大津事故で浮上した「外のお散歩不要論」の無意味さ

大津事故で浮上した「外のお散歩不要論」の無意味さ

CORA / PIXTA(ピクスタ)

 滋賀県大津市で散歩中の園児が交通事故に巻き込まれ、園児2人が死亡した事件。事故の本質的な原因よりも、保育園側が開いた会見でのマスコミの追求が酷すぎると炎上するなど、明後日の方向に余波が広がっている。

 中でも、「外のお散歩」を必要以上に危険視したり、不要を唱える声には疑問を抱かざるを得ない。

◆そもそも「散歩」が事故の原因ではないのに……

 すでに事故を受けて散歩コースを変更したり、散歩そのものを自粛したりする保育園が出ているが、前出の会見でも散歩コースに関する質問が相次いだ。

 事故に巻き込まれた保育園に園庭がなかったために外に散歩に出たということを、まるで事故に遭った要因のように主張する声もあったが、子育てや働き方をテーマに取材を重ねているライターの薗部雄一氏は次のように語る。

「園庭の有無を問わず、散歩はあります。園庭があれば散歩はしないと思っている方がいるようですが、それは誤解です。僕の子どもが通っている保育園には広い庭がありますが、晴れた日は毎日午前中に30分〜一時間は外に出ています。遊具の種類は公園によって異なるので、どんな遊びをさせるかによって行く公園を変えています。たとえば池がある公園では、水辺にいる鳥を眺めるなどします」

 散歩に行くかどうかは園庭の有無とは関係ないのだ。こうした活動は「園外保育」と呼ばれ、保育の重要な要素のひとつとなっている。

「少し前なら桜の花を楽しんでいました。今の季節なら新緑が豊かな公園で過ごすことが多いです。砂場で遊ぶのも楽しいし、秋になったらどんぐりや松ぼっくりを見たり拾ったりして、子どもが季節を感じたり、さまざまな物に興味を持つきっかけにもなったりしますね。また、公道を走るバスやトラックを見ることで、『車道に飛び出すのは危ない』ことを教えられます。

園の中だけでは、本を読んだり、おもちゃで遊んだり、お遊戯をするなどできることが限られてしまいますよね。子どもからしても、外の空気に触れ、刺激を受けるのは楽しいはずです。息子が通っている保育園ではその日にしたことを掲示してくれますが、園児が外で笑顔を浮かべて遊んでいる写真を見て、『やっぱりお外で過ごすのは気持ちがいいのだろうな』と感じます」

◆「散歩を自粛」は子どもにストレスをもたらす可能性

 しかし、社会的に散歩の是非が議論されるようになったことで、散歩を自粛する動きも出ているという。無論、不安になった保護者からの声なども考えれば、預かる側としては仕方のない決断かもしれないが、「散歩自粛」は本当に「子どものため」になるのだろうか?

「今回の事故が報じられてから、僕の保育園では散歩を自粛するという連絡がありました。0歳児はしばらく園外保育を取りやめ、一歳のクラスは公園まで保育園の車で送迎することにしたそうです。一歳くらいになると自我も芽生えてきますし、園の中だけだとつまらなくて、ストレスを感じてしまう子どももいると思います。

今回の事故は、いつ自分の子どもが被害者になってもおかしくなく、とても衝撃を受けました。でも僕は散歩を中止してほしいとは思いません。あの事故は保育園には落ち度がないですし、車での送迎に切り替えても、同じような事故は起こりえます。かといって子どもたちをずっと園内で過ごさせればいいかというとそういうわけでもないんです」

◆現場保育士も苦しい胸中を語る

 では、現場に立つ保育士は今回の事故と保育園の散歩についてどう思っているのだろう? 現役保育士が苦しい胸中を明かしてくれた。

「今回の事故については、なんで記者会見を開いたのかもわかりませんでした。これは交通ルール、ドライバーの意識の問題です。運転する側がいつでも事故を起こす可能性があることを考えないと。これが小学校だったら、中学校だったら、サラリーマンだったら……。通勤路をなくすべきかなんて話にはならないはずです。世のすべての交通事故に共通することで、なぜ保育園だからと責められるのかわかりません」

 そもそも最前線に立つ保育士は、自分たちが子どもを守るという気持ちで日々の業務に臨んでいる。

「散歩しているときの信号待ちでも、保育士はいつも何かあったら自分が盾になるつもりでいます。避難すればといっても、10人以上いる乳児が逃げられるはずがない。実際に今回も保育士が被害に遭っていますよね」

 スピードを出した車が列に突っ込んでくる……。そういった状況で保育士の責任を問うのはお門違いだろう。

「ドライバーには、そういう集団がいたら減速してほしい。明らかに手を広げて、子どもたちがいることを示しても、狭い道でスピードを出したまま走る人もいます。こちらは白線の内側で身を寄せて、車が通るたびに歩くのを止めていますが……」

◆交通マナーを学ぶ機会が失われる

 また、安全性の問題から、散歩の是非を問う声もあるが、むしろ散歩することによって身を守ることを学べるという。

「散歩は0歳からバギーに乗せて、次は公園内だけを歩かせたり、段階を経ながら距離が延ばして、交通ルールを教えながらやっています。そこで運転が下手な人がいることなども教えている。『自分たちは小さくて車から見えないから手をあげなきゃダメだよ』とか、そういうマナーも散歩を通して学んでいるんです」

 普段からつきっきりで子どもの面倒を見ることができない親が、限られた時間でそういったマナーを教えるのには限界があるだろう。また、家庭によって教育格差も広がるはずだ。

「もし保育園や幼稚園での散歩がなくなったとしたら、小学校に入ってから初めて遠足などに行くことになりますよね? その時点では集団での歩き方がわからないですし、学校でも余計な指導の時間が増えると思います。親とビッタリくっついて歩く環境じゃないから、自分で考えて歩かなきゃいけなくなるわけですが、それを小学校に入ってから学ぶのはどうなんでしょうか」

◆問われるべき問題は他にある

 また、交通マナーだけでなく、前出の薗部氏が指摘したように、さまざまな教育の機会が失われることになってしまう。

「たとえばカエルの卵を見つけたら、散歩のたびにその成長や生態を観察して、生き物についても学べる。砂利道や、草が茂っている路面の歩き方、自然物についても散歩で学んでいるんです。散歩がなくなったら、長い距離を歩けなくなる子が増えると思いますよ。

こういった事故でも保育士が叩かれるなら、何をするにも怖くなる。今回も自分の立場に置き換えて、すごく悲しくなりました」

 当然のことながら、今回の事故の原因は、前方不注意のまま右折をした車にある。さらには、そうした予期せぬ事故が起きた場合も、歩行者の安全を確保する、十分なマージンがない交差点の構造なども問題があるだろう。

 子どもたちの教育の場を奪ってしいまいかねない散歩の是非を問うのではなく、もっと考えて改善していく場所は他にあるのではないだろうか。

<取材・文/HBO編集部>

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