英語上達のためには「スキーマ」の体得が必要だ。ベストセラー『英語独習法』著者に聞く

英語上達のためには「スキーマ」の体得が必要だ。ベストセラー『英語独習法』著者に聞く

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◆多くの英語難民を救った『英語独習法』

 『英語独習法』(岩波新書)が昨年末の刊行以来、8万部のベストセラーとなっている。 著者の今井むつみさんは認知科学、特に子供の言語習得と概念発達を専門に研究している人だ。本書がこれだけの話題となったことについて「率直にびっくりしています」と話す。「英語の本なので関心を持つ方がいるとは思っていたが、ここまですそ野が広いとは」。

 本書の特徴は、英語学習には時間がかかるとはっきり指摘していることだ。多忙なビジネスパーソンが短期間で効率よく英語を学ぼうという書籍が数多く書店に並ぶなかで、それに逆行する内容だとも言えよう。今井さんは「私が勧める方法は時間を取るし、簡単にはできないものです。英語の熟達のためには時間が必要だと伝わるといいなというのはありました」と話す。

 今井さんは英文学や英語学の専門家ではないが、30年以上英語学習を続けているという。そうした実体験を踏まえ、また認知科学の専門家として、英語を学ぶ上で何が必要なのかを本書で解説している。

◆「スキーマ」とは

 本書の軸となるのは「スキーマ」という概念である。本文を引用すると、「スキーマ」とは「一言でいえば、ある事柄についての枠組みとなる知識」である。そして「『使えることばの知識』、つまりことばについてのスキーマは、氷山の水面下にある、非常に複雑で豊かな知識のシステムである。スキーマは、ほとんど言語化できず、無意識にアクセスされる」という。

 たとえば、日本語を母語とする人々は、英語の名詞が可算名詞と不可算名詞に分かれることに戸惑う。しかし英語の母語話者は、言葉を習得する過程で、その名詞に a や複数形の s が付くのか、いつも裸で現れるのかによって、その名詞が数えられるものなのか、水やバターのように不定形で数えられないものなのかを学ぶ。可算・不可算の形と名詞の種類を結びつける「スキーマ」が作られ、そこから知らない名詞の意味を推論するようになる。こうした「スキーマ」が身に付いていないと、いつまで経っても、可算名詞と不可算名詞の扱いを間違えることになってしまう。

 逆に日本人の母語話者であれば、「触(さわ)る」と「触(ふ)れる」が異なること、そのため「べたべたと触(さわ)る」は自然だが、「べたべたと触(ふ)れる」は不自然であることがわかる。たとえその理由を説明できなくても、直感的に不自然だと感じるだろう。こうした“暗黙の了解”を身に付ける必要があるのである。

◆「スキーマ」を体得するために

 本書は日本語の母語話者が、語彙力を支える英語のスキーマをどのように作っていくかということを軸に、実践的な英語学習法を伝えている。この場合の語彙力、というのはたとえば英単語を3000、5000語覚える、といったこととは趣を異にする。

「多くの単語を覚えることは当然大事ですし、スキーマを得るためには広さも深さも必要なのですが、今まで、『語彙』というと広さの話になってしまい、氷山の下に何もない、氷の薄い板を陸地のように延ばしていく、そういうことになってしまっているのではないでしょうか。私が考える語彙力とは、大学受験やTOEFLの試験に必要なものとしての語彙力とはかなり違うものです。語彙力とは、『ある言語を運用するためのスキーマの総体』というようにとらえてもらえれば」

 たとえば、語彙を増やすために pursue と chase を覚えただけでは、それらの単語を実際に使えるようにはならない。pursue は、career や goal が「共起目的語」となりやすく、chase は、cat やball が目的語になりやすいということを併せて理解する必要があるのだ。さらに、英語を使いこなすためには、ある単語が、どのくらいフォーマルな印象を与えるかといったことも“氷山の下”の知識として必要になってくる。

◆動詞と構文はセットで

 また、文法と単語を切り離して覚えるのではなく、動詞と構文は一緒に覚えたほうがいいという。

「子どもは英語母語でも日本語母語でもそうして覚えているわけです。動詞であれば、単語と構文を一緒に覚える。名詞でも、英語母語の赤ちゃんは、意味より先に、可算か不可算かという文法の形をまず覚える。そこから意味を自分で考えて覚えるので、可算か不可算かということと意味の切り離しようがない。構文情報というのは、語彙の中に入っているんですね」 

 この本では、SkeLL、COCAといった、コーパス(日常会話、テレビ・映画、新聞記事、小説などさまざまなジャンルの言語資料のデータベース)を利用したスキーマの習得から、昨年から実施されている大学入学共通テストにも導入された、英語の「聞く・読む・話す・書く」という4技能の習得にまで話は及ぶ。

◆多読神話を疑う

 英語を学ぶうえで、「多読」が有効だと言われることがある。しかし多読の目的と認知過程から考えると、多読が語彙を増やすのに有効だとは考えにくいという。

「誤解を招かないように言うと、『多読には意味がない』ということではありません。多読は大事です。多読が役に立つ用途はあるけれど、万能ではない、ということです。多読によって、情報をざっと斜めに読んで、テキストの内容を大づかみに把握する能力が身に付きます。その時には、細かい単語一語一語の意味を考えていたら情報を早く大づかみにすることはできない。だから、多読や速読というのは、自分のスキーマ、語彙を使いながら、情報を素早く汲み取るための練習なのです。」

 語彙力を伸ばすためには、むしろ「熟読」の方が有効だという。

◆英語を教える人に求められること

 そして、英語学習をスポーツのコーチングにたとえ、英語を教える側にもこのように提案する。重要なのは「塩梅」だそう。

「スポーツのコーチングでは、選手の弱いところを見抜いて、そこを引き上げる、強いところはさらに伸ばす。それを診断して塩梅を見つけるのがコーチの役割だろうと思います。英語の学習もそれは同じで、いい塩梅は万人共通ではない。英語を教える人は、学習者に対して、その塩梅を診断して、アドバイスをしていただきたいなと考えています」

 認知科学の学術的な研究成果を生かして、一般の英語学習者が持つ「なんで自分は英語ができないんだろう」という悩みに鮮やかに応え、さらには英語以外の外国語の学習や日本語の学習にも役立つと評判の一冊である。

今井むつみ

慶應義塾大学環境情報学部教授。専攻は認知科学、言語心理学、発達心理学。著書に『学びとは何か 探究人になるために』『ことばと思考』(岩波新書)『親子で育てる ことば力と思考力』(筑摩書房)『ことばの発達の謎を解く』ちくまプリマー新書など。共著に『クリエイティブ・ラーニング 創造社会の学びと教育 (リアリティ・プラス)』(慶應義塾大学出版会)『はじめての認知科学(「認知科学のススメ」シリーズ:1)』(新曜社)、共編著に『岩波講座 コミュニケーションの認知科学 1〜5』などがある。

<取材・文/福田慶太>

【福田慶太】

フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。

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