さぁ春だ。苦悩する人も、AI時代に不安な人も、今こそ田んぼを始めよう。米作りで得られる20のこと

さぁ春だ。苦悩する人も、AI時代に不安な人も、今こそ田んぼを始めよう。米作りで得られる20のこと

里山の空気と鳥や虫の鳴き声をサラウンドに、自分の区画で田植えする人たち

◆多くの人のいちばんの悩みは、“生存”について

 生きていれば死に際まで、悩みは尽きない。こんなに物にあふれ、便利で不自由ないはずなのに、多くの人のいちばんの悩みは“生存”についてかもしれない。そしてそれには2種類ある。

「生存そのもの」

「生存の意義」

 だ。戦後最長の景気拡大などと喧伝されているが、その実はますます格差が広がって低所得が多数となり、経済的に厳しく生きざるをえない人が増えている。収入が少ない人ほど不安は大きい。これは「生存そのもの」の苦悩だ。

 一方、収入がある人も、競争社会にあって脱落したら生存を脅かされるのだから、不安が絶えない。競争を生き抜いて収入を確保するために、会社や上司の理不尽な指示に従うこと、法に触れること、道徳に反すること、世の中を悪くすること、人のためにならないことをしなければならない。要は“魂を売ること”が増えてゆく。「本当にこれでいいのか!?」と自分自身に問い、「生存の意義」に苦悩する。

◆お米を作ることで解消される「生存の意義」への苦悩

 人は食べ物があれば生きて行ける。それは「生存そのもの」だ。そして、食べることこそ生きる喜びであり、カルチャーだ。美味しく楽しく食べることは「生存の意義」の大きな一部になる。

 お米が主食の俺たち日本人は、お米を自分で作れれば生きていけるのである。このことで「生存そのもの」の苦悩が解消される。また、米を作ることはそれがどんなに小規模でも、世の中を良くすることに貢献する。食の安全や耕作放棄地の再生、地域貢献に始まり、多岐にわたって好循環が生まれる。だから感謝される存在になれる。このことで「生存の意義」もだいぶ解消される。

「お米を作るのは農家さんでないと無理だ」と考えるのが普通だ。ところが実は、米作りは誰でもできる。俺は都会育ちで「土も虫もキモくて触れない」キャラだったのに、39歳で知識ほぼゼロから米自給に臨んだ。それから10年、“半農半バーのオヤジ”として、隔週程度で池袋から千葉県匝瑳(そうさ)市に2時間かけて通いながら、年間で20日ほどの作業で、毎年お米を作ってきた。

 その場所は、低い丘のような里山に囲まれた、近代的構造物など視野に入らない、緑と空と田んぼしか見えない桃源郷。土も虫も平気になり、自然への感謝の心に変わった。農作業での疲れが都会での疲れを一掃し、心身は癒され充電される。米作り3年目に NPO「 SOSA PROJECT」 を創設し、「マイ田んぼ」と称して毎年30人に米作りの機会を作っている。過去合計200人以上の参加者があり、その中で米を作れなかった人はいない。

◆野菜作り、日曜大工etc.米作りを通してできるようになったこと

「マイ田んぼ」は、ひとり50uの区画で田植えから草取りを経て収穫まですべて自分で行い、育てたお米を手にできる。一つの田んぼをみんなで作業するプログラムは全国津々浦々あるが、初心者に手頃な広さを初めから終わりまで自分だけの作業で完結できるプログラムはあまりない。自分の区画で汗水垂らして育てたお米を食べたら、そりゃ、世界一うまくて感動モノだ。そして何より「これで何があっても生きていける」という自信になる。

 だがそれだけで終わらない。それ以外にも、いろんなことができるようになる。米作りは、可能性の扉なのだ。俺を含めて米作りの参加者ができるようになったことは、例えば……。

・熟睡

 自然の中で太陽や風を浴び、体全体を動かし、汗を流す。当たり前の健全性を取り戻すことで、作業した夜は心地よい疲労感で深い熟睡に導かれる。

・野菜作り

 田んぼに来る方々で野菜を作りたいという希望者には、近くの小さな畑を無償で使ってもらう。

・梅干し、梅酒、梅酵素ジュース作り

 6月、ご近所さんから「うちの梅林が実ってるから好きなだけ採って」となり、持ちきれないほどの梅を無償で収穫。赤シソも畑に自生している。結果、皆おのおのが家で梅干しをはじめ、梅酒や梅酵素ジュースを作るようになる。

・無償で食べ物を得られる

 地元の方々とつながり、田んぼ周りや周辺の里山に自生する季節の山菜を見分けて採れるようになったり、森の中での椎茸栽培なども教えてもらったり。無償で食べ物を得られる知恵を授かる。

・傷処置

 ちょっとした切り傷や怪我は、そのあたりに生えている草木で応急措置。怪我した人も、それを見守る人も、その効能などにびっくりする。

・木や竹との付き合い 竹を切ったり割ったり、木を倒したり、薪を割ったり、道具の使い方を習得、実践できるようになる。

・土木の知恵や技術

 田んぼに水を引くことや水を抜くこと、水たまりや湿気が多い場所の改善など、土木の知恵や実践を身につけられる。

・DIY(Do it yourself:日曜大工)

 田んぼ周辺で、スモールハウス、微生物循環トイレ、ドラム缶風呂の東屋、物置倉庫などを作ったり、近くの移住者向けの古民家をリノベーションしたり。そういう大工作業を手伝ってもらうことで、道具の使い方から建物の作り方などを自ずと学べる。

◆「生きていける」という自信

 これだけでもすごいことだが、米作りから波及してできるようになったことはまだまだある。

・火との付き合い

 焚き火にとどまらず、薪でご飯を炊いたり、ドラム缶風呂を沸かしたり、火が間近なものになる。

・枝豆穫り

 9月、ご近所さんから「枝豆、穫りきれないから、好きなだけ持って行ってくれ」と連絡をいただき、無償で枝豆取り放題。

・柿酢作り

 10月、リノベーションしている古民家の柿の木がたくさん実をつけたので、皆で食べきれないほど無償で取り放題。残った柿は各おのおのが家で簡単に作れる柿酢に挑戦。

・料理

「料理しない」「料理が嫌い」という人も、家での自炊が多くなる。美味しいもの作る喜び、美味しいものを食べる喜びが増し、舌が肥える。11月には「収穫祭」と称して、参加者はみな手作り料理を一品ずつ持ち寄り、田んぼフィールドは祝いの宴となる。

・縄や注連縄(しめなわ)作り

 米を収穫した後に残る藁(わら)を束ねて縄を編む。12月には注連縄作りを地元の農家さんから教えてもらい、お正月におのおのの家の玄関に自作の注連縄を飾る。応用すればリースやブーケやなども簡単に作れる。

・味噌作り

 マイ田んぼのそれぞれの区画の畔に大豆を育てて収穫。それをもとに1月末、手前味噌を作る。

・染色・服・化粧水

 NPOのメンバーが、野花や草木などの自然素材を使って染色・化粧水作り・服や下着作りなど、ミニワークショップを開催する。

・地方への移住

「都会を離れて移住したい」。政府の統計でもそういう願望者は20〜40代で増えていて、都市住民の3〜4割。実際には、自主的に移住できる人はまだまだ少ない。だが米作りを経験すると、移住へのハードルがグンと下がる。上に記したことを経験して「移住しても生きていける!」という漠然とした自信になるからだ。去年だけでも匝瑳市への3人のほか、八丈島・静岡・飛騨高山(岐阜県)・綾部(京都府)・高知・山口へと移住していった。

・年配者へのリスペクト

 数年前に匝瑳に移住した、ITやデザインや映像を仕事にしてきたYさんが言った。「困ったら何でも直したり解決したりできる地元の年配者を見て、純粋にスゴイと思ったんだよね、自分もそういう歳を重ねたいから移住したんだ」。自然の中で生きる知恵を持っている年配者からたくさんのことを学ばせてもらえて、ただただ嬉しくなる。

◆自然の循環や感謝の念を感じ、心と身体のリセットに

 現代人の体は、利き手の2本の指ばかり使っている。スマホを駆使することで、すべてができるようになったと勘違いしがちだ。しかし、指も腕も腰も足も、もっと使わないと身体は不調をきたして退化し、不健康になる。

 指5本を使って草や稲に対峙し、体全体で道具を使いこなし、泥を歩いてバランス取り、凸凹を動いて平衡感覚と順応力を養うことで、本来の人間としての身体性を取り戻せる。五感もキャッチフルになる、例えば……。

・穏やかで緩やかで微笑ましいコミュニティ

 田んぼには「マイ田んぼ」のメンバー以外にも、継続して米作りをしているメンバーが50組もいるし、地元の方もふらっと訪ねて来てくれるし、子どもたちは虫取りや泥遊びで走り回って歳が違っても仲良くなる。

 除草剤や農薬を使わないので多様な生き物が命を謳歌して、鳴き声は歌や合唱のよう。田んぼで出会う人同士が笑顔で挨拶し、井戸端会議になったり、助け合ったり、支えあったり、おすそ分けをもらったり、物々交換したり、人間本来の当たり前が目の前に広がる。田んぼ作業中にふとそんな様子を見るだけで、「人間っていいな」ってほのぼのしてしまう。

・自然の循環

 子どもの頃に教科書で学び、一般知識として知っている、自然の摂理や循環。しかし、それを体感としてわかっているだろうか。米作りの半年、季節が移ろう中で、樹々や草花の香り、抜けて行く風、いのちを謳歌する生き物たち、その食物連鎖、自然の脅威、自然の不思議、すべてあらゆるものの循環、それに反した現代社会の矛盾、「無」と「空」。それらを頭でなく身体全体で感じ得る。

・感謝

 すべてが循環で移り変わってゆくものであると身体が認識するなら、当然の帰結として感謝の念が湧いてくる。いま自分がここに在るのは、古今東西すべての循環の連鎖のおかげだと。「感謝しろ」「感謝の気持ちを持て」などと言われずとも、自ずと感謝に結びつく。「自給」とは、「自ら糸を合わせる」と書く。己と離れてしまった体と心を自分に手繰り寄せ、循環に身を委ねる気づきへ、自ずと向かうだろう。

 ここであげた、「米作りで得られたこと」は20項目になったが、人によっては得られたものはもっとあることだろう。

◆ユルくてもコトは回っていく。「なんとかなる」という自負

「SOSA PROJECT」 では、「ああしろ、こうしろ」とはあまり言わず、ユルい。プライベートな休みに来る人たちに細かな指示出しやダメ出しなどはしたくない。俺たちはそれを当たり前に行ってきたが、参加者たちは毎度「ユルくて、びっくりする」と言ってくれる。

 おのおのが自由に判断して作業できる、余白の部分が多い。「失敗するのもいいじゃないか」というスタンスだ。失敗から学ぶこともある。休憩するのも自由だし、終わる時間も決めていない。作業が終わったら帰る人もいるし、他のメンバーの作業を手伝う人もいる。それなのに、たいていみんながほどよい笑顔の関係性になる。ユルいのに、ちゃんとコトが回ってゆく。

 現代の暮らしでは「お金がなければ何もできない」と思わされがちだ。だから仕事・会社にしがみつくしかない、と考える。意義を見出せない労働に人生の大半を費やし、ストレスを感じ、人生の迷子になる。生存の苦悩とは、結局は「収入=お金」。その答えは、2つだけしかない。

 もっとお金を稼ぐ

    or

 自分でできることを増やす

 お金をより稼ぐことに苦が少ない人は、前者を進めばいい。生きることすべてが、お金で対処できる。「それが苦手だ、嫌だ、辟易している」という人は、自分でできることを増やして、お金への依存を少なくして後者の道へ進めばいい。

 お米を作るようになった人は、たいてい生存に対してユルんだ顔で「なんとかなる」と言う。そう言える人ほど、強くたくましく見えるものだ。なんとかなる自負がある人は、軸があり、堂々とし、おおらかでいられる。そんな人を何人も見てきた。

◆米作りを始めるなら、今でしょ!

「なんとかなる」という安心は、現代人が失いがちな自尊心と自信へとつながる。俺自身もそうだ。米作りがなければ、低収入なのにドンと構えてはいられなかったし、安心感や「足るを知る」幸せを感じることもなかっただろう。

 だからこそ、米を作ってみてはどうか。里山での米作りを通じて、俺たちが失ってしまった誰でもできる手作業の知恵や技術を、自ずと楽しく導かれるように取り戻すことができる。4月後半からの作業で、米作りの一通りを経験することができる。

 米作りするならなるべく近い場所がいいだろう。自分が気に入った田舎との往還は、苦にならないどころか、心身が充実する。東京周辺では「マイ田んぼ」のようなプログラムはあまりない。俺たちの 「SOSA PROJECT」でもまだ10組ほどなら間に合う。

 どうだろう。アナタも、お米、作ってみない?

写真協力:山口勝則 倉田爽

【たまTSUKI物語 第15回】

<文/坂勝>

1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に『次の時代を、先に生きる〜まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など

【sosa project】https://sosaproject.jp.net/

関連記事(外部サイト)