「女はしゃしゃり出てくるな」ブルーカラーの女性観の根底にあるものとは?

「女はしゃしゃり出てくるな」ブルーカラーの女性観の根底にあるものとは?

現場で回転工具を扱う、工場勤務時代の筆者

 元女性トラックドライバーとして「クルマ業界の女性観」を紹介した前回記事「元トラック運転手が語る、女性ドライバーが直面するセクハラの実情」(そちらを先にお読みいただくことをお勧めする)。予想通り多種多様な反応があった。

 中でも多く見られたのが、男性ブルーカラーからの「女性がしゃしゃり出る世界じゃない」、「女性が働くならばセクハラはある程度覚悟すべき」、「そんな考えだから『だから女性は』と言いたくなる」といった男性本位な意見だ。

 これらは、男女平等の度合いを測る「グローバルジェンダーギャップ」指数において、日本が149ヵ国中110位に甘んじていることをよく表した結果だと言っていいだろう。

 こうした現状を踏まえ、今回は筆者が現場で抱いてきた「ブルーカラーとしての女性観」を綴ってみたいと思う。

◆現場の男たちに植え付けられる「神聖化」

 ブルーカラーとは、製造業・鉱業・建設業などの生産現場で働く労働者のことだ。対するホワイトカラーは、いわゆる「オフィスワーカー」を指す。

 筆者は父親が経営する金型研磨工場で約10年、社長代理を務めていた。

 電子部品の組み立てや食品加工など、ライン作業の多い工場とは違い、「体力・筋力勝負」の世界。

 目に映ったもの全てが自分の仕事となっていた手前、職人と肩を並べて大きな回転工具を扱ったり、トラックで自動車メーカーやその下請け企業へ金型の納品・引取りを行ったりしていたのだが、その中で出会った筆者以外の女性は、大手自動車メーカーのエンジニア1人だけだった。

 前回にも述べた通り、ブルーカラーの働く現場は、「男性社会であること」、「女性蔑視が容認されてきた世代が比較的多いこと」、「肉体労働の現場であること」が手伝い、ホワイトカラーの現場よりも女性蔑視がより露骨になりやすい傾向にある。

 この「女性蔑視」は、前回紹介したようなセクハラばかりではない。これら3つの特徴の他に「男性職人のプライドの高さ」が要因となり、現場では、「女性作業員を受け入れない」などのパワハラも横行。
 それゆえ、こっちでは「ウケ狙いのセクハラ」、あっちでは「完全無視のパワハラ」と、ブルーカラーの男性との付き合い方には、筆者も当時大いに悩んだ。

 工場経営も10年になろうとしていた頃、金型の引取りに向かった得意先で、トラックを降りるやいなや、いつも世話になっている担当者とは別の若い作業員にこう言われたことがある。

 「これ、女の人じゃ説明しても理解できないから男の営業さん連れてきて」

 女性というだけで「できない」というレッテルが貼られ、年齢も経験年数も下の相手にタメ語を使われる現状。

 初対面だった彼は、筆者がその工場を昔から訪れていることを知らなかったようで、かたくなに筆者の「いや、分かりますから」を「(男性の営業が来た時に)同じ説明をしたくないの」で突っぱねる。

 その他の現場でも「女性が首を突っ込む世界じゃない」、「女性が来ると現場の作業員が集中しない」などといった言葉を受けたり、自分の工場でも、仕事を教え渋る先輩職人の「ヨイショ」に努めたりする日々。

 こうした経験が重なるうち、彼ら男性職人の中には「女性にはできない」、という思いよりもむしろ「(自分たちがやってきたことを女性に)できてほしくない」、「その世界に入ってきてほしくない」とする「男のプライド」や、「職場の神聖化」なるものを強く持つ人がいることに気が付くようになったのである。

◆男性社会が築き上げてきた“神聖性”と自意識

 日本には、昔から「男の仕事場」に女性が入ることを嫌がる環境が多くある。トンネルの工事現場は「山の神」が、漁船は「海の神」が怒るという理由から、それぞれに女性の立ち入りを禁じていた歴史があったり、未だ男性しか跡を継げないとする職業も多い。

 スポーツ界でもその感覚は強く、伝統ある相撲の世界においては、病人の応急処置をするべく土俵へ上がった女性救助員を降ろそうとしたり、女児の「ちびっこ相撲」参加が禁止になったりしたことが昨年物議を醸した。

 ゴルフ界では「世界的な流れ」を汲み、2020年東京オリンピックのゴルフ競技会場をはじめ、いくつかのゴルフ場が、長い間認めてこなかった「女性会員」の受け入れを開始したものの、それでも依然として「女性の入会制限」を設けるところは数多く存在する。

「神・伝統」と「時代の流れ」の線引きは難しいところではあるし、逆に男性が就けない「女性の職業」も依然として少ないながら存在するため、一概に「女性差別だ」とはし難いが、それでもやはり「体を動かす」、「危険を伴う」といった仕事場では、男性が立場的に優位になり、女性が歓迎されない傾向が強いといえる。

 こうして女性目線ばかりを語ると、男性からは再び「これだから女は」とされてしまいそうなのだが、前回にも述べた通り、幼いころからこうした「現場の男たち」を見てきた手前、筆者は彼らの「工場“マン”」としてのプライドを守りたい気持ちや、#MeToo運動などによって狭くなる「彼らの肩身」も、反面深く理解できる。

 労働環境の悪い4K(きつい・汚い・危険・細かい)に身を置きながら「日本の技術力を第一線で死守している」となれば、ロマン含んだプライドだって持つようになるし、とんだ勘違いではあれど、男性ばかりの世界の中に突如女性が現れれば、セクハラ発言でウケを狙おうとする気持ちも汲めなくもない。

 これが、前回述べた「筆者が今まで女性目線でブルーカラーを書いてこなかった理由」の1つだ。

 毎日機械と向き合う閉鎖的な男性社会。そこで生きる彼ら職人には「時流」がつかみにくく、「何が良くて何が悪い」のか線引きができないだけで、こうした態度には悪気がないことがほとんどだ。

 とりわけ中年以降の男性ブルーカラーには、これまでそうして積み上げてきた長い経歴がある手前、昨今急激に広がる#MeToo運動や女性進出の波について行けない人が多いのだ。

 余談だが、こうしたブルーカラーの環境に似ているのが政治家のそれだろう。頑固でプライドの高い中高年男性中心の世界という共通点は、やはり女性に対する軽はずみな発言を量産させる要因となっている(もっとも、彼らは「悪気がない」で済まされる立場にはないが)。

◆「#MeToo」における、ホワイトカラーとブルーカラー女性の隔たり

 実は、こうした昨今の「女性の社会進出に対する世間の風潮」と「自身が持つ女性観」にギャップを感じるのは、男性ブルーカラーだけではない。男性社会に身を置く女性ブルーカラーにも生じる場合があるのだ。

 その原因は3つある。

 1つは、女性ホワイトカラーとのあまりにも違う環境にある。

 現在の#MeToo運動や女性の社会的地位の向上活動を牽引している多くが、発信力のある「女性ホワイトカラー」で、それらの活動が、絶対数が少なく比較的発信力の弱い女性ブルーカラーらの基準になっていないのだ。

 化粧直しよりも、「顔や手に付いた作業油」や「切り傷の血」を流し落とすための場所と化すトイレに、成人雑誌が転がる休憩室。前回の通り、セクハラ発言は「あいさつ代わり」に飛び交い、パワハラも露骨である。

「いやなら辞めろ」と言われても、社会的弱者である場合が多い彼女らには、「その先」の保証がなく、女性が比較的多い現場でも、工場は人間関係が希薄になる傾向があるため、セクハラを受けても誰かに相談しづらいという現実もある。

 こうした「女性ホワイトカラー」との環境の違いが、昨今のムーブメントにも「私たちには関係ない」という感覚にさせてしまうのだ。

 2つ目は、男性ブルーカラーに負けず劣らず高い「女性ブルーカラーのプライド」だ。

 男性ブルーカラーと肩を並べて仕事していると、女性ブルーカラーにも、男性と同じように「第一線でやっている」という高いプライドが芽生えるようになる。

 特に様々な苦境や女性差別を受けてきた女性となると、今まで辛抱してきたことに誇りのようなものを感じるようになり、ムーブメントを「私には必要ない」と素直に受け入れなくなるのだ。

 恥ずかしながら筆者はこれに当たり、今まで女性目線でブルーカラーを書いてこなかったもう1つの理由もこれだ。

 そして3つ目は、一部の女性ブルーカラーによるセクハラの「ポジティブな受け入れ」だ。

 男性社会で生きる女性ブルーカラーの中には、セクハラを「大変不快だ」と思う人だけでなく、「多少は致し方ない」と甘んじている人、さらには男性の性的な言動に対して「ちやほやされている」、「女性として見られている」と喜びを感じてしまう人が少なからず存在する。

 男性からの言動をどう感じ、どう対処するかは人それぞれかもしれないが、こうした女性ブルーカラーの女性観に対する「極端なバラつき」や「セクハラのポジティブな受け入れ」は、女性ブルーカラーの“底辺の声”が太く束なるのを妨げ、ブルーカラー全体での環境改善が進まない要因になっているのも事実なのだ。

 現場や職種が違ってくれば、それぞれの女性観も大きく違ってきて当然だろう。それでも、こうしてみると、やはりブルーカラーが持つ女性観は、男性だけでなく女性自身にも改善の余地があると言える。

 肉体労働の過酷な現場。男性との身体的違いで「性別」を意識してしまうことがあっても、仕事の趣旨とは関係ない「性」を意識する環境があることはあってはいけない。

 前回のピンク色に染まった「トラガール」然り、女性ブルーカラーの環境が「安っぽく」なることだけは避けるべきだと筆者は思うのだ。

【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。

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