安田純平さんの妻の深結さん「自殺を考えていた時期も。人とのつながりで救われた」

安田純平さんの妻の深結さん「自殺を考えていた時期も。人とのつながりで救われた」

安田さん夫妻。打ち合わせにて

◆「捕まった本人よりも、家族がいちばん大変でした」

 シリアで人質になり昨年無事に解放されたフリージャーナリストの安田純平さんと、純平さんの妻でヒーリングシンガーの深結(みゅう)さんの話を聞くトークイベント「いのちの話」が4月6日、東京・千駄ヶ谷区民会館で開催された。企画したのは「安田純平さんを救う会」。

 純平さんはまず、深結さんについてこう語った。

「捕まった本人よりも、家族がいちばん大変でした。家族の周囲でなにが起きていたのか。家族がどのような心境に置かれていたのか。外務省やブローカー、メディア、拘束者側からも接触があり、それらをひとりで抱えなければならなかった妻の話を聞いてほしい」

 ゲストとして、医者・作家でイラクやシリアの支援を行っているNGO「JIM-NET」(日本イラク医療支援ネットワーク)の代表を務める鎌田實さんが登壇し、安田夫妻に質問をした。

◆夫の命が危ないと思い、誰にも言えなかった

「一番つらかったことは何ですか」と聞かれると、深結さんは「それが……あまり、覚えていないんです」と切りだした。つらかった経験なので、無意識に忘れようとしているのかもしれない。

「2015年6月の終わりに電話が通じなくなって、一週間つながらなかったので、夫から『いざというときは、連絡するように』と言われていたシリア人に電話したら、連れ去られたという。

 相手を下手に刺激すると夫の命が危ないから、だれにも言えない。信頼している人に相談しても、その人が、また信頼できる人に『誰にも言わないで』としゃべれば、さらに広まってしまう。だから一切しゃべらないと決めたんです。それがつらかった」(深結さん)

◆水面下で動くはずだったのが、外相の記者会見で明るみに

 外務省からもコンタクトがあったが、最初はどう対応していいのかわからず、電話には出なかった。

「東京にいると夫の残像が見えたりしてつらいので、鹿児島の実家に帰り、母親と一緒にいました」(深結さん)

 外務省の人が訪ねてきて「家族の承諾がないと、外務省も動けない」というので「お願いします」と答えたという。

 しかし純平さんが拘束されたことが知れわたるのは、2015年7月10日。岸田外務大臣の記者会見の席だ。テレビ局の記者が、わざわざ大臣に「安田純平氏がシリアで拘束されている件に関して情報はあるのか」と質問してばらしてしまった。水面下で動くはずだったのが、それ以来はブローカーやメディアが深結さんに接触してくるようになる。

◆日本では、家族も「連帯責任」にされる

 純平さんは、15年前にイラクで起きた人質事件を引き合いにだす。

「(人質となった)3人の家族が、政府に対して『申し訳ありません』と、ずっと頭を下げて、お願いしていたそうです。『政府としては(自衛隊撤退に関して)何もできない』と言われ、それに対して家族が声を荒げたところだけを繰り返し流された。

 そこで、家族の『助けてほしいとう』言い方が気に入らないということでバッシングが起きました。責任は本人にあり、政府としても邦人保護の範囲内でできることをするしかない。

 しかし、家族の態度がいいか悪いかによって助けるか助けないとかいうものではない。それによって政府や行政が対応を変えてしまったら、それは独裁国家ですよ。そういうものではないのです。

 でも日本社会では、『自己責任』と言いながら家族も連帯責任にされる。だから妻には、放置するように、一切メディアなどには出ないようにと言っておいたんです」(純平さん)

◆「自殺を考え、身辺整理をしていた時期も」

 深結さんは、当時の心境を語る。

「その後、母が亡くなって、不安で不安で仕方がなくなりました。友達の家にいたら迷惑も掛かるので。1人でいるのが怖くて、人の気配があるところにいたくてインターネットカフェで寝泊まりするなどしていました。今でも電気をつけないと眠れないのです。

 自殺を考えていた時期もありました。私は、自殺する人の気持ちってわからなかったのですが……ご飯を食べるように普通に自殺を考えるようになって、身辺整理をし始めていました。

 でも『私は生きていかなければいけない。東京の家を守って、夫が帰ってきたときに普通に暮らせるようにしなければ』という思いも強かった。でもとにかく普通にしようとしていたら、ネットでは『大変な状況なのに、妻は笑っている』って書かれました。でも、本当にいろんな方が励ましてくれましたので、心は折れなかったです」

 印象的だったのは、純平さんが深結さんにお願いするような感じで訴えた次の言葉だ。

「外国人が誘拐されるとニュースになります。しかし現地の人がどれほど多く誘拐されているか。誘拐された本人より家族が大変です。(深結さんは)日本でその気持ちを体験できたのだから、そのことを伝えて行ってほしい」

◆多くのメディアは「身代金が支払われた」と決めつけて報道した

 2018年7月31日に公開されたビデオでは、純平さんがオレンジの囚人服を着せられ「ウマルです、韓国人です」と銃を突き付けられてしゃべらされていた。意味不明な内容に、いろいろな憶測が流れ、それがバッシングになっていた。

 

 深結さんは自ら話した方がいいと判断し、8月7日に記者会見を開くことを決める。仲間内ではバッシングを恐れ、会見に反対する意見もあった。そのとき、深結さんの意思を尊重して、うまく記者会見を切り抜けようとできたのが、「安田純平さんを救う会」だ。記者会見はおおむね好意的だったが、バッシングもあった。

 さらに純平さんが憤慨するのは、身代金に対する報道だった。政府は「支払っていない」と否定したが「メディアはこぞって、シリア人権監視団の情報だけで裏もとらずに身代金が払われたと引用した。帰国する飛行機の中で、『身代金が払われましたけどどう思いますか』と決めつけて質問されました」

「身代金が払われた」と報道することには、2つの危険性がある。1つ目は、安田氏がバッシングされること。しかしこれは、メディアにとっては視聴率が稼げる。2つ目は、テロリストに「日本人を捕まえたら(日本政府は否定しても)身代金が払われる」という誤った認識を与えてしまい、人質事件が多発する可能性がある。

◆拘束中は、走馬燈の”予告編“を見た

 鎌田さんが安田夫妻に質問した。

「アウシュビッツに収容されていたフランケルという人が、『どんな時も人生には意味がある』と言っている。安田さんも深結さんも40か月の拘束で大変な思いをされた。(その拘束に)意味があったと思いますか?」

「拘束中は走馬燈のように『どこで人生間違ったんだろう』とか『お世話になった人にお礼してなかった』とか、ずっと過去を振り返ってあらゆるものを悔やんでいました。生きて帰えってやり直すんだと。走馬燈の“予告編”を見た。

 こんなしょうもない走馬燈を見られたので、残りの人生でそれを少し変えることができたら、死ぬときに少しでも悔いはないのかなと。ジャーナリストとしては、捕まって初めていろいろな囚人がいて、どのように扱われているのか分かった。取材者にはなかなか見せませんから。

 ウィグル人のことなどは、捕まらないと知りえなかった。取材というのは、見たもの・経験したものすべてが生きてくるものなので、知り得たことや感じたことなどを本などにしたいと思っています」(純平さん)

「テロとか戦争とか、映画の世界のことと思っていたのがど真ん中に来てしまった。本当に人とのつながりを感じました。大変な時に時間をつくってくださった方々の気持ちに感謝しています。今後、歌や何かで表現できればいいですし、日本が素晴らしいということを伝えたいです」(深結さん)

 拘束時の状況については、ブックレット『シリア拘束 安田純平の40か月』(扶桑社)として出版された。純平さん本人が報道の間違いを直し、解説を加えたものだ。

◆日本には、ものすごく「寛容さ」が欠けている

 鎌田さんはトークショーのまとめとしてこう語った。

「『世界幸福度ランキング』というものがあります。日本は(156国中で)58位で、他者への『寛容さ』については92位。ものすごく寛容さが欠けている。バッシングする人のほうも不幸せで、(SNSなどで)とんでもないことを書いていく。

 もっと共感できる寛容な社会を僕たちがつくっていかないと、自分自身の首を絞めてしまう。僕は聴診器で戦っているし、ペンとか教育とか音楽とか、いろいろな戦い方がある。自立して、まっとうな社会をつくっていかないといけない」

 今回の人質事件では、マスメディアがソーシャルメディアと合体して不寛容をつくり上げている様子が垣間見えた。しかしそんな社会の中でも、深結さんは人とのつながりを感じて、心を折らずにいられた。そこに「まっとうな社会」をつくるヒントがある。

 純平さんには、戦争やテロという暴力で犠牲になっているシリアの人々に寄り添った、ジャーナリストとしての魂を感じた。そして「寛容さ」を世界にも向けていくことが、戦争を止めるために必要な道なのではないか。

<文/佐藤真紀(JIM-NET事務局長)>

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