「お母さんの世話をするために家にいなさい」…ストレスで鬱になった「ヤングケアラー」

「お母さんの世話をするために家にいなさい」…ストレスで鬱になった「ヤングケアラー」

杏璃さん(仮名)

◆「あなたがお母さんの責任を持つんだよ」と言われて育った

 「あなたがお母さんの責任を持つんだよ」。杏璃さん(仮名・39歳)は物心ついた頃から日常的にそう言い聞かされて育ってきた。杏璃さんの母親は左耳難聴と心臓疾患に加え、双極性障害の診断も受けている。特に心臓疾患のせいでいつ倒れるかわからず、身障者手帳1級の「疾患により日常生活が著しく制限される」に該当する状態だ。

 杏璃さんはそんな母親の「ケアラー」としての役割を期待されて育ってきた。

◆「ヤングケアラー」とは

 「ケアラー」とは、心身に不調がある人のことを無償でケアする人のことを指す。仕事で介護や看病を行うのではなく、家族や近親者、友人など「無償」で世話をする人を指す言葉だ。特に18歳未満を「ヤングケアラー」、30歳以下を「若年ケアラー」と呼ぶ。

 物心ついたときから、母親の看病を担ってきた杏璃さんもまさに「ヤングケアラー」だったといえるだろう。

 家族が障がいや病気を抱えている場合、誰かが面倒を見るのは仕方がないことだと考える人もいるかもしれない。しかし幼い頃から「ケアラー」の役割を担っていると、学業の時間を充分に確保できない、部活動に打ち込めない、その結果友人関係を築けないといった問題が生まれる。

 杏璃さんの場合、「ケアラー」を強制されるストレスから鬱を発症し、大学を中退。現在も不調を抱えているという。

◆祖父母から「ケアラー」の役割を負わされて

 杏璃さんに母の面倒を見るよう始終口を辛くして伝えていたのは祖父母だった。祖父母は死産や逆子などで第一子と第二子を亡くしており、元気に育った第三子として杏璃さんの母親を溺愛していた。祖父母の杏璃さんへの期待は成長するごとに高まり、同時に杏璃さんの自由の制限と精神的負担も増していった。

 「小学校に入る前くらいから、母の躁鬱の状態が悪いと嫌味を言われるようになりました。『杏璃がしっかりしないから恭子(母)がこうなってしまうんだ』とか『父親そっくりで何もできないんだね』とか。

 高校生や大学生になってくるともっと酷かった。家にいることを強制されて自由がなかった。妹は夜遅くまで女友達と外を遊びまわっていても何も言われないのに、私は許されない。ちょっと遊びに行ったり出かけたりするのも、妹は自由に行っていいのに私は事前に許可を取らないといけない。どうして私だけ、って思っていました。

 祖父母は『お母さんのお世話をしなければいけないのにどうして家にいないの?』って言うんですね。だからもちろん、成人しても大学でサークル活動をすることさえ反対され続けるし、実家を出ることも許してもらえませんでした。『母の面倒を見られないなら役立たずだ』って、母方の叔母まで出てきて家族会議で私だけ責められる。20歳のとき、恐らくこうしたストレスも引き金になって鬱病になってしまいました」

◆ストレスでうつ病になり、大学を中退

 ヤングケアラーには、良好な家族関係のなかで自ら望んでケアを行なった結果として、次第に学業や心身の健康に影響が出てしまう人がいる。一方で、杏璃さんのように家族の事情によって半強制的にケアを担当せざるを得ない人も多く存在する。

 成績面でも期待をかけられていた杏璃さん。祖父母が近所の評判を気にするため、高校で良好な成績を取ると機嫌が良くなり、家庭内の喧騒が少し静まったという。ケアや成績など多重にかけられ続ける期待に息苦しさは酷くなる一方だった。その結果、杏璃さん自身が鬱病になってしまう。

 「23歳のとき鬱状態で2週間入院し、24歳で大学を退学してしまいました。精神科に通って療養に務め、その後は単発のアルバイトをするか引きこもるという生活をしばらく続けていました」

◆母の通院介護に明け暮れる

 その後、杏璃さんは徐々に回復に向かっていったものの、今度は母親の精神状態が悪化してしまう。

 「母の精神状態が悪くなったため、27〜28歳くらいの時は、完全にケアラーとして生活していました。母の入院先の病院が成田から車で30分ほどの場所にあるのですが、そこへ数日おきに着替えを届けたりお見舞いやおしゃべりに行ったりする。2ヶ月入院して、退院してまた2ヶ月経つと入院が必要になる。年に6回くらい通院介護をしていました。

 28歳のとき、今度は私が鬱からの失語になってしまって、3ヶ月入院しました。だからこの時期の母との会話は、入院して状態の落ち着いた母に『元気?』と聞かれて全然元気じゃないのに『元気』と答えるような感じで。妹もいるのに、ずっと私がケアをするという。でも地域柄的にもそれが当たり前だったんですね。体の弱いお母様の面倒を娘さんがずっとみるというのは」

 たしかに、病気の家族の世話をある程度まで家族が担うのは仕方がないのかもしれない。しかし、ケアや介護が子どもの成長や家族の健康、仕事などに影響するレベルで生活を圧迫するのならば、福祉制度に頼るのが望ましいだろう。共倒れになる「共助」では意味がない。

 

 経験を積んだ中年期の大人でさえ大変なケアラーの役割は、家庭で生活するしかない子どもや「まだ若い」と社会から期待を受ける20代に負わせるには重すぎる問題だ。子どもにはケアを引き受けるかどうかを選ぶ自由がほぼないうえ、ケアラーとして自身の生活を疎かにしたことが、将来にわたって影響する可能性があるからである。

 杏璃さんのケースでもそうだろう。では、杏璃さんにその役割を押し付けてしまった原因は、家族、社会、福祉制度のそれぞれいったいどこにあったのだろうか。

◆「長女だから」…杏璃さんを苦しめた祖父母の思い

 まず、祖父母が杏璃さんのみに負担を押し付けようとしたことはやはり問題だったのではないか。祖父母も健在で、妹がいたにもかかわらず、杏璃さんのみが「見守り」や「通院介護」のケア役割を担わされていた。母方の叔母も手伝わなかった。それなのに、誰も妹や叔母を責めることなく、長女の杏璃さんだけを責め続けた。

 「長女だから、母親のケアラーになってくれないと困る。長女だから、家を継いでもらわないと困る。そういう理由で、私と妹で扱いが全く違ったんです」

 祖父母は現在では90歳過ぎだという。1930年前後に生まれた昭和一桁世代では、明治憲法に端を発する「イエ」の観念がまだ強力だった。家をテーマに研究する歴史社会学者の米村千代氏は、家業がなくとも家名によって成り立つ抽象的な存在として当時の「イエ」を説明している(『よくわかる現代家族』第2版、ミネルヴァ書房)。個人化の進んだ現代の家族観とは異なる、この「イエ」の家族観が祖父母や地域に強かったことは間違いなく杏璃さんの生育に大きく影響しているだろう。

 さらに祖父母の個人的感情もある。杏璃さんは祖父母についてこう語る。

 「身体の弱い母は結婚も出産もしないだろうと、祖父母は死ぬまで面倒を見るつもりだったといいます。でもそんな母が結婚し、娘が生まれた。その時点で、『あ、この子に面倒を見させればいいんだ』って都合よく押し付けられてしまったのだと思う」

 祖父母は、子供を2人失ってから授かった杏璃さんの母親を溺愛していた。その溺愛っぷりと、長女に家を任せるものだという価値観が重なった結果として杏璃さんの窮状が生まれたのだろう。

◆訪問看護の落とし穴

 さらに福祉制度についても大きな穴があった。身体障害者手帳1級の心臓病を抱える母親は、本来なら訪問看護の対象だ。しかし、訪問看護のステーションがない地域のため派遣できなかったという。この時点で問題だが、ケースワーカーが来たときも「ご家族がしっかりされているので大丈夫ですね」と帰っていってしまったと杏璃さんは話す。

 「祖父母は地域にいい顔をしたいし、私もどこまでが人に相談していいことで誰に相談すればいいかわからない。問題がすべて家の中で閉ざされていたこと。今ではそれが一番の問題だったと感じています」

◆誰も解決策を持たない? 「おうちのことだから」ではなく対策を

 杏璃さんは当時を振りかえり、助けを求める先がなかったと話す。

 「学校の先生などの大人に相談しても『辛いけれど頑張りなさい』と言われるだけ。『おうちのことだからおうちでね、何もできません』って。辛い気持ちを吐き出したくても、友人には親が離婚したと言うだけで『聞いちゃいけないこと聞いてごめんね』って返される。場の雰囲気が暗くなるからそれ以上話せないし、誰も解決策を持たないんだって思った」

 また、大きな問題としてケアラーもその家族も元気なふりをしてしまうことがあると杏璃さんは強調する。

「『うちには何も問題は起きてないですよ』って、地域、友人にいい顔をしてしまう。『心配かけたくない』、『変な目で見られたくない』ってどんどん閉鎖的になっていく。元気に見せることで周りに心配をかけないようにしたい、うちの状況を見せたくない。ケアラーはみんなそうだと思います。自分たちのことを話しやすい場所、今あるのかな」

◆福祉や支援につなげてほしかった

 自身の経験を踏まえて今後あったら良いと考える対策はあるか。筆者の質問に杏璃さんはこう答えた。

 「学校や周囲の大人には『家族のことだから自分で頑張ってね』と突き放すんじゃなくて、福祉や支援につながるようにしてほしかった。また、いじめやデートDV、虐待などのSOSポスターは学校や地域で見かけるけれどヤングケアラーの相談ポスターは見たことがない。悩んでいる子どもたちに、これは人に相談していい問題なんですよ、ここで対応してもらえますよと知ってもらえれば少しでも変わるのではないか」

 最後に、杏璃さんは当時の経験でいまも苦しんでいる側面があり、ヤング・若年ケアラーが後から30代や40代になってから悩みを相談できる場所がほしいと語る。

「結婚した妹家族に介護をバトンタッチすることができました。その後、看護師免許を取ったのですが、本当に自分が取得したいと思って取ったのかと今でも自分の気持ちが不安になります。なぜ自分は看護師を選んだのか。今でも母の介護をしなければとどこかで思い続けているのではないか。本当は私は何がしたいのか……」

 杏璃さんは現在、看護師の仕事をやめてデリバリーヘルスで働いている。自分の人生を生きている気持ちがしないという人生の根幹に関わるような悩みの恐ろしさはどれほどのものだろうか。

<取材・文/瀬詩穂美>

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