寺さんは無事なのか…。心配する日原さんに、知らせが届いたのは意外な形でした。2カ月ぐらいたった頃、椿の苗の代金が銀行口座に振り込まれたのです。「約束ですから、どんな状況であろうと約束は守らないと」と語る小野寺さんの思いに心打たれた日原さんは、小野寺さんを訪ねて気仙沼に向かいました。 対面を果たした日原さんは、小野寺さんが椿油の生産ができないことを知り、日原さんに搾油機を送ったのです。他にも、気仙沼での椿油の生産が完全に再開するまで伊豆大島の日原さんの工場で椿油の生産を手伝うなど、日原さんからの思いもよらない支援で2人の交流は続きました。 しかし東日本大震災から2年がたったある日、今度は伊豆大島に大きな災害が襲い掛かったのです。