『報道ステーション』CMに見え隠れする「ポストフェミニズム」の悪質性

『報道ステーション』CMに見え隠れする「ポストフェミニズム」の悪質性

報道ステーションCM

 「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的にかかげてる時点で何それ時代遅れって感じ」

 テレビ朝日の報道番組『報道ステーション』の新WebCMに登場するセリフだ。CMは3月22日に公開され、ネット上の批判を受けて24日に削除された。

◆『報道ステーション』CMとは

 CMは「これは報道ステーションのCMです」というテロップから始まり、仕事から帰宅した女性が、誰かに対して話し掛けているという内容になっている。

 全体のセリフは以下の通りだ。

「ただいま。なんかリモートに慣れちゃってたらさ、ひさびさに会社に行ったら、ちょっと変な感じしちゃった」

「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」

「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。にしてもちょっと消費税高くなったよね。でも国の借金って減ってないよね?」

「あ、9時54分!ちょっとニュース見ていい?」

 最後に女性の顔の上に大きく「こいつ報ステみてるな」というテロップが入る。

 女性蔑視であり、またジェンダー平等が達成されているという間違った認識に立っているため、悪質であることは疑いない。

 ただ、それ以上にこのCMからは、現在の日本ないし世界中で一般的になりつつある風潮が見えてくる点こそ不気味だと筆者は考える。その風潮とは、ポストフェミニズムである。

◆ポストフェミニズムとネオリベラリズム、女性性

 ポストフェミニズムとは、「フェミニズムはもう終わったもの、古いものと認識させる言説とそれによって構成される社会」と定義づけられる。

 もちろん、フェミニズムは終わっていない。女性差別もジェンダー不平等もまだ残っている。それなのに、終わったものとしてしまうことで、いわゆる「古い価値観」に立つ復古主義とは異なる権力構造に基づく女性差別が生まれているのである。

 その異なる権力構造とは、新自由主義である。新自由主義とは、市場への国家の介入を最小限にするべきと考え、自由競争や能力主義を重んじる経済思想のことだ。フェミニズムと新自由主義は複雑な関係にある。このことについて、2つの側面から説明したい。

 まず1つ目は、経済的な側面だ。これまでフェミニズムは女性にも男性と同様に能力に応じて賃金を支払うように要求してきた。これは、一見すると新自由主義の能力主義と整合性があるように見える。実際フェミニズムが歴史のなかで新自由主義に加担しなかったというのは嘘になる。たとえば日本の「女性活躍」政策はまさにこの文脈に位置付けられる。

 しかし、本当にフェミニズムは新自由主義を正当化してよいのだろうか。新自由主義は男性にとっても女性にとっても経済的格差を拡大した。

 また、後に述べるように新自由主義のなかでも文化的な性別役割規範は消滅しないため、女性たちは家事をこなしながら、家事をしない男性と同じ基準で能力競争していかなければならないという男性優位の構造は残ったままだ。

 さらに、そのなかで新自由主義は女性たちの連帯よりも個人主義的な「成功」を目指すことを女性たちに求める。「女性が輝く」などと叫ばれるなかで、女性たちに実際かけられている身体的・精神的負荷の大きさは察するに余りある。

 次に2つ目の文化的な側面について述べる。文化的な女性性の強制は、外部からも内部からも女性たちを呪縛している。

 まず外部からの呪縛について、重要なのは新自由主義は多くの国で新保守主義とセットになっているということだ。新保守主義の政治家が新自由主義の旗を掲げて改革を進める際、自分たちの支持基盤である保守的な人々の生活も掘り崩すということになりかねないため、性別役割規範を含む伝統的な価値観を必要以上に強調することになる。

 次に内部からの呪縛について、新自由主義の文化的な特徴には、経済的主体としての自己管理や自己監視がある。一方、フェミニズムのもたらした果実の1つとして、女性が性的対象から欲望する性的主体へ変容したことが挙げられる。それらが組み合わさった結果、男性の視線によって客体的に評価されるのではなく、女性自身の視線によって自己検閲される形での女性性の強制が起こっているのである。

 このように、フェミニズムと複雑な関係を持つ新自由主義という権力構造の上に、ポストフェミニズム下での女性差別は起こっているのである。女性たちは男性と同じように市場に参加して競争に勝たねばならないと同時に、伝統的な女性性をより主体的に体現しなければならないというダブルバインドの状況に立たされている。

◆報ステCMで表現されたポストフェミニズム

 ここで、もう一度報道ステーションのCMを見てみよう。

 まず冒頭に記した「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的にかかげてる時点で何それ時代遅れって感じ」というセリフは白々しいほどにポストフェミニズム的気分を表している。かえって、一般的には巧妙な言説が多く含まれるポストフェミニズムにしては、短絡的過ぎるといって良いほどだ。

 これを前提として、最初に経済的な側面を見てみよう。まず気が付くのは、登場する女性自身のアイデンティティが労働者(保守的な言い方をすれば「キャリアウーマン」)として定義されているということだ。

 その上で、冒頭の科白と、その前に来る「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって」というセリフと組み合わせて考えると、「民間のジェンダー平等に対する努力と比較して政府の努力は遅れている」という批判と好意的な解釈ができなくもない。

 とはいえ、これは「政府の介入なしに、民間つまり市場の競争に任せていればジェンダー平等は達成される」という新自由主義的な楽観主義と裏腹だ。

 また、「にしてもちょっと消費税高くなったよね。でも国の借金って減ってないよね?」という部分は国の借金を強調するという点で、規制緩和や民営化を推し進める新自由主義と親和的だ。

 次に、文化的な側面に注目する。この側面からは、「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ」というセリフから、登場する女性自身のアイデンティティは消費者として定義されているということが着目できる。

 その上で、「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって」というセリフからは女性は母性を持っているものだという観念の内面化が指摘できる。

 さらに、「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ」というセリフからは女性は容姿に投資するものだという観念の内面化が感じられる。これらは両方とも、女性自身の視線によって自己検閲される形での女性性の強制が起こっていることを指し示している。

 つまり、全体をまとめると、新自由主義の政治経済体制を背景に、女性は都合の良い労働者/消費者として「活躍」しつつ、しかも女性性を主体的に体現しているべきだというポストフェミニズム的なメッセージが読み取れるのである。

◆分断を超えた連帯

 もちろんこのCM作成者が狙ってポストフェミニズム的なメッセージを発した訳ではないだろう。それにしてはあまりにも短絡的な物言いだと思われるからだ。とはいえ、このようなメッセージがついうっかり世に出てきてしまうということは、日本にもポストフェミニズムの風潮が深く根付いているということを示しているといえるだろう。

 たしかに男性稼ぎ主モデルの時代と比べると、女性は「社会進出」しているかもしれない。だが、現在でも働く女性の約半分が非正規雇用という中で「女女格差」が開く一方、もう半分の正規雇用の女性たちも女性役割を押し付けられながら同時に男性並みに「活躍」することを求められて疲弊している。それだけではなく、ポストフェミニズムは個人主義を推し進め、わたしたちをバラバラに引き裂き分断する。

 だから、そんな今こそフェミニズムの連帯が必要なのではないだろうか。雇用形態、階級、セクシュアリティ、人種、障碍など様々な違いを越えて、女性たちが互いをサポートすることが今求められている。

 もちろん今回のCMは分かりやすい例だったから、誰もがその悪質性に気が付くことができた。だが、大抵のポストフェミニズムの言説はもっと巧妙だ。その巧妙な言説に騙されず、わたしたちは共に連帯していくべきだ。

【参考文献】

菊地夏野『日本のポストフェミニズム 「女子力」とネオリベラリズム』(大月書店)

早稲田文学会『早稲田文学 〈2019年冬号〉 シリーズ特集第1回:ポストフェミニズムからはじめる』(筑摩書房)

<文/川瀬みちる>

【川瀬みちる】

1992年生まれのフリーライター。ADHD/片耳難聴/バイセクシュアル当事者として、社会のマイノリティをテーマに記事や小説を執筆中。

Twitter:@kawasemi910

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