話題のキンコン西野氏による近大卒業式「時計」スピーチが孕む危うさ。問われる近大の良識

キングコング西野亮廣、近畿大学の卒業式でのスピーチに賛否 問われる近大の良識

記事まとめ

  • 近畿大学の卒業式に招かれたキングコング西野亮廣によるスピーチが話題になっている
  • 感動したという声も多いが「感動するような人はマルチ商法に騙されるのでは」と批判も
  • 長針と短針が重なることがなぜ「報われる」ことに当たるのかが、全くわからないと筆者

話題のキンコン西野氏による近大卒業式「時計」スピーチが孕む危うさ。問われる近大の良識

話題のキンコン西野氏による近大卒業式「時計」スピーチが孕む危うさ。問われる近大の良識

YouTubeの「KINDAI UNIVERSITY」チャンネルより

◆話題になったキンコン西野の近大でのスピーチ

 近畿大学の今年の卒業式に招かれた、漫才コンビ「キングコング」の西野亮廣氏によるスピーチが話題になっている。近畿大学がYouTube上の公式チャンネルに「キンコン西野 伝説のスピーチ 」として投稿。約15分のうち、特に「時計」について語る約1分間の映像が切り抜かれてTwitterでも拡散されている。「感動した」という声も多いが、一方で批判も多い。このスピーチの何がダメなのか。

 まずは、問題の「時計」にかんする西野氏のスピーチの書き起こし。

”時計ってすごく面白くて、長針と短針があって、あいつらは1時間に1回すれ違うんですよ。重なるんですよ。1時5分で重なって、2時10分くらいで重なって、3時15分くらいで重なって、長身がもう1回追いついたかと思ったらまた4時何分かで重なる。毎時1回は重なるようにできているんですけど、11時台だけは重ならないの。11時台だけは短針が先に逃げ切っちゃって、2つの針って重ならないんです。次に2つの針が重なるのは12時。鐘が鳴るときですね。

 伝えたいメッセージは何かと言うと、鐘が鳴る前は報われない時間があるということ。これはぼくにもあったし、今後皆さんにもかならずある。人生における11時台というのは、必ずある。でも大丈夫。時計の針っていうのは必ず重なる。だから挑戦して下さい。皆さんの挑戦がうまくいくことを願っています。頑張ってください。ぼくは、ちょっと先で待ってます”(前掲のYouTube動画より)

◆「感動した」という声の一方で……

 Twitter上では「感動した」という声がある一方、批判的な声はおおむね、以下のような趣旨のものが目立つ。

「時計と人生は違う」

「このスピーチに感動するような人はマルチ商法に騙されるのではないか」

 筆者の意見も、これらの批判と同じだ。

 長針と短針が重なることがなぜ「報われる」ことに当たるのかが、全くわからない。放っておいても一定の間隔で2つの針が重なる時計を、定期的に「報われる」とは限らない人生に例える意味もわからない。現実とたとえ話の内容が全く対応していない内容だ。

 時計の針は、しょせんは歯車によって同じ場所をぐるぐる回らされる存在に過ぎない。時計を人生にたとえるなら、「歯車以下の存在であるお前らは、長針と短針が重なっただけの何の意味もない機会的な出来事を見て報われた気分になるくらいしかできなんだよ」という身も蓋もない話だってできる。どうとでも言えるということは、つまり何も言っていないということだ。

 このスピーチのせいで、筆者の知り合いの宗教社会学者が〈時計の長針において「報われる」とは何か〉について24時間も考え込んでしまったという。長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に22回も「報われた」はずなのだが。

 スピーチの映像を見て分かる通り、芸人ならではの流暢で明確なしゃべり口調で、雰囲気的な説得力はある。しかし実際に語られている内容は意味不明。「いい話」風に語ることで、雰囲気を成立させているだけのことだ。

 物事を、現実に対応しないたとえ話によって抽象化して、「必ず報われる」という根拠のない話に説得力を与える。これがまさに「マルチ商法」の動機づけや成功哲学と同じなのだ。

◆マルチ商法と自己啓発セミナー

 マルチ商法とは、商品を購入する会員自身が販売も行い、他人を勧誘して自分の下につく販売員とすることで、上の者が下の者による売上からマージンを得るビジネスだ。より多くの販売員を勧誘し、下部販売員たちが売上を出せば出すほど上の者が儲かる。

 しかし下っ端が上を目指して頑張ってくれないことには、上の者も儲からない。そのためか、マルチ商法の世界では様々な「自己啓発」文化が生まれた。いま風に言うなら「やりがい詐欺」化である。

 その中で70年代、「自己啓発セミナー」が誕生し、80年代に社会的なブームとなった。マルチ商法のセールスマン研修を、「自己実現を果たすための心理学テクニック」として、マルチ商法とは関係がない一般の人向けに提供するビジネスだ。アメリカで生まれ、70年代に日本に上陸してきた。

 マルチ商法会社「ホリディ・マジック」のセールスマン研修を請け負っていたアメリカ人が1977年に設立した「ライフ・ダイナミックス」が、日本初の自己啓発セミナー会社だ。一説には、ピーク時の80〜90年代、同じような内容のセミナーを開催する会社が日本だけでも大小100以上あったと言われる。多くが、ライフ・ダイナミックスの内容を模倣したものだった。

 1999年に千葉県成田市で「ミイラ事件」を起こしたライフスペースや、X JAPAN のTOSHIが広告塔となり2004年に児童虐待問題を起こした「ホームオブハート」も、その1つ。90年代に業界全体が斜陽産業化するなか、「カルト化」したケースだ。

 自己啓発セミナーが単独のビジネスとなった後も、マルチ商法関係者が自己啓発セミナーに販売員を送り込み「研修」させるということが行われてきた。これは現在も変わらない。2010年には、日本で最初に創設された自己啓発セミナー会社(2000年に解散)の残党が経営する「ASKグローバル・コミュニケーション」(現ASKアカデミー)という会社のセミナーで受講生が死亡する事故が起きた。受講生は、当時、マルチ商法会社「ニューウェイズ」(現モデーア)の販売者集団「ワンダーランド」のメンバーだった。

 「ワンダーランド」は、販売員をマンションの一室で共同生活させながら勧誘活動などに従事させる過激な集団だった。その販売員を教育しやる気を出させるために利用していたのが、ASKのセミナーだった。

 自己啓発セミナーでは会議室などで数日間、缶詰状態になって、講師や他の受講生が受講生を罵倒したり褒めちぎったり、「お父さん、お母さん」などと大声で泣き叫んだり、互いにハグをしたり、日常生活では起こりえないほどの異常な興奮状態にさせられる。短期的にハイテンション状態にするというだけでも、マルチ商法の販売員研修としてちょうどよさそうだ。前述のように、そもそもそのために作られたものだ。

◆自己啓発セミナー流の「たとえ話」

 自己啓発セミナーではロールプレイのようなゲームやレクチャーも行われ、そこでは様々な「たとえ話」が用いられる。オーソドックスなものに、「コップの中の蚤」の逸話がある。コップの中に蚤を入れて蓋をすると、ジャンプした蚤は蓋に当たってコップの底に落ちる。これを繰り返すうちに、蓋を取り外しても蚤は蓋があった高さまでしかジャンプしなくなる、というのだ(実際に蚤にそのような生態があるのかどうかは不明)。

 人はみな、失敗を恐れ自分の能力を出しきれなくなっている。コップに蓋がないことに気づけばもっと高くジャンプできる。そんなメッセージを込めた、たとえ話だ。もともとの出処は不明だが、いまでは学習塾の講師までブログなどに同じ話を書いているほど広く普及している。

 近大での西野氏のスピーチに違和感を抱くような人であれば、このたとえ話にもツッコミを入れたくなるだろう。「蓋があった位置より高く飛べるのは、もともとそれだけのジャンプ力を持っている者だけ。能力差を無視したたとえ話だ」「オレたちは蚤じゃない。学習能力を持った人間だ」と。

 しかし自己啓発セミナーは、「誰もがみな可能性を持っている」という思想に基づいている。だから何十万円もするセミナーで「あなたも自己啓発できますよ」と勧める。ここでは誰もが「本来は(セミナーを受けて自分を変えれば)高くジャンプできる蚤」なのだ。

 宗教、中でも信者や家族の人権すら脅かされるほどの過剰な「信仰」を信者に要求する「カルト」のありようを揶揄する言い回しに、こんなものがある。

「いいことがあれば教祖や信仰のおかげ。悪いことがあれば、それはお前の信仰が足りないせい」

 自己啓発セミナーやマルチ商法も理屈は同じだ。誰しも本来、能力や可能性がある。正しく努力すれば必ず報われる。このポジティブな精神論は、裏返せば「報われないのは、お前自身が間違っているから」という「心の自己責任論」だ。

 実際、筆者が取材した自己啓発セミナーの元幹部は、セミナーを受けても効果がないなどの受講生からのクレームに対して、「それはあなたの問題だ」と繰り返すだけだったと語る。誰もが可能性を持っているが、セミナー受けても可能性が開花しないのはセミナーのせいではなく受講生のせい。問題の原因をすり替えて個人に帰する自己責任論だ。

「必ず報われる」という動かぬ前提。現実に対応しない抽象的なすり替えの「たとえ話」。西野氏のスピーチは、こうした自己啓発的な思想や「心の自己責任論」そのものと言っていい。

◆問われる近畿大学の良識

 類似のたとえ話や思想は、いまやマルチ商法やスピリチュアル産業関係者にとどまらない無関係の分野にまで広く出回っている。これらと共通した思想に基づくスピーチをしたからといって、西野氏が自己啓発セミナーやマルチ商法の関係者とは限らない。

 現時点で言えるのは、西野氏は雰囲気的に「やる気」を出させる適当な与太話をした(それがたまたま? マルチ商法や自己啓発ビジネスによくある類いだった)というだけ。それ自体を悪いとかやめろと言うのは無理がある。「お笑い芸人が、直接の実害があるわけでもない適当な与太話をして何が悪い」と言われれば、それまでだ。

 問題は西野氏より近大のほうだろう。

「必ず報われる」と信じて何かを続けることに価値がないわけではない。客観的な正しさの問題ではなく信念を持ち続けることの大切さについての話としては、必ずしも間違ってはいないだろう。

 しかし、こうした人の信念や願望に、客観的な正しさを持たない「たとえ話」に説得力を持たせる演出でつけ込もうとする人々がいる。その一例がマルチ商法であり自己啓発セミナーだ。場合によっては、それが明確な違法行為や人権侵害を伴う「カルト」である場合すらある。情報商材ビジネスや投資詐欺のようなものもある。

 当たり前だが、「報われることを目指して努力する」のと「必ず報われるから努力する」のとでは、全く違う。報われるかどうかなど誰にも予想できないし、事後的に「報われた」と感じるかどうかは本人次第。全て結果論だ。「必ず報われる」などというのは、明らかなウソである。

 マルチ商法も同じだ。「必ず儲かる」と勧誘したら、それは詐欺だろう。しかし、販売する商品やサービスについての説明ではなく、抽象的なたとえ話で「願えば叶う」「頑張れば報われる」と煽る。これによって直接的に「詐欺」とされかねないリスクを回避しながら、勧誘相手をその気にさせる。自己啓発文化で彩られた「雰囲気」の悪質な側面だ。

◆大学は不合理な「感動」を売り物にする商売ではない

 大学の卒業式とは、こういうものが跋扈する世界にこれから放り出されようとしている人々が多く集まる場だ。「いい話」風なものに流されないようにしましょうと卒業生に注意喚起するなら、わかる。しかし近大はその逆。与太話にBGMまでつけてYouTubeに動画をアップしている。完全に自らが西野スピーチを「いい話」として演出している。

 大学は教育や研究を目的とする機関であって、不合理な「感動」を売り物にする商売ではないはずだ。

 もちろん、今回の西野スピーチを聞いただけで、卒業生たちがこぞってマルチ商法にハマるとは言い切れない。しかし、少なくとも教育機関のやることとして、いかがなものだろうか。

 近大を卒業した学生たちが、与太話を真に受けないだけの批判意識や思考力を持ったオトナであることを祈るばかりだ。

<取材・文・写真/藤倉善郎(やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:@daily_cult3>

ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)

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