「利他」に潜む危うさ。『「利他」とは何か』著者、伊藤亜紗に聞く

「利他」に潜む危うさ。『「利他」とは何か』著者、伊藤亜紗に聞く

コロナ禍で変わることを余儀なくされる他者との関わり方。 photo by Ryuji / PIXTA(ピクスタ)

◆「利他」とは何なのか?

―― 伊藤さんは新著『「利他」とは何か』(集英社新書)で「利他」について論じています。利他とは文字通りに理解すれば「他者の利益のために行動すること」で、一般的に「良いこと」とされています。これに対して、伊藤さんは利他に潜む負の側面や危うさにも注目すべきだと指摘しています。

伊藤亜紗さん(以下、伊藤): もともと私は利他に対して懐疑的で、「利他嫌い」と言ってもいいほどでした。私はこれまで目の見えない人や吃音の人、四肢切断した人など、様々な障害を持つ人たちがどのように世界を認識し、どのように体を使いこなすかを研究してきたのですが、利他的な振る舞いによって彼らの可能性が阻害されてしまう場面に何度も遭遇してきたからです。

 たとえば、ある全盲の女性はどこに出かけるときも、「ここはコンビニですよ」とか「ちょっと段差がありますよ」といったように、周りからバスガイドのように教えられるそうです。たまに出かける観光ならそれでもいいかもしれませんが、すべてを先回りして言葉にされると、聴覚や触覚を使って自分なりに世界を感じとることができなくなってしまいます。彼女自身、「障害者を演じなきゃいけない窮屈さがある」と言っていました。

 また、若年性アルツハイマー型認知症の人は、自分がお弁当を食べようとすると周りの人が割り箸を割ってくれるなど、先回りしてサポートが入ることに不満を感じていました。認知症の当時者は怒りっぽいと言われますが、「助けて」と言っていないのに助ける人が多いからではないかというのが彼の見方でした。

 多様性という考え方はとても重要なのですが、それが人をラベリングして、見方を固定することにつながってしまうことに注意しなければなりません。私たちの社会では、障害を持つ人や性的マイノリティなどを尊重し、多様性を認めるべきだと言われていますが、多様性は社会の中だけでなく個人の中にも存在します。会社では上司、家に帰ればお父さん、休日は趣味の天体観測に没頭するといったように、人はみな多くの属性を持っています。障害もそうした属性の一つにすぎません。障害という属性だけに注目し、「障害者」という枠組みに押し込んでしまうのは間違いです。

 もちろん「障害のある人を助けたい」という思い自体は素晴らしいことですが、それはしばしば「善意の押しつけ」になりがちです。周りが先回りして事細かにサポートすることで、彼らが何かに挑戦する機会が奪われ、彼らの可能性を潰してしまうことを見落としてはなりません。「いいことをしているんだから相手は喜ぶはずだ」という思い込みは、その人を支配することにつながります。

 私が考える利他は、これとは異なります。「この人は困っているから、これをしてあげよう」という先回りの能動的な働きかけではなく、相手の言葉や反応に耳を傾け、隠れた可能性を引き出すこと。これが私の考える利他です。ここで重視されているのは、相手を自分のコントロール下に置くのではなく、相手の力を信じることです。利他は受け身の姿勢なのです。

◆人から利他を受けることに罪悪感を覚えない環境

―― 新型コロナウイルスによって苦しい生活を強いられている人たちが増えており、国会では生活保護に関する議論が行われています。日本では、生活保護が必要な人のうち実際に利用している人の割合はきわめて低いという状況です。これは生活保護が利他精神に基づいていないからだと思います。

伊藤: 生活保護の現場では、窓口の対応が冷たかったり、審査が厳しいなど、生活保護の受給を許さないような雰囲気があります。また、生活保護を受給している人たちも、「生活保護をもらうなんて恥だ」と考え、生活保護に対して強い罪悪感を持っています。

 人から何かをもらうことに苦痛を感じるのは、生活保護に限った話ではありません。私の研究室の学生たちと話していて驚いたのですが、彼らは自分の好きな人に「好き」と言われたり、贈り物をもらうことが苦しいと言っていました。相手から何かをしてもらうと、それを「借り」だと感じ、「すぐに返さなければ」と思うのだそうです。

 この点に関しては先日、大規模調査を行いました。その中で「あなたはこれまで、人から優しくしてもらったことや好きな人から『好きだ』と言われたことを素直に嬉しいと思えなかったことはありますか」という問いに対して、約四割もの人が「ある」と回答しました。若い世代ほどこの割合は高く、理由としては、男性は「自分はそのようなことをしてもらう価値がない」など自己肯定感の低さが目立ち、女性は「相手がくれたのと同じだけの好意を返せない」など人間関係を貸し借りで捉えている傾向が見えてきました。

 先ほど、利他とは相手の話を聞き、相手の可能性を引き出すことだと指摘しました。利他が成り立つには、それと同時に、利他を受けとる側の姿勢も重要になります。「すぐに返さなければ」と思うということは、利他をしっかり受けとれていないということです。

 私自身のことを振り返ると、私も大学時代に先生から多くの恩を受けましたが、それはとても返せるものではないですし、返せると考えること自体おこがましいことだと思います。それでも返すべきだと言うなら、自分の後輩や学生たちに返そうと思っています。人から利他を受けることに罪悪感を覚えず、堂々と受けとることができるような環境を作っていかなければなりません。

◆自分が変化するかどうか

―― コロナ困窮者の支援活動に参加している人たちは、「困っている人を助けたい」という思いを持っているはずです。そこにはどうしても「善意の押しつけ」が入り込みます。それでも何もしないよりマシではないでしょうか。

伊藤: きっかけは、善意の押しつけでもいいのだと思います。でも、実際に相手と関わってみれば、自分が最初に思っていたのとは違うものに突き当たるはずで、そこに気づけるかどうかが重要だと思います。「最初はこうすれば相手は喜ぶはずだと思っていたけど、実際やってみたら全然違いました」といったことは、決して珍しくありません。相手と関わり、これまで見えなかった部分に気づくことができれば、それによって自分自身も必ず変化します。「他者の発見」は「自分の変化」の裏返しです。相手と関わる前と関わったあとで自分自身が変わっているかどうか、そこが利他を見極める上で重要なポイントになります。

(2月24日 聞き手・構成 中村友哉)

伊藤亜紗(いとう・あさ)●1979年東京都生まれ。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター。リベラルアーツ研究教育院准教授。MIT客員研究員(2019)。専門は美学・現代アート。著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)、『ヴァレリー芸術と身体の哲学』(講談社)など。

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げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

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